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Sin.co -Re:The Ultimate Sin- main tales

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徳 利

 何ヶ月かに一度、突然ぽっかりと予定が空くことがある。
 多忙が日常になっているから、突然明日は休日ですと言われても困るのだ。
 

 明日のゴルフの予定がキャンセルになってしまった上、今夜の予定もない。間が悪いことに鷹と紫は二人組で『仕事』に臨んでいる。その上椎多は隠居している千代のもとへ泊りがけで遊びに行っている──
 

 いろんな女の顔を思い浮かべてはみたものの、何故か気がのらない。
「久しぶりに若い連中でも奢ってやるかなぁ」
 七哉は腕組みをして天井を見上げた。

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 「お連れ様がお見えです」
 襖の向こうから声がして、音もなくそれが開く。七哉は上機嫌で来客を手招きした。


「おう、睦月。待ってたぞ」
 

 睦月はお待たせしてすみません、と微笑んでテーブルについた。テーブルの上の鍋はもうそろそろ出来上がる頃だ。
「ま、とりあえず飲め」
 座ると同時に杯を持たせて酒を注ぐ。
「おまえ、相当酒が強いらしいな。組の連中が皆言ってるぞ」
「それほどでもありませんよ」
「とぼけんなって。ナベブタ一気で日本酒5杯くらい飲まされて平然としてたんだろ?実際どのくらい飲める?」
 睦月はさあ、わかりませんと苦笑している。七哉は不敵な笑いを浮かべてさらに睦月の杯を満たした。


 睦月はまだ20歳を過ぎたばかりだ。七哉が会社を興したのもこの年頃ではあるが、まだ遊ぶ時は加減も知らずはしゃぎ盛りだった。落ち着きはらった睦月の態度が憎たらしい。


「だから今日は俺はあんまり飲まないがおまえがどのくらい飲むのか見極めてやるよ。旨い河豚だ、酒も進むぞ」
「わざわざ呼び出されたものだから何か重要なお話かと思えば、そういう趣向ですか」
「たまにはいいじゃないか。閑なんだ」


 悪戯っ子のように笑うと七哉は燗酒をどんどん持ってくるように注文した。
 みるみるうちにそれが空徳利となって転がる。
 

「何本飲んだか後で数えるから下げるなよ」
「そんなことを言ったらお店の方が困りますよ」
 

 店が困るくらい飲むつもりかよ、と七哉はまた笑った。

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 重い瞼をこじ開けると、見慣れぬ部屋の景色が目に入った。なんだかいい匂いがする。
 

「……あれ?」
 

 睦月を酔い潰してやろうと画策していたのに、結局自分が先に寝てしまったのだろう。おぼろげに財布を開いて勘定を済ませたところぐらいは思い出せる。
 首を巡らせて時計を見ると、3時すぎを指していた。おそらく深夜の3時なのだろう。まだ酒も抜けていない。とりあえず布団に寝かされてはいるが、すぐわきに炬燵があった。その上にはグラスに入った液体が置いてある。
 少し身を起こしてそれに手を伸ばすと、冷たい水だった。断りもせずそれを一気に飲み干す。喉が渇いて仕方ない。


「あ、お目覚めですか」
 扉の向こうから睦月が顔を出した。
 平然としている。
「……おい、結局どれだけ飲んだんだ」
「さあ、数えてませんよ」
 少なくとも、七哉が銚子1本あける間に睦月は5本はあけていた筈だ。
「あ~ちくしょう」
 こいつがはめを外しているところを見てみたかったのに。自分が潰されてしまっては笑い話にもならない。
「なにがちくしょうなんですか」
 一旦顔を引っ込めた睦月がくすくす笑いながらまた出てきた。七哉の目の前にすっと汁椀を差し出す。
「何だこれ」
「蜆のお味噌汁です。お酒の後にはいいんですよ」
 七哉は一瞬妙な顔をしてその椀の中の味噌汁を見つめた。それから手を伸ばしそろりとそれをすする。

 懐かしい味がした。

 

「……旨い」
「それはどうも。お風呂入るならわいてますが。それともお茶漬けかなにか召し上がりますか」
「ここ、おまえん家か」
 もう一度七哉はぐるりと室内を見回した。


 特別何か装飾があるわけではないが、壁には大きな本棚が二棹あり、ぎっしりと本が詰まっている。きちんと整頓された部屋だ。炬燵の存在がどこか庶民的な雰囲気を醸し出している。
「そうですよ。タクシーを呼んでお屋敷に送りますって言ったら嫌だまだ帰らない、おまえんちへ連れてけってきかなかったんですよ。覚えてないんですか?」
 睦月は小さな丸い盆に急須と湯飲みを二つ載せて炬燵の上へ置くと、七哉の隣の辺へ足を突っ込んだ。
「……そうだったかなぁ」
「困った組長ですねえ」
 急須の中の茶を湯飲みに注ぎ、ひとつを七哉の前に置いて残りのひとつを自分の口元へ運ぶ。睦月は眠そうですらない。


 そういえば、昔はこんな風に狭い部屋で炬燵に足をつっこんでいた。炬燵布団の柔らかさがさらに懐かしさを煽る。
 

「……睦月」
 睦月ははい、と首を傾げて七哉の顔を見ている。一瞬沈黙が流れた。
「おまえ、ヤクザなんかなって後悔してないか」
「自分で選んだんですよ?後悔するわけないじゃないですか。それにけっこう楽しいです」
 楽しいかぁ?と小さく呟き苦笑する。

「むしろ、僕は七哉さんが何故僕なんかを拾ったのか聞きたいですね。……父の仕事関係の知人なんて、嘘でしょう?」

 

 七哉は早くも空になった汁椀に視線を移した。
 まだ酒が残っているせいか、動揺が隠し切れない。
 思考が停止しているように固まったままうんともすんとも言わなかった。
 睦月は深呼吸をするような大きな呼吸をして座椅子の背もたれに寄りかかり、含み笑いをしている。

 

「僕は、両親から虐待を受けていたんですよ」

 

 まるで今までまた眠りに落ちかけていたように七哉は目を何度かまばたかせ、睦月に視線を投げた。
「性的虐待ですよ。父母両方から」
 まるで他人事のように睦月は言った。
「母は僕をこう押し倒して、怖くて縮こまっている僕のを手で立たせてね、乗っかってきたんですよ。まだ自慰も覚える前の中学生でした。それから父はたいてい僕をテーブルや机にこんな風に手をつかせて後ろから」
 自分の目の前の炬燵に両手をついて突っ張ってみせる。睦月の顔はまだ笑っていた。
「睦月、やめろ」
 聞いていられない。七哉は不快そうに遮った。
「外から見たら──そこそこ裕福で、息子も成績がよくてお行儀もよくて、さぞ理想的な家族だったでしょうね」
「睦月、それは稔の過去だ。おまえの過去じゃない」
「だったら──」
 睦月の顔から微笑が消えた。少し身体をずらし、七哉に背中を向けるとシャツの裾を捲り上げて腰から背中を露出させる。
 火傷の跡が七哉の目に飛び込んできた。

「これは、この火傷は誰のなんですか」

 

「──」
「初めて会った時、七哉さん僕に『うまくやったな』って言ったんですよ。僕が家で爆発を起こして両親を焼き殺したのを、あなたは知ってたんでしょう?」
「おい、ちょっと待て──」
 捲り上げたシャツを下ろさせると睦月を再び自分の方へ向かせた。

 ちょっと待て。
 両親を焼き殺した?

 

「俺は──そんなこと言ってないぞ。あの火事はおまえが起こしたっていうのか?」


 今度は──
 睦月が酷く驚いた顔をした。
 七哉が知る限り、一番驚いた顔のように思えた。


「言いましたよ、病院でうつ伏せに寝かされていた僕を見舞ってくれたあなたが──うまくやったな、って──だから僕は──」

 睦月でも狼狽することがあるのか。
 急にそんな思いがよぎった。
 睦月は常に、どんな場面でも冷静だった。だから、たまには酔い潰してみたいなどと思ったのだ。
 しかし、こんな話で狼狽しているのを見たいわけではない。

「え?じゃあ、あなたは知らなかった──?」


 あの時──そうだ。俺は睦月に何か言ったのは確かだ。だけど、あの火事は事故だと思っていた。
 酷い火傷を負って、苦しかっただろうによく頑張ったとか、よく生き残っただとか、そういう意味のことを言ったのだと思う。
 うまくやった──なんて、何かの聞き違いだ。

 睦月は、声を出して笑い始めた。
「なんだ……。知らなかったのか……」
「睦月──」
「……じゃあ、改めて告白します。そんなわけで、父母の虐待に耐えかねた僕は家のガス栓にうまく引火するように細工して、計画通り火事を起こしたんです。僕は、それはそれは『うまくやった』んですよ。警察も消防も結局事故で処理してくれたので事件にはならなかった」
「なんで──」
 言いかけて、七哉は言葉を噤んだ。

──稔、うまくやってるみたい。
──まだ中学生だし……姉さんがやくざの情婦じゃ嫌なのかなあ?

 冗談めかして笑いながら言った声を思い出す。
 稔は、姉の迎えを断ったのだと聞いていた。両親の殺害を企てるくらい我慢ならなかったのならどうして、姉の誘いを断ったりしたのだろう。
 火事のあった時も、リカは弟に会いに行こうとはしなかった。両親の葬儀にも出なかった。
 七哉が気にするといけないと思って黙っていたのだろうが、弟に拒絶されたことが随分堪えていたのだろうと思う。
 まして、丁度あの頃──七哉は結婚して、世間的に見ればリカはただの愛人だった。
 口さがない世間が、中学生の稔にどんな色眼鏡を通して接することになるか。それを考えると、両親を亡くしたとはいえ叔父に引き取られることになった稔を無理に引き取ると申し出ることが出来なかったのだ。


 睦月はまるで七哉の心を読んでいるかのように微笑んだ。
「もし姉が──」
 ぎくりとした。
 睦月はもうすでに、自分の姉が七哉の恋人だったことに気がついているのかもしれない。いや、おそらく気付いているだろう。決して、そうとは口にしないけれど。

「あの時また姉が迎えに来てくれたとしても僕は断っていたと思います」

 

 何故だ。
「だって、姉は幸せそうだったから──邪魔したくなかった」
「……おまえは、馬鹿だ」

 鼻の先がつうんとする。やばい。泣きそうだ。
「僕は姉のことが大好きでした。姉が幸せならそれで満足だったんですよ」

 

 リカは──
 幸せだっただろうか?

 ずっと自問自答を繰り返してきた。
 俺は、リカを苦しめてばかりいたのではなかったか?

「七哉さん」
 睦月の声にかすかに我に返った。
 七哉はぼんやりとうつむかせた顔を上げる。
 睦月はずっと微笑んでいる。

「僕としてみます?」

 

 意味がわからずに怪訝な顔で見つめ返す。睦月は笑いを堪えるような顔で少し身を乗り出し、左手を伸ばして七哉の手に触れた。
「あなたもあれだけ遊んでるんだから一度や二度、試しに男としたことくらいあるんでしょ。今なら酔ってたからで勘弁してあげますよ」
「なに馬鹿なこと言い出すんだ、急に」

 今の今まで、姉──リカの話をしていたのではなかったか?
 生憎七哉はこの飛躍についていけるほどには酔いは醒めていない。

 睦月はさらに膝を乗り出し、手を腕に登らせそのまま引き寄せる。
「僕の顔、よく見て下さい」
 微笑んでいる。
 睦月は、リカの死に様を知らないのだ。例えリカが稔の姉だと気付いていても──リカがどうやって死んだのか知るのは紫と鷹とあとは康平くらいだ。彼らが睦月にそれを漏らすとは思えない。


 もし、知ったら──
 睦月は俺を恨むだろうか。憎むだろうか。

 顔の全体像が視界を溢れるくらい接近したところで、睦月は声にならない笑いを漏らし、七哉の腕に触れているのとは反対の手で自分の目を隠した。

「僕、顔の下半分は姉によく似てるそうです。どうですか?」

 どうですかと言われても──
 返答に困った。
 その一瞬に、唇に暖かい感触。

 驚いたり、拒絶したりする間がなかった。

 睦月は自分の目を隠したまままたくすくすと笑いを漏らしている。
 

 目を隠してるくせになんで位置を間違えないんだろう?
 

 などと見当違いの疑問が浮かんでいる間にも、何度か──触れた。

 睦月の片手は七哉の腕を伝って肩に到達している。
 炬燵の上にあった筈の七哉の手がすでに睦月の背中に届くくらいにまで接近していて、なかば無意識のように掌を移動させた。その拍子に一瞬睦月がびくりとしたのに気付く。

──ちょっと待て、俺はなにやってんだ?

 そんな思考と裏腹にそのまま腕を回し力をこめる。
 頭と体が別々の方向を向いているようだ。
 急に抱き寄せた格好になり睦月がバランスを崩した。抱きしめると睦月の肩先から石鹸の匂いがする。

 その時。

「──待った」
 七哉は突然その場に立ち上がった。


「気持ち悪い」
 

 そう宣言すると七哉はばたばたと手洗いへ走っていった。

「──そりゃあ、あれだけ酔っ払えば気持ち悪くもなるでしょうよ」


 深夜、というより明け方に近い時間だというのに騒がしく手洗いに駆け込んだ七哉がさらに騒がしい音を立てているのが聞こえてくる。睦月は堪えきれないように吹き出すと七哉が出てくるまで笑い続けていた。

 暫くしてふらふらと手洗いから戻った七哉は寝る、と言って先程まで寝かされていた布団に潜り込んだ。
 潜り込むと同時に息遣いが鼾に変わる。
 そんなに無防備だと襲いますよ、などという睦月のからかい声などまるで耳には入らなかった。

 暫く七哉の鼾を聞きながら座っていた睦月は立ち上がって電気を消すと、七哉に布団を掛け直し自分は炬燵に潜り込んだ。

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 再び目を開けて時計を見るとこんどは9時過ぎを指していた。隣の部屋の窓から光が差しているので朝だとわかる。随分よく眠った気がしたが時間的にはそれほどでもないらしい。

 昨夜のことは夢ではなかったのだろう、同じ睦月の部屋で同じように炬燵のわきに敷いた布団から七哉は起き上がった。


 先程とは別のいい匂いがしている。魚を焼く匂いだ。
 

 腹がぐうと音を立てた。
 ぼんやり、ゆっくりとまばたきを繰り返し、もぞもぞと炬燵に足を突っ込む。
 ほどなく、何事もなかったような顔で睦月が朝食を運んできた。
「よく眠ってましたね。二日酔いはしてませんか。ご飯、食べれます?」
「うん」
 子供のように頷くと箸に手を伸ばす。
 鯵の干物を焼いたものと卵焼き、それから漬物に白飯、味噌汁。
「……おまえ、意外に家庭的だな」
「そうですか?だって朝はご飯を食べたいじゃないですか」
 普段生活じみたものを感じさせない若い睦月が、主婦並に食事の支度をしているのが何故か可笑しくなって、七哉は笑った。


 朝食はやはり、懐かしい味がした。

 

「──似てない」
 食べながら七哉は急にむっとした顔を作った。
「全っ然似てない」
「そうですか」
 睦月は七哉の向かい側に座り微笑んでいる。


「二度と──あんなことすんなよ。いくら酔ってても、いくら遊びでも──リカの弟とどうにかなんてなる気はないぞ」


 わかりましたよ、と肩をすくめながら睦月は炬燵布団を手繰り寄せ立膝に頭を乗せた。沈黙の間に七哉の漬物を齧る音だけがする。
 暫くそうしていて漸く頭を上げた睦月は、別段変わったところもなくもとの同じ笑顔でいた。

「七哉さんが9本、僕が32本でしたよ」

「何?昨日の酒か?」
 飯が喉に詰まりそうになった。

 おまえを酔わせようなんて、金と酒の無駄だ──

 呆れ顔で言った七哉に睦月はちろりと舌を見せて笑った。

*the end*

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*Note*

​ちょっと魔が差して、睦月が七さんを誘惑してみたりしました(笑)。結局睦月が七さんをどんな感情で見ていたのかは描いてないんですよね。まあでも多分リカが殺されることになった件の真相を知ってようがいまいがそのことで七さんを恨むわけじゃなかったと思います。幸せでいるリカに会いたかったかというとそれもなんか違う。でもまあほんのり姉を大事にしてくれた義理の兄、くらいの親愛の情はあったと思います。恋愛感情じゃなかったけど好きだったんでしょうね。七さんのこと。

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