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Sin.co -Re:The Ultimate Sin- main tales

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猛獣使い

 俺の中に、獰猛な獣がいる。
 飼い慣らすことが出来なければ、いずれ俺自身が喰いつくされてしまう。
 もう、殆ど喰われてしまっているのかもしれない。
 それが恐ろしい。


 誰か、助けてくれないか。
 誰か──

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 坂元喬はその大きな身体に似合わず手先の細かい仕事が得意で、中学卒業後はラジオの部品などを作る工場に勤めていた。勤務態度は真面目で人当たりもよくおとなしいので周囲の評判も良い。勤務が終わっても、アパートでは今度は模型などを作っている。得意というより好きなのだ。
 帰宅しながら頭の中で今日はあの模型をどのあたりまで組み立てて、などと計画を練っているのも楽しい。そうしてアパートの部屋に到着すると、ドアの前に小さな影がうずくまっていた。
 

「──七哉」
「遅い。飯、冷めちまったぞ」


 四歳下のこの友人は、年下のくせにいつも偉そうだ。
 鍵を開けてやると勝手知ったる……という顔でずかずかと4畳半の部屋に入り込んでくる。手荷物の風呂敷を解くと重箱に入った食べ物だった。
「千代が、喬さんはちゃんと栄養のあるものを食べているのかしら、だってさ。面倒臭いからウチに食いに来いよ」
「うーん」
 喬は答えにならない返事をしながら、煮物をひとつつまみ食いして茶を沸かしている。千代というのは嵯院七哉の母親代わりの女性である。
「食いにっていうか……アパートなんかに住まなくたって、前みたいにウチで一緒に住めばいいのに。部屋はまだ空いてるし空いてなくたって俺の部屋に一緒でも俺はかまわないぞ」
「うーん」
 やはり答えにならない返事をする。七哉は不満げに口をとがらせた。
「……やっぱり、うちがヤクザだから出入りしたくないのかよ」
「そんなわけじゃないよ。先代にも、宇佐さんにも、よくしてもらって感謝してる」
 それは嘘や社交辞令ではない。本気でそう思っている。


 喬の父親は戦死し、母親も姉も弟も空襲で家ごと焼けてしまった。戦災孤児で住む場所もない喬に何の気まぐれか屋根の下の生活や暖かい食事を与えてくれたのはヤクザの親分だった七哉の父親であり、その死後跡目を継いだ宇佐という男だった。千代はその妻である。
 七哉は七哉で、末っ子のうえ年の離れた兄姉たちはすべて戦死したり空襲で命を落としたりして物心ついた時にはすでに一人っ子同然だった。兄が出来たようで嬉しかったのか、まだ打ち解けぬ頃の喬に真っ先になついたのは七哉だったのだ。


 あのまま誰にも保護されずにいたとしてもいずれは裏街道をゆくような人生が待っていたのだろうが──事実、浮浪児で徒党を組んで悪事を働く連中や、大人どもに利用されて稼がされている連中も珍しくなかった──逆に彼らは喬に堅気の世界という選択肢まで用意してくれたのだ。


「……おまえはボンボン育ちだから当たり前に思ってるかもしれないけどな。やっぱり俺は自分で稼いでやってかないとなんか落ち着かないんだ」
 七哉がむっとした顔をしている。ボンボン育ちと言われることが大嫌いなのだ。本当は「当たり前」だなどと思っていないことは喬には判っていたが、ついそんな風にからかってしまう。
 空襲で亡くした弟を、七哉に重ねているのかもしれない。

──それに。
 まっとうな、正しい道を歩いていたい。明るい道を歩いていたい。暗がりの道を選べば──足をとられてしまう。

「──喬?」
 怪訝そうに覗き込む七哉の顔が視界に入って喬は我に帰った。つまらぬことは考えぬがいい。
「今度は何作ってるんだ?船?」
 七哉の興味はもう次へ移っているようだった。


 木片や竹籤や、工場で拾ってきた屑鉄を削ったり磨いたりして部品を作り、組み立てて模型を作る。それが大きな西洋の帆船の形になりつつあった。雑誌の切り抜きをモデルに、わからない部分は想像で補いながら作っているので細部はいい加減だがそうやって一から作っているようには見えない出来栄えである。巷ではプラスチックで出来た組み立てるだけの模型ももてはやされ始めているが、部品から作るのがいい。

 喬は少し得意げに机の上を占領したその作りかけの模型に向かって座り直した。
「なんでそんなぶっとい指でそんな細かい仕事が出来るかなぁ」
 

 七哉が呟きながら喬の肩越しにその模型を眺めている。中学時代は柔道もやっていた喬の大きな背中に比べればまだ成長期途中の七哉は随分小さい。親におぶさる子供のように肩から腕をだらんと下げてもたれてくると、喬はその腕を軽く外しながら振り返った。
「七哉、明日も学校なんだろ。それに早く帰らないとプロレス始まっちまうぞ」
 その動作がよそよそしく感じたのだろう。七哉が戸惑った顔をしている。
 

──が、喬はそれに気付かぬふりをした。


「……いけね。喬、テレビ買えよ。一緒にプロレス見ようよ」
「テレビなんて贅沢なもんいらねえよ。千代さんにごちそうさま美味しかったって伝えてくれな」
 立ち去り難そうな七哉とそれをまるで追い払おうとしているかのような喬の間に一瞬気まずい空気が流れた。
 しぶしぶ靴を履いて扉を開けようとした七哉に再び声をかける。
「──おまえも、俺んとこばっかり遊びに来てんなよ。友達のいねえ子みたいだぞ」
 七哉はうっせーな、と一言悪態をこぼして出て行った。ドアを閉める時にも、気になることがあるようにしきりに振り返った。
 しかしやがてアパートの鉄の階段を軽快に降りてゆく足音が遠ざかる。それが聞こえなくなると急にしいんとした。

 七哉は何か気付いただろうか。
 

 再び模型の前に腰掛けると、喬は深く何度も深呼吸をした。

 寒いのに、じんわりと汗が浮かんできている気がする。
 目を閉じて何度も躊躇しながら、喬は何度目かに机の引出しの一番奥にある小箱に手を伸ばした。

 本当はどこか七哉も七哉の家族も知らない場所へ消えてしまうのがいいのかもしれない。
 七哉の家を出た本当の理由は、別にある。

 俺には七哉にだけは絶対に知られてはいけない秘密がある。

 

 引出しの奥から小箱を取り出すと、それを箱のまま握りしめた。その手は小刻みに震えていた。

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 あれは、終戦間もない頃だった。
 何もかも無くして、腹をすかせた子供の頃だ。

 酔いつぶれて道端に寝ている進駐軍の兵士。白い顔を赤く染めて大鼾をかいている。警戒心もなにもあったものではない。
 周りを見回して、その懐を探る。
 彼の国の金と、サングラスと、煙草とマッチと、ガムと、ポケットから根こそぎ盗ってやる。それだけごそごそ探っているのに兵士はまるで目を覚まそうとしない。完全に泥酔している。
 そして最後に──


 ピストルを見つけた。
 

 重い。
 リュックの底に隠すように入れる。
 どきどきしながら兵士の傍から離れ、そして一目散に走って逃げた。

 他の持ち物は、闇市の顔見知りの親爺に売れば何日分かは食いつなげるだろう。うまくやらないと、狡賢い大人にすべて掠め取られてしまう。子供だからといって、誰も守ってはくれない。今は大人も自分や自分の家族を守るので精一杯なのだから。
 せめて母が生きていれば家が焼けてももう少し何とかなったかもしれないが、それを悔やんでも仕方ない。とにかく今日生き残ることを考えなければ。

 

 盗んだピストルを、撃ってみたくなった。

 

 いざとなれば、これで誰か金持ちでも脅したり殺したりして金なり食料なりを奪うことが出来る。しかし本番の前に、一度撃ってみよう。
 撃ってみようと思ったら一刻も早く撃ってみたくなった。何を撃とう。しかし地面や木などを撃つのは弾がもったいない。練習のためにと思ったけれど──それならば、いきなり本番でもいいかもしれない。どうせ弾が切れれば脅しくらいにしか使えないのだ。
 練習を兼ねるつもりなのだから、撃ち易いものにしなければ。例えばこのピストルの持ち主だったあの兵士のように、酔いつぶれて寝てしまって動かないような相手。


 川原に下りて爆撃の弾の跡が点々と残されている橋げたをくぐるとおあつらえむきに誰かが転がっていた。いや、眠っているようではない。しかも一人ではない。よく見ると、尻を丸出しにした男が女の上に乗っかってもぞもぞしている。橋げたに隠れて目を凝らしてみると、女もモンペをすっかり脱がされて白い脚を露わにしている。それどころか着物の前もはだけて乳房がが完全に露出し、殆ど裸に服がひっかかっているような状態だった。上に乗った男がその露出した胸をわしづかみにしてかぶりついている。女の顔は殴られたように酷く腫れ、口に何かを突っ込まれて声を出せずにいるようで、うう、ううと呻き声だけをかろうじてもらすのが精一杯のようだ。


 要するに、男が女を犯しているのだ。
 女は抵抗する力もないようになかばぐったりしている。
 

 それをじっと観察しながら、リュックの底のピストルを探り出す。顔が火照って額にも掌にも汗がじっとり滲んだ。ピストルを両手で握ると、男の背中に向かって狙いを定める。腿のあたりに痺れたようなむずがゆいような感覚がある。そして、ゆっくりと引き金にかけた指を引いた。
 一瞬、腕がふっとんでいったかと思った。ふっとんだのは自分の身体ごとだった。両掌が熱く、びりびりと痺れている。あまりのことに逆に目が覚めたように冷静にまだ熱いピストルをリュックに再び押し込み、叢に隠れて自分の撃ったはずの相手を見た。
 男は、女の上に倒れている。女の顔に、どす黒い何かがかかっているのが見えた。しかし女も動かなかった。
 そろりと近づいて見ると、後ろから見てもわからなかったがどうやら男の顔は半分割れて、血だけでなくおそらく脳みそも一緒に顔の上に降ってきたのだろう。女は白目を剥いて気を失っていた。 
 紙芝居や漫画で見た活劇ではピストルで撃った相手はうううと唸って倒れるもので、こんなグロテスクなものが出来上がるとは思っていなかった。


 呆然と、しかしまるで観察するようにまじまじとその頭の割れた人間だったモノのそばにしゃがみこむ。男は女と繋がったままの状態で倒れているので、おそらく最も破損の激しい部分は死角に入っている。触る度胸こそないが、どうなっているのかなんとか見てみたくて覗き込んだ。

 その時。

 

 突然後ろから口を覆われて抱え上げられた。咄嗟のことに暴れるがうまく抱えられてしまったせいで抵抗にならない。同年代の少年の中では比較的大柄な方だと思うが、そもそも腹が減っていてあまり力が入らないせいもあってわけなくそのまま土手を上がり、相手の姿も確認できないまま車に押し込まれた。

「あんなもの何処で手に入れたんだ」

 

 耳の後ろで、押し殺したような男の声が聞こえた。
「あれは子供の玩具じゃない。もうあんな悪戯するんじゃないぞ。金が欲しいのか、食い物か?ならさっきの銃を俺が買ってやる」
 背中のリュックをごそごそ探られているのがわかる。ああ、くそう。金儲けする前に取り上げられてしまう。
 と、背後の男がぷうっと吹きだし笑い始めた。
「なんだ、子供のくせに。いっちょまえに勃ってんのか」
 手がにゅうっと伸びていきなりズボンの中へ侵入して股間のものを掴む。
「女が手篭めにされてるのを見てたんだもんな?それとも──」
 からかうようにその手が何度か動くと、まだ子供らしい未成熟のそれはたちまち僅かな液体を迸らせた。まだ自分のものがそういう状態になるメカニズムをよく把握もしていなかった。

「銃を撃ったから、あの男が死んだから、興奮したのか?」

 

 声そのものが地獄の底からでも聞こえてきたかのように背筋がぞくりとする。この時初めて恐怖を感じた。
 背後の男は手を放すとドアを開けた。
「今日のことは全部忘れろよ。銃のことも、あの男女のことも、俺のこともな」
 半ば放り出すように車から下ろされ、車はそのまま走り去ってしまった。
 慌ててリュックの中を確認すると、ピストルが無くなっている代わりに、見たことの無い金額の札束が放り込まれていた。

 あの男が何者だったのかはいまだに見当すらつかない。
 忘れろ、とあの男は言った。大人になれば、生きてゆくことに必死になっていれば、遠い記憶になっていくものだと思っていた。
 

 しかし、それは遠い記憶どころか──

 年を追うごとに鮮明で、生々しい記憶として喬を苛むことになるのである。

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 歓楽街の外れの少し寂しい街角。
 こんなところで客引きをしている街娼などは、おそらくもっと大きな歓楽街どころかこの街でも客引きにいい場所を取ることもできない負け組である。近いうちに赤線が廃止になるとかで先に廃業している店もあるらしく、失業した娼婦が青線に流れ、心太式に稼ぎの悪い娼婦が街娼に身を落としたりしていることも街娼が増えている原因なのかもしれない。追いやられた街娼たちはあるいはひどい年増であったり醜女であったり、客を引くには陰気に過ぎたりしてどうにも客が寄り付かない。稼ぎがあるのかどうかもあやしいものだ。そういうのを好んで選ぶ変わり者や、とにかく女を抱きたいが金をけちりたいような者くらいしか相手にしないと言っても過言ではない。
 そんな冴えない娼婦を一人選ぶ。
 下手をすると母親くらいの年増で、ろくなものも食っていないのだろう、やせ細った顔にごてごてと塗った厚化粧がいかにも醜悪である。顔立ちを見れば若い頃はきっとどこかの遊郭で売れっ子だったのだろうが、他に生きる術を知らない女の末路はこんなものなのだろうか。
「おにいさん、学生かい?お金がないんだね。ならいい場所があるんだよ。誰も来ない」
 見苦しいまでに精一杯しなを作って媚びた声で女は何日振りなのかわからない客に逃げられぬよう手を引き、街外れの建物の裏手の袋小路になっている真っ暗な場所に案内した。湿った壁際にぼろぼろの新聞紙と毛布が敷いてある。おそらくこの女がどんな頻度かわからないがいつもここで客の相手をするのだろう。もしかしたら普段からここで寝泊りしているのかもしれない。
 コートのポケットに両手を入れたまま突っ立ってそれを見下ろしていた客は、ベテラン娼婦らしい女が慣れた手つきで下半身を弄り始めるといきなり女の髪を掴んで薄汚れた毛布にその顔を押し付けた。驚いた女が暴れるのも構わず、その尻を持ち上げてスカートを捲り上げ背後から自分のものをねじ込む。
「…っと、乱暴にしないどくれよ……」
 女が、毛布に押しつけられた顔から抗議の声を漏らすが聞く耳はない。
 客は片手で女の頭を押さえつけたまま激しく動きを繰り返し、ふとその動きを緩めるとコートの右ポケットから黒光りする鉄の塊を取り出した。

 それは、小さな銃。

 目を細めてうっとりとその銃身を眺めると、そのまま女の後頭部に押し当てる。そして腰を動かし始める。
 女は、自分の頭に何が突きつけられているのかも気付かず、ただその粗暴な行為に耐えている。
 再び客が動きを緩めた。
 そして、引き金にかけた指を、ゆっくりと絞る。

 掌に伝わる衝撃と、熱と、瞬間に立ち上る火薬と血の臭い。
 踏ん張っていた女の身体が一瞬硬直したと思うとゆるゆると弛緩していく。
 同時に達した客は恍惚とした表情を浮かべて深く息を吐いた。
 身体を離して立ち上がり、ちり紙で今果てたばかりの自分のものを拭うと衣服を整え、銃を再びポケットにしまう。
 足でその娼婦だった女の身体を転がすと、顔の上半分が破裂したように砕けていた。
 それをじっと見下ろしている。

 ドサリ、と音がした。

 振り返ると、尻餅をついてこちらを見ている少年の姿──

──七哉。

 

 夢から覚めたように、"喬"はふらふらとそちらへ足を踏み出した。

 

──何故、七哉が?
──追けてきたのか?

 

 喬の言動を不審に思っているような態度。
 七哉の洞察力や行動力を甘くみていた。

「見たのか」

 七哉は腰が抜けたように尻餅をついた体勢のまま、あとずさっていく。顔にありありと恐怖が浮かんでいた。返事しようにも声が出ないかのようだ。


「見たのか。全部」
 

 ついに七哉の足元にまで到達すると、喬はしゃがみこんだ。七哉のよく知っている優しく人の良さそうな顔。
「おまえにだけは知られたくなかったよ……」
 喬は再び、ポケットの中に手を伸ばした。
 その中の物を握る。

 餌を喰って満足していたはずの獣が、まだ物足りぬ目の前の餌をよこせと騒ぎ始めた。

 

「はいそこまでだ。これ以上やったら人が来るぞ」

 

 突然の第三者の声にびくりと顔を上げるといつの間にか七哉の背後に人影。
 暗くて顔が見えない。しかし──

 それは、忘れたくても決して忘れられなかったあの時の背後の男の声だった。

 

「困るんだよ、こんなとこでコロシなんかやられちゃ。とにかく来い。二人ともだ」
 男はまだ腰が抜けている七哉を自分の背中におぶさるように促す。
「忘れろと言ったのに」
 喬が初めて見た顔をにいっと皺だらけに笑わせて、男は喬の頬をパチンと叩いた。

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 男に連れられて来た場所には、狭い壁にびっしりと酒瓶が並んでいる。洋酒ばかりだ。
 酒が並んでいるが、男はコーヒーを入れて七哉と喬の前に置いた。
 それから喬のポケットに手を突っ込み、銃を取り出してじろじろと検分する。喬は放心したように椅子に座ったまま身動きせずに俯いていた。


「ははあ、何だこりゃ。お手製か?よくまあ」
 

 感心しているのか馬鹿にしているのかわからない口調である。
「最近たまにガキが玩具の鉄砲に火薬を詰めたり鉄パイプで自分で作って悪さすることもあるみたいだからなぁ。まあ、大抵そういうのは暴発して自分が怪我したりするもんだ。それを考えたらよく出来てるな」
「あんた……誰」


 男の声などまるで聞こえていないように押し黙っていた喬が漸く口を開いた。そもそもこの男があの川原での体験をより強烈なものにしてしまったのだ。
 

 もっとも、あの時この男が現れなければ──喬は別の破滅をもっと早く迎えていたのかもしれない。
「ずっと俺を見張ってたわけじゃないだろ?」
「まさか」
 ははは、と男は事態の深刻さがわかっていないかのように陽気に笑った。若そうなのに笑うと顔が皺だらけになる。
「もっとも、確かにここ1年くらいはおまえの言い方を借りれば『見張って』たことになるかな。言ったろ、素人に遊びでコロシなんかやられたんじゃ迷惑なんだよ」
「素人……」

──あれは子供の玩具じゃない。
──困るんだよ、こんなところでコロシなんかやられちゃ。

 それはつまり、この男が「素人ではない」ということを示唆している。
「おい、そっちのおにいちゃん」
 男はまだ呆然としている七哉に向かって声をかけた。七哉は反応鈍く真っ赤にして唇を噛み締めた顔をのろのろと上げる。


「見ただろう、こいつは人殺しだ。それもただの人殺しじゃねえ。女ぁ犯しながら殺すのが好きな変態だ。いや、女じゃなくてもいい。それも一人や二人じゃねえぞ。立派な連続暴行殺人魔ってわけよ。カストリ雑誌なんかが大好きなネタだ」
 

 力のなかった七哉の瞳がじろりと男を睨みつける。
「危なかったなあ。あのまま放っておいたらおまえもあの場でこいつに犯されて殺されてたぞ。なんせこいつにやられたヤツの中にはおまえと同じような年恰好の男の子も──」
「……うるさい!」
 がたんと立ち上がり転びそうになりながら七哉は男に詰め寄った。眼に完全に力が戻っている。
「喬のこと何にも知らない癖にいい加減なことを言うな!」
「やめろ、七哉」
 喬の声が七哉を遮った。七哉が聞いたことのないような弱弱しい声。その弱弱しさに驚いたようにぎくりと声をのんだ。

「そいつの言った通りだ」

 

 堰を切ったように──
「俺は銃を持ったら興奮して、いや、興奮したら銃を持ちたくなるのかもうわからないけど…とにかく、人を撃ち殺すのが気持ちよくてしょうがないんだよ。やめなきゃいけないのは判ってる。普段はこんな事やめたいって思ってる。でもどうしてもやめられない。時々我慢できなくなる。俺は──狂ってるんだ」
 喬は一気に言い放った。
「喬──」
 ぽたりぽたりと。
 七哉の大きな眼から涙が溢れる。
「──だって」
 喬の広い肩を掴んで揺さぶる。まるで目覚めぬ者を揺り起こそうとしているかのように。
「堅気の世界で生きていきたいって言ったじゃないか。うちを出る時宇佐にそう言って、それで工場に勤めたんじゃないか。喬がそう言うから俺は我慢したんだぞ!」
「俺に触れるな!」
 払いのける。  
「俺なんかに触ったらおまえが汚れる──」
「喬!」

「これ以上そばにいたらおまえを殺したくなっちまう!」

 俯いたまま喬は大きな両手で自らの顔を被った。
 

──俺の獣は、七哉まで餌にしたがっている。

「どちらにしてもこのまま続ければサツも馬鹿じゃねえ。今までは運が良かったんだ。あんだけ現場に色々ばらまいてたらそのうち捕まるぜ」

 男がグラスに酒をついで一口含みながら言葉を挟んだ。
「にいちゃん、どうする?やめさせたいならサツに通報するって手もあるぞ。少なくともコロシはやめさせられる。ただしもう会えねえし間違いなく死刑になるだろうがな」
「……俺みたいな気狂いは死刑になっちまった方がいい」
 七哉はとめどなく流れる涙を拭おうともせず激しく首を横に振った。
「嫌だ………」
「俺は自主する度胸もない。おまえが通報してくれ」
「嫌だ!おまえをサツに売るなんて出来るもんか!」
「まあ、待ちなよ」
 再び男が言葉を挟む。

「おまえみたいな気狂いでも生きてけるかもしれない方法なら──俺はひとつだけ知ってる」

 

  七哉ははっとした顔で男を振り返った。
「──コロシを仕事にしちまうんだ」
 『殺し』が仕事なら、殺せば報酬がもらえる。その代わり失敗は許されない。銃の使い方も身のこなしも証拠を残さないやり方もちゃんと覚えて、依頼主に指示された相手だけを殺す。失敗すれば死ぬ。さもなければ始末される。それだけだ。
「それでおまえの悪い癖が治るかどうかはわからねえが、少なくとも訓練で思う存分銃は撃てるしコロシもできる」
 喬が顔を上げた。
 

「おまえがそうする気があるなら、俺が教えてやる」
 

「あんたは──」
「何度も言わせるなよ、素人に趣味でやられたんじゃ迷惑だって。商売敵が増えるのも困るといえば困るがな」
 男は『殺し屋』とはとても思えない笑顔を見せた。

「──わかった」

 答えたのは喬ではなく、七哉だった。
 

「俺が喬の雇い主になってやる。だから喬はプロになれ」

 

──『雇い主』?

「俺が組を継ぐまでに誰よりも凄腕になってこい」
 涙を袖でぐいと拭い、きっぱりとした表情で七哉は喬の目を真っ直ぐに見つめた。
「おまえが殺すのはおまえが殺したいからじゃない、雇い主が殺せと言ったからだ。いいな」
 再び喬の肩を掴むと今度は払いのけなかった。七哉は覚悟を決めたかのように喬の頭を抱きしめる。
 その下で、喬は嗚咽を漏らした。

 自分ではどうしても飼い慣らせなかった俺の中の獣。
 七哉が猛獣使いになってくれるのなら、それに委ねよう。
 七哉が俺の罪を引き受けようと言うのなら──


 俺の命ごと、七哉に預けよう。

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 ショーウィンドウにはずらりと銃が陳列されている。
 すべてモデルガンだ。
 その中に、何故か大きな帆船の模型。「非売品」という札がついている。

「おう、久しぶり。注文したブツは入ってるか?」
 

 客は入ってくるなりにいっと笑顔を浮かべた。
「入ってるけど、持って帰れない量だろ。まあ座れば」
 喬は苦笑してガラスケースの前に無造作に置いた丸椅子を客に勧める。
「足を洗うって聞いたが本気か」
「地獄耳だな」
 レジの奥に置いたポットから茶を汲んでケースの上に置いた。客はそれを手にとって音を立てながらすする。それから喬はモデルガンをひとつ箱から取り出して客に見せる素振りをする。客もそれを手にとって手で弄んでいる。
「結婚するらしいじゃねえか。ビックリだな」
「……はめられたんだよ。あの女、ガキが出来たって俺に言う前にリカに相談しやがって。七哉からおまえはクビだって言われた」
 言葉とは裏腹に、喬は微笑んでいる。
「ははは、ひでえな。何なら仕事回してやろうか」


「あいつが足を洗えって言ってるんだ。他の仕事は請けられねえよ」

 

「──大丈夫なのか」

「まあ、女と寝ても殺したくはなくなったから大丈夫なんじゃないの」
 客はそうか、と笑って茶を飲み干した。
「この店はやめるとか言わないよな?けっこう重宝してるんだぜ」
「ご心配なく。マジモンの仕入ができなくなったらここの商品を『お手製』で使えるようにしてやるよ」
「改造モデルガンは勘弁してくれ」
 手で弄んでいたモデルガンを喬に返すと立ち上がる。
「ブツはまた取りに来る。預かっといてくれ」

「シゲさん──」

 出て行きかけていた客は、ん?と振り返ると変わらぬ人の良さそうな笑みを浮かべたままだった。

「──ありがとう」
「礼なら俺じゃなくてあの坊やに言いなよ」

 わかってるよ。
 

 聞こえるか聞こえないかの独り言のように答える。
「シゲさん、今どこで店やってんの。飲みに行くよ」
「ろくに飲めねえくせに生意気言うんじゃねえよ。酒の味がわかるようになってから来やがれ」
 シゲはそう言って背を向け、手を振って出て行った。
 『商品』が手で持ち帰れない量だということはわかっている筈だ。おそらく、喬が『大丈夫』なのかどうか様子を見にきたのだろう。

 一人残された店内。ガラスケースの上に出したままのモデルガンを箱に戻そうとして、それを握り締める。
 

 大丈夫だ──大丈夫だろうか。
 本当はそんなに自信があるわけではない。
 俺の中の獣は死んだわけではないのだ。

 七哉は約束通り俺の獣を檻に入れたまま餌を与え続けてくれた。
 そして今──俺の猛獣使いは、檻を開け放つ。
 これからは自分で飼い慣らしてみろと、俺を信頼して。

 信頼を裏切りたくない。
 だから、今度は俺自身が猛獣の檻を作る。
 そうすることが俺の罪を引き受けてくれた七哉の望みならば。

 握ったモデルガンの銃身を目を細めて眺めると、喬はそれを再び箱の中へ収めた。


*the end*

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*Note*

​本編を書いていた時に、鷹さんて書けば書くほど「殺し屋」とかやりそうな感じじゃない好青年(好おじさん)のイメージになってしまって、しかも七さんとの心理的距離が近すぎて、なんで七さんはこんな大好きな友達に殺しとかやらせてんだ?って思って考えたらこうなりましたって感じの話です。シゲさん、英二の時もそうだったけど実はヤベェ奴と出会った時に本人意識してるかどうかわからんけどそっちの道に引っ張り込むような言動してるんですよね。助けてやってる風だけど実は引きずり込んだのはシゲさんだったっていう。まあ、鴉は根があれなんでシゲさんのせいじゃないですけど。

これふわっと流して書いてるんですが実は喬は七哉を性的な目で意識してるんだよね。だから次は七哉を殺すかもって怯えてたんですけども。ちな、七さんはそれに全く気付いてないです。てゆうか多分男同士でもそういうのあるみたいなことまだ知らないんじゃないだろうか。プロレス大好き中学生。女子が気になりだした程度の頃ですし。このヤベェ性癖があるから七哉には手を出せなかったけど、そうでなきゃどうなってたんでしょうねこの二人。

なお、ヤベェ性癖を克服する前の喬に銃を教えてる時、シゲさんはだいぶヤベェ目にあってる気がするんですが。さすがに殺されはしないけど、やることめちゃくちゃやってそう。今度ただただこの二人で銃撃ってはやりまくるだけのヤオイ(やまなしオチなし意味なしの本来の意味)書いたろうか。はっはっはっ。

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