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Sin.co -Re:The Ultimate Sin- main tales

背 中

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 あいつは嫌いだ。
 なんでいつもあんなに仏頂面なんだろう。
 普段はあんまり喋らない癖に何かというと俺に口やかましく説教する。
 それも、すぐに父さんを引き合いにだして。
 頭に来る。
 きっと、あいつも俺のことが嫌いなんだ。


 だから───
 

 俺は、あいつが大嫌いだ。

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「ひとりで来たんですか?どうやって?」
 紫は呆れ顔でまだ自分のへそのあたりまでしか身長のない少年を見下ろした。
「チャリで。文句あんのか」
 背後で若いチンピラたちが吹き出している。紫は更に呆れて嘆息した。
 

「……椎多さん」
 

 椎多は顔をまるで真上に向けるようにして紫の顔を睨みつけると、ぷいっと背中を向けチンピラ達の輪の中へ向かった。
「待ちなさい。自転車で一体何分かけて来たんですか」
「うるさいなあ、1時間21分だよ」
 子供のこぐ自転車の速度でなら比較的速い方だが、そういう問題ではない。事故の危険もさることながら、椎多は嵯院七哉のひとり息子としてどこから狙われてもおかしくない子供なのだ。
「その間にあんたにもしものことがあったらオヤジにどれだけ迷惑をかけると思ってるんですか」


「オヤジオヤジってうるせーんだよ!そんなに父さんがいいならおまえが父さんの息子になりゃいいだろ!」
 

 思わぬ反撃に紫は二の句を告げず一瞬黙ってしまった。チンピラどもが堪え切れずに爆笑する。それをきつく睨みつけると紫は眉間に思い切り皺を寄せて目を閉じると大きくひとつ息を吐いた。
「……わかりましたよ。好きになさい。但しなにか痛い目にあっても自業自得ですからね」
「まあまあ紫さん、帰りはオレら送っていきますから。度胸があって将来楽しみじゃないすか」
 チンピラの中でも年下に属するだろう若者が椎多を手招きしながら笑った。
「──度胸があるのと無鉄砲なのとは違う。なにか起きてからじゃ遅いんだぞ」
「賢太、そんなおっさんほっとけよ!」
 椎多が背中を向けたまま叫ぶ。もっとも紫はまだおっさん、と呼ばれるような年ではない。賢太は苦笑して紫に小さく頭を下げ、椎多の頭を押さえるようにして座らせた。輪を作った若者たちが花札やカードを取り出しながら、1時間21分の小さな冒険について色々訊ねている。
 それを見やって紫はもう一度大きく嘆息すると自分の席に戻り、煙草に火を点けた。

 椎多の母親がわりをしていた七哉の愛人が殺されたあと、七哉は新しい愛人が出来るたび椎多を預けたりしてみたものの、何故か椎多はその誰にもなつこうとしなかった。それならば専用のベビーシッターでも雇えばいいものを、七哉がそうしなかったのは──心の何処かで実は普通の家庭のようなものを欲しがっていたのではないかと紫は思う。
 結果的にはそれは叶わなかった。どの女も二度と椎多の母親がわりになることはできなかったのだから。

 遂にそれを諦めた七哉は、どこへでも息子を連れ歩くようになった。将来自分の跡を継げる人間になってもらいたいという気持ちも少しはあったのだろう。会社で会議のある時でもそこに座らせていたし組事務所へも頻繁に連れて来ていた。


 癇が強くて生意気な子供はしかし組の若い連中には格好の玩具だったのだろう。入れ替わりたちかわり椎多の遊び相手になってやっているうちにいつか、七哉がここへ椎多を連れてくると椎多は自分からその連中の輪の中へまっすぐ向かうようになっていった。しかしまさか一人で自転車をこいでまで来るとは思ってはいなかった。


 組の人間と馴染むのは悪いことではない。しかし馴染むといっても限度もある。いつか椎多はこの連中の上に立つ人間になるのだ。それから、もうそろそろ自分の立場というものを解らせてもいい頃だろう。自分がいかに危険にさらされた場所に生きているのかということを。そうしなければ──『何かが起こってからでは遅い』のだ。


 もっとも、それを七哉に進言したところで先程賢太が言ったようなことを言って笑い飛ばすのだろうという予想がついてしまう。それが紫の頭痛の種でもあった。

──子が子なら親も親だからな……いや、
──親があれだから息子がああなのか。

 苦笑するしかない。とりあえず帰りに人をつけてやることくらいしか紫にできることはなさそうだった。

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 ペダルを踏みながらちらりと時計を見て、椎多はうきうきしていた。
 今日こそ1時間をきってやる。
 道に慣れてきたこともあって事務所へ到達するタイムを更新していくのが椎多は楽しくて仕方ない。
 行く度に紫に睨まれるのは頭に来るけれど、若い連中も、それどころか爺さんたちも喜んで遊んでくれる。若い連中はいつも新しいゲームを教えてくれるし爺さんたちは父の若い頃の武勇談を──手のつけられないやんちゃ坊主であった事であるとか──聞かせてくれる。会社のおっさんたちもそれはそれなりに面白いのだが、こちらの方が断然面白い。


 ペダルをこぐ足に力が入る。障害物を高速のまま避けるのも随分上手くなった。上機嫌で鼻歌まじりに風を切る。汗ばんだ身体に風が気持ちいいい。

 一瞬、何が起こったのか理解できなかった。

 

 スローモーションのように視界が反転してゆく。空を飛んでいるのかと思った。
 実際、何メートルか飛んでしまったようだ。
 地面に叩きつけられて息が止まる。
 

「……ってぇ」
 暫く倒れたまま動けずにいたがようやく身を起こしてみると、脚と腕に酷い擦り傷が出来ていた。全体に血が滲み、深いところからは血が流れている。顔をしかめて身体を動かしてみる。どうやら幸い骨を折ったりはしていないようだ。しかし強かにあちこちをぶつけたので全身が痛い。
 首を傾げながら自分と随分離れた所に投げ出されている自転車を見る。あんなに派手に転ぶような障害物でも踏んでしまったのだろうか──そう思ったとき、前輪に不審なものを発見した。さほど太くない、しかし決して細くはない針金のようなものが奇妙に変形して前輪のスポークに巻きついている。
 これを巻き込んで、前輪が突然止まってしまったのだ。しかし、それはあまりにも不自然だった。
 よろよろと自転車の前まで行き、座り込んでそれを見つめる。


 突然、視界が暗転した。
 

 真っ暗で息苦しい。何が起こったかわからずに戸惑った瞬間、ひょいと身体を持ち上げられた。咄嗟に抵抗すると、頭を強く殴られた。


──やばい。
 

 そう思った時には、持ち上げられた状態のまま手足を縛られていた。

 車に乗せられて暫く走った。
 どうも頭から何か黒い布袋のようなものを被せられたらしい。その袋越しに、こもった声が聞こえる。犯人はどうやら最低二人はいるようだ。会話している。
 車から降ろされる時に縛られた手足のまま思い切り暴れてやった。転んだ時の傷や打ち身が痛いがそうも言っていられない。相手を何発か蹴飛ばしたり殴ったりしたと思ったあたりで、腕に鋭い痛みを感じた。
「鎮静剤くらいで効くか?このクソガキ。お坊ちゃまかと思いきやとんでもない暴れん坊だぜ」
「まあいい、それでしばらくそのへん転がしとけ。それより電話はしたのか?」
「あっちは信用しなかったけどな。もう一度電話して、声でも聞かせてやるさ。なに、あいつらにとっちゃはした金だ。ぽいっと出すに決まってる」


 悪党どもの声が、聞き取りにくいなりに椎多の耳に入ってくる。なんのことはない、誘拐されてしまったのだ。
 

 それからぼそぼそとした声が延々と聞こえていたかと思うと徐々に声が鮮明に聞こえ始めた。こちらに歩み寄りながら電話しているらしい。
「……社長さん?どうもいまいち信用してないようだから今から可愛い息子さんの声を聞かせてやるよ」
 電話の向こうは父なのか。ぎっと唇を噛み締めると、身体をうつ伏せに押さえつけられた。頭から被されていた布が緩んで少しだけ持ち上げられる。
「ホラ坊ちゃん、おとうさまだ。泣いて助けてーとでも言いな」
 片方の男が笑いながら口元に受話器を押し付けてきた。
 その瞬間を待っていたように首を伸ばし受話器を持つ手に噛み付く。
「痛ぇっ!」
 男は受話器を取り落とし、腹立ち紛れに椎多の顔を蹴飛ばした。身体が固定されているために首を強く振られて一瞬意識を失いそうになる。しかし椎多は取り落とされた受話器に向かって叫んだ。

「金なんか絶対出すなよ!出したら負けだぞ!!」

 

 電話の向こうで父が何かいったのかどうかはわからない。いや、それが本当に父だったかどうかもわからない。
「このガキ……」
 手に噛み付かれた男の、怒りにぶるぶる震えた声が聞こえる。
「どうせ最後にはぶっ殺すつもりだったんだ!殺しちまえ!!」
 鼻先まで捲り上げられていた袋を振り落とす。その瞬間、押さえつけられていた体がふと軽くなった。咄嗟に身を転がして逃れると、目の前に男が一人ふっとんできた。
 まばたきをする間もなく、もう一人の──噛み付かれた──男もふっとんでくる。見ると──

 紫が、立っていた。

 

──何で。
 椎多はただ目をぱちくりとしてそれを凝視めていた。
「しーちゃん、大丈夫か?」
 いつの間に入ってきていたのか、賢太が側に座って縄を解き始める。あとで聞いた話だが、椎多が事務所に向かったと聞いた賢太が途中まで迎えに来て、幸運にも誘拐現場を目撃したのだという。すぐに後を尾けて──車の後を自転車で追ったのだからたいしたものだと椎多は思った──到着場所を確認してから紫に連絡をとり、その到着を待っていたのだ。


「首謀者はどっちだ」
 気の小さいものならそれだけで震え上がってしまうような声で、紫は言った。ゆっくりと拳銃を取り出し銃口を向けると男達は引き攣った顔を見合わせ、小さく首を振る。
「首謀者は生かしておいてやる」
 そう言うと男達は争って俺が、俺がと言い出した。紫は嘆息すると、片方の男へ銃口を移す。
「どちらでも同じようなものらしいな」


「紫さん!子供の前っすよ!!」
 

 賢太の叫び声と、銃声が同時に聞こえた。
 後頭部が破裂した仲間を、電話をかけていた方の男が呆然と見ている。恐怖の為か顔色が紙のように真っ白になっていた。


 椎多は──息を呑んで、しかし目を逸らすことなくそれをじっと見ている。
「そいつを車に放りこんでおけ」
 賢太に向かってそう指示すると、賢太はひどく不服そうに立ち上がり、椎多を振り返りながらそれに従った。それを見送ると紫は初めて椎多の前に足を運び、しゃがみこんだ。


「……俺が、怖いですか?」


 椎多は、しかし紫の目をじっと睨みつけたまま首を横に振った。
「あんたのこれから生きていく世界っていうのは、こういうところなんです。わかりましたか」
「……………」
 ふと視線を逸らすと紫は床に転がったままの受話器を拾い上げ、耳に当ててみた。どうやらあのまま切れずに放置されていたらしい。受話器の向こうと二言三言交わすと、それを椎多の前に差し出した。

 父の声が、耳に飛び込んできた。

『椎多か。怪我はしたのか?』
「……チャリで転んだから」
『そうか。まあ、そんなもんはすぐ治るさ。さっきの、ちゃんと聞いてた。かっこよかったぞ』


 父の笑い声が聞こえる。つられて椎多も笑った。
「絶対負けるなって父さんがいつも言ってるんじゃないか」
 また笑い声が聞こえた。椎多は受話器を紫に向かって差し出し、肩を上下させてゆっくりと深く呼吸をしている。紫はまた短い会話をして電話を切った。

「さて、帰りましょうか。手当てもしないと。立てますか?」
 黙って立ち上がろうとした。が、どういうわけか膝が笑って立つことができない。懸命に立とうとすればするほど力が入らなかった。それどころか、全身が小刻みに震えている。


 怖かった、などとは口が裂けても言えない。
 

 溜息をついて、背広を脱ぎそれを椎多に羽織らせると紫は背中を向けて座った。おぶされと言っているのだろう。
 黙っていると、ちらりと振り返って言った。こんなときでもいつもと同じ仏頂面だ。
「とっととおぶさらないと抱っこしますよ」
 椎多は少し眉を寄せて呆れたような、困ったような顔をすると小さく吹き出し、這い上がるようにその背中につかまった。


 紫はかなりの長身だから、立ち上がると椎多の視界は見た事のないような高さになる。
 血の乾いてしまった擦り傷が引き攣れて痛いけれど。

 背広に残った体温と、背中から直に伝わる体温が全身を暖めている。いつのまにか震えは止まっていた。

 椎多は紫の首に回した腕にきゅっと力を込めると、ようやく安心したようにそこにもたれかかった。

 

「余計なことしやがって。あんなやつら、最後には俺がやっつけてやるつもりだったのに」
「殺されるところだったんですよ?オヤジがどれだけ心配したと思ってるんです」

 

「……やっぱり、おまえなんか大嫌いだ」

 

 紫は小さく軽い椎多の身体を少し揺すりあげると、こっそり苦笑した。

*the end*

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*Note*

「椎多の大嫌い」=「大好き」はおっさんになっても変わりません。

​つーかこの大嫌いって、結局父さんにヤキモチやいてるだけなんだよね……まったく………。

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