Sin.co -Re:The Ultimate Sin- main tales
Merry Christmas
そもそも、クリスマスというのが何を祝う行事なのかがよくわからない。
いや、知識としては知っている。しかしキリスト教徒でもないのに、お祭り騒ぎをする必要などないではないか。街の喧騒を見ていると何だかばかばかしくなってきて紫は七哉にばれないようにこっそりと溜息を落とした。
当の七哉はお祭り好きなので、由来はどうあればか騒ぎのできる行事は大歓迎らしい。今日も取引先の企業主催のクリスマスイベントに招待されていた。付き合いだといいつつ楽しそうなのは間違いない。案の定、思ったより遅くなってしまった。
一旦屋敷へ向かい、運転手を下がらせて紫が替わりに運転席に座る。そのままリカと椎多の待つ家へ向かった。それは、今日に限らず七哉がその家へ「帰る」時のいつもの手順である。
「この時間じゃリカももう寝てるかもしれんな」
七哉がぽつりとこぼした。
「もっと早く終わったらなあ。サンタの格好でもして椎多を驚かせてやろうかと思ったのに」
独り言のように言ってくすくす笑っている。
『今日はどうせ遅いんでしょ?七さんもこっちに来るかわかんないよね?』
今朝紫が出かける時、リカはそう言っていたので確かに既に真夜中といっていい時間の今となっては七哉の言う通り先に休んでいるかもしれない。
家に入るといつものように玄関の電気を残して部屋の灯りは消えていた。
廊下に暖房は届いていないせいか、寒い外から入ってきたにもかかわらずどこかうっすら寒く感じた。
「しょうがないなあ。とりあえず椎多の枕元にプレゼントだけでも置いといてやるか」
少し残念だったらしく、七哉はつまらなそうに言ってリビングのドアを開けた。リビングには、小ぶりのクリスマスツリーに飾った電飾だけが寂しげに点滅している。その頼りない灯りに、テーブルに伏せている人影が浮かんだ。それが2人の気配で顔をゆっくり上げる。
「おかえり七さん、紫」
少し寝惚けたような声でリカが笑った。
「ちょっとうとうとしちゃった」
「風邪ひくぞ。寝ていてもよかったのに」
溜息をつきながら、しかし嬉しそうに七哉も笑った。
「椎多は寝てるのか」
「うん、それがね……」
返事を濁しながら、リカは笑いを堪えている。
ふとわきを見るとその椎多がソファの上で猫のように丸くなって眠っていた。話し声で目が覚めたのかもそもそと起き上がり欠伸をしながら目をこすっている。父と紫の姿をようやく認めたのかじっとそれを見つめていたかと思うと、寝ぼけ顔が不機嫌そうな膨れ面に変わっていった。
「椎多、ただいま」
やっぱりサンタの扮装をしてもよかったとでも思っているのか、苦笑しながら七哉は腰を屈めた。その父に向かって椎多は膨れ面のまま口を開いた。
「おとうさんのばあか」
七哉が目をぱちくりとまばたかせていると、椎多は視線をふいっと逸らし、自分の何倍もある身長の紫の顔をじっと見上げる。それからその足元にやってくると、向う脛を小さな拳でぽかりと殴った。何をするのかとその小さな手をじっと見ているとひっくり返りそうになりながら紫の顔を見上げて睨んでいる。そして不機嫌そうだった顔を妙に得意げな顔に変えた。
「ゆかりだぁいっきらい」
めいいっぱい口を大きく開いて一音一音発音すると椎多はぷいっと背中を向けた。途端にリカがぷうっと吹き出し笑い始めた。
「りか、ねるの」
椎多はリカの元まで戻るとその袖を引っ張って言った。
「りかもいっしょにねるの!」
リカはまだ笑っている。はいはいと従いながら振り返るとちょっと待っててね、と目で合図しリカは部屋をあとにした。
「……何で俺が」
困惑した顔で紫が呟いた。幼児の言動の脈絡がまだ理解できていないらしい。七哉も苦笑してそのままソファに腰掛けた。テーブルの上には酒と、少し小洒落たオードブルのような肴が並べられている。折角のクリスマスだからと準備してくれていたのだろう。
「こんなに遅くなって悪かったかな……」
珍しくそんな反省の言葉を口にしている七哉を、紫は少し複雑な気分で見つめる。
そうしているうちにリカが戻ってきた。
「すぐ寝付いたよ、しーちゃん」
リカはまだ笑っている。
「何がそんなにおかしいんだよ」
七哉の問いにすぐには答えず、食事は済んでるんでしょ、飲む?などと言いながらリカは氷や水を用意し始めた。釈然としないまま酒を紫とリカにも注いでやる。
「メリークリスマス」
キリストの誕生がそれほどめでたいとは決して思わないが紫もとりあえずグラスを合わせた。
この日本でも、こうして意味もわからずクリスマスをそっと、暖かく過ごしている家族がたくさんいたのだろう。
紫は七哉に拾われて初めて、変則的とはいえ家庭らしきものを経験した。今でも妙にむず痒いような居心地の悪さを感じることもある。しかし例え擬似体験でもこんな団欒は紫にとって唯一の真実であると言えた。
電灯を点けずに、ツリーの電飾だけの中で静かに時間は過ぎている。
ふと、今見ている光景はどこかにいるいまだに孤独な野良猫でいる自分が見ている夢なのではないかとさえ思えた。
「しーちゃんねえ」
紫のぼんやりとした不安を、リカの笑いを堪えた声がかき消した。
「ついさっきまで起きて待ってたんだよ。おとうさんは帰ってこないかもしれないけど、紫は絶対帰ってくるって思ってたみたい」
先ほどの椎多を思い出したのかリカはまだ笑い続けている。
「ケーキ食べようって言ってもね、紫が帰ってくるまで待ってるってきかなかったの。どうせ紫は甘いものなんて食べないのにね」
多分、紫はひどく困った顔をしていたのだろう。つられて七哉までが笑い始めた。
「ひどいな。おとうさんは待っててくれないのか」
「七さんはいつも帰ってくるわけじゃないもん。紫はよっぽどじゃなきゃここに帰って来るでしょ──紫」
七哉を軽くいなして紫のグラスに酒を足してやりながら、リカはまた笑った。
「しーちゃんの『だいきらい』は『だいすき』と同じ意味なの」
車の後部座席で椎多は鼾をかいている。
クリスマスに名を借りたバカ騒ぎで飲みすぎたのだろう。
既に会社を継いで2年ばかりは経っているものの、年に1,2度はこうやって気の置けない相手と──大抵組の若い連中と相場は決まっているが──大酒を酔いつぶれるまで飲んでいる。日頃鬱憤もたまっているだろうからたまにはこういうのも仕方あるまいと紫はさほど制止するつもりはない。
屋敷に到着して揺り起こしても意味不明の言葉を発しただけで起きはしなかった。
仕方なく、引きずりだすように車から降ろし、背負って部屋まで運んでやる。
ベッドに下ろそうとすると今度は紫の背中にしがみついて離れなかった。
「椎多さん、離して下さい」
指を1本ずつ解きながら言う。途中で力のバランスが崩れたのだろう、いきなり椎多の身体は紫の背中からベッドへダイブした。その拍子に目が覚めたのか──まだ泥酔状態ではあるが──椎多はげらげらと笑い始めた。
「紫、やろ!」
無視して紫は洗面所へ足を運び、タオルを絞って椎多の顔の上に落とした。それからグラスに冷たい水を汲んでサイドボードへ置く。
「ちょっと酔いを醒ましておやすみなさい」
タオルをずらすと椎多は急に不機嫌顔になり、紫の腹あたりを目掛けて蹴りを入れた。
「つまんねえヤツ。だからおまえなんか大嫌いだって言うんだ。もういい、とっとと出てけ!」
紫は小さく溜息をつくと、頭を下げて言われた通り部屋を下がった。
椎多の酔い具合や機嫌はともかく、こういうことは日常茶飯事だ。たいして気にすることではない。
もしもリカがそこにいたなら、こう言っていただろうに。
──しーちゃんの『だいきらい』は『だいすき』と同じ意味なの。
*the end*
*Note*
「椎多の大嫌い」=「大好き」はおっさんになっても変わりません。(2回目)
リカには3歳の時から看破されていたよ、しーちゃん…。