Sin.co -Re:The Ultimate Sin- main tales
アクセル
「おい、紫。出かけるぞ。車を出せ」
いきなりドアを開けて飛び込んで来たかと思うと七哉は言った。
「……車を出せって、ここまで車で来たんじゃないんですか」
「あーもうつべこべ言うな。とにかくちょっと紫を借りてくからな」
周りの人間に宣言して七哉は既に紫の袖を引っ張り組事務所から出ようとしている。
「旦那様、屋敷に戻ってますよ」
ここまで七哉を乗せてきた運転手はこんなことは慣れてでもいるのか平然としたものだ。それに七哉は手を振って応えた。
「くみちょー、紫さんばっかずるいっすよ。今度自分らも遊んで下さいねー」
入り口近くでたむろしていた若い連中が冷やかし半分に声を掛ける。
「おう、今度な。美味いもんでも食いに連れてってやるよ」
背後に小さな歓声が上がるのを紫が少し睨みつけているが七哉はそんなことはおかまいなしだ。
「……それでどこへ?」
観念したように車に乗り込もうとすると、その手を抑えて七哉はすました顔で運転席に乗り込んだ。
「……七さん」
紫がしまった、という顔をしたのを見て七哉はしてやったりと笑う。
「まあいいからそっちに乗れ」
「あんたの運転じゃ命がいくつあっても足りないよ」
失敬な、と笑う。渋る紫を何度も促して、漸く助手席に座らせると玩具を与えられた子供のように目を輝かせて七哉は車を出した。
「頼むから街中では安全運転で頼むよ……」
聞いちゃいない。夜の街並みを猛スピードで駆け抜ける。
七哉は運転が下手なわけではない。むしろ上手いのだが荒っぽい。紫は昔死ぬような思いを何度もさせられたので出来るだけ七哉には運転させないように心がけている。しかしもう三十代後半にさしかかった──そして、普段は運転手が運転する安全な車に乗って移動するようになった今でも、七哉は時折こうして発作的に車を飛ばしに来るのだ。
街中を抜けて車が減ってくるといよいよスピードをあげていく。
「あんた、自分の立場がわかってるのか?事故でも起こしたらどうするんだよ」
「事故が怖くて車に乗れるかよ!」
「……」
手がつけられない。そう言うさなかにもカーブや曲がり角でぶつかりそうになるギリギリまで曲がらなかったりしてその度に肝が冷える心地がする。普段無表情な紫が多少でも顔色を変えているのが七哉は面白くてしかたないらしい。
「心配するな!まだおまえと心中する気はないから!」
「こういう心中の仕方は嬉しくない」
いつのまにか車は山道に入っている。それをスピードを落とすどころかますます上げて走る。
「七──」
目の前に急カーブ。その先は崖。
曲がりきれない、と思った。
──落ちる!
反射的に紫が七哉を庇おうと身を浮かせた瞬間、車は止まった。
完全に道路をはずれている。
「……何やってんだ?」
七哉は、くすくすと笑っていた。
フロントガラスから覗きこむと、もう車の先の地面が見えない。その下は確かに崖になっている。
「──いいかげんにしてくれよ」
「おまえには怖いものなんかないと思ってたけど、やっぱり車だけは怖いみたいだなあ」
「あんたの車限定で怖いんだよ……これじゃ守るにも限界がある」
楽しげに笑っていた七哉が、ふと笑い声を止めた。
「……何もかもぶっ壊したくなることって無いか?」
ハンドルに腕をおいて前を覗きこんだまま、七哉は呟いた。
「何かを作り上げて、こんどはそれを守って。そういう生き方は実のところ俺には向いてないんじゃないかと思うよ」
「……何を言ってるんだよ、今さら」
嘆息し、助手席のシートにもたれかかる。ネクタイを緩めシャツのボタンを2つ3つ外してもういちど大きく息を吐いた。七哉は少し笑っているようだった。
「事業を大きくしたりするのも面白いんだけどな。無性に何もかも捨ててしまいたくなることがあるんだ……俺自身の人生でさえ」
「それは困る」
紫の声に七哉はようやく紫を振り返った。身をハンドルに預けたかっこうのまま首だけがこちらを向いている。
「あんたが何を捨てても、何を壊してもかまわない。でもあんた自身は俺が守るから、絶対壊させない」
七哉はまたくすくすと声を出して笑いだした。
「バカじゃないのか」
七哉の笑う振動がもたれかかったハンドルに伝わり、それが紫のもとへ届く。
「バカでけっこう」
「──紫」
片手を伸ばし、七哉は紫の頭をぽんぽんと2回叩いた。合図のようにその腕をゆるくつかまえる。
ゆっくりと引き寄せて唇を重ねていくと、つかまえた腕の先端が髪の中へ潜り込む感触がした。
触れているところから、全身に熱がひろがっていく。
髪にしのばされた指がそれを掴んで引っ張り、ようやく唇が離れた。七哉は笑っている。
「おい、ここでか?」
その短い言葉も最後まで言わせず再び塞ぐ。七哉もそれ以上異議を唱えることをしない。指を紫の髪から離すと襟元から服の下へ差し入れ、背筋をなぞった。ひんやりとした手と袖口の感触が背中の素肌をくすぐっている。
「───七さん」
小さいけれど熱を帯びた声で呟くと、七哉はくすぐったげに肩をすくめもう片方の手を紫の腰に回した。
「帰りはおまえの安全運転で、俺は後ろで寝てることにするよ」
押し殺した笑い声が紫の耳を撫でて消えてゆく。
是非そうしておいて欲しい、と思うと微かに笑いがこみあげた。
*the end*
*Note*
かなり初期に(「紫」あたりを書きながら)まだ特に設定とか決まってなかった時にいやでも紫さんと七さんて絶対出来てるよな…と思って書いたやつ。やっぱ出来てましたやん、っていう。これはまだそういう関係になってからそれほど何年も経ってなくてラブラブが新鮮だった頃ですね(なんだそれ)