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Sin.co -Re:The Ultimate Sin- main tales

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​家 族

 すぐ背後に足音。一人ではない。数人。
 時折、荒い息遣いも聞こえる。
 頭の後ろから視界に何本かの手が伸びた。
 払いのけるとまるで腐った枝のようにぼとぼとと落ちる。

──怖い。

 

 どこかで、笑い声が響いている。
 払いのけても払いのけても手が何本も伸びてくる。そして──

「おい、紫!どうした!」
 目を開けるとようやく自分がひどい叫び声を上げていたことに気付いた。
 視界に入ってきたのは、あの気持ち悪い何本もの手ではなく、七哉とリカの心配そうな顔だった。
 まだ息が乱れている。全身が汗でぐっしょりと濡れていてひんやりした。
「……怖い夢でも見たのか。大丈夫だ、もう誰もおまえをつかまえたり殴ったりしない」
 答えることも出来ずにまだ警戒するように身体を丸める。リカが台所へ引っ込んだと思ったら、暫くして湯飲みをひとつ持ってきた。
「甘酒。体があったまったら眠れるから」
 紫は体を固く丸めたまま首を横に振った。七哉は溜息をついて肩を竦めると、その甘酒を盆ごと紫の枕元に置かせる。
「冷めたら美味くないぞ」
 それだけ言うと七哉は微笑み、自分の寝床へ戻った。

 七哉やリカが、自分には危害を加える存在ではないと。
 頭では理解しつつある。けれど、まだ追いかけられている。沢山の足音、伸びてくる手。捕らえられれば最後──


 そんな夢を繰り返し見る度に、思うのだ。
 

 自分の身は自分で守らなければ。
 誰も助けてなどくれないのだから。

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 注意深く、きょろきょろと室内を見回す。
 純和風というのだろうか。紫はこんなつくりの部屋に初めて入った。
 広い畳敷きの部屋には家具らしい家具は見当たらない。床の間という言葉を紫は知らなかったけれど、そこにはなにやら難しげな文字の躍っている掛け軸が下がっていて、他にも何かを祀っているような道具が並んでいた。縁側から障子を通して早春の柔らかい光が差し込んでいる。


「おいおい、そんなに固くなるな。別にそのへんから忍者が出てくるわけじゃないぞ」
 苦笑しながら七哉が頭を軽くぽんぽんと叩いた。目の前には厳しい顔つきの年配の男が座っている。がっしりとした体格で、七哉よりひとまわり大きい。胡座をかいて自分の膝で片肘をついた七哉とは対照的に、両手を腿の上に置きぴしりと背を伸ばして正座している。


 ここがどこで、この男が七哉とどういった関係があるのか、まったく聞かされていなかった。
 ただ、近頃夜もひどく遅い時間に帰ってきたり時には帰ってこなかったりすることの多かった七哉が、朝起きるなり紫に荷物を──とは言ってもほんの数枚の着替え程度だが──まとめさせてろくな説明もせずここへ連れてきたのだ。

「……これがあの時の子供ですか」
「ああ。今は紫と呼んでる。まあ、まだこんな調子だが随分ましになった方だ」
 七哉とその男の会話によれば、この男は自分の事を知っているらしい。


「それで、この子をここで預かれと?」
 

「そろそろ他の人間にも馴らさないと学校にも行かせられないし大人になっても仕事も出来ないだろ」
 男はほう、と感心しているのからかっているのかわからない調子で何度か頷いてみせる。
「この子が大人になるまで面倒見てやる気になったんですか。それはそれは」
「宇佐」
 男──宇佐を睨みつけると七哉は視線を紫に一瞬投げた。
 

 七哉が紫を見る目は、いつも同じだ。
 優しいけれど、どこか同情を含んでいる。
 七哉のもとにやってくるまで、紫にそんな視線を投げる大人は誰一人いなかった。一瞬優しいかと思えばすぐに豹変する者も少なくなかった。優しくしたり、同情したりする人間は必ずその代価を要求してきたのだ。
 だから、七哉とリカがどれほど自分に優しくしてくれても、きっと何か裏があるに違いないのだと思う。
 初めて七哉とリカの部屋で目覚めた時、自分はこいつらに買われたのだと思ったものだ。あの、自分を追い回して蹂躙していった多くの野蛮な男や女どもと同じように──


 しかし、もう季節がいくつも変わる程そうやって七哉とリカの部屋に暮らしてきたけれど、一向に二人の態度が豹変することはない。
 では、何故彼らは自分を手元においているのだろうか。
 何の役にも立たない、厄介なだけの子供を。

──ここで預かれと?

 先程の宇佐の言葉が蘇った。
 ああ、そうか。
 俺はあの部屋からこの屋敷へ移されるのだ。
 やはり、手に負えなくなったか、面倒になったか、それとも飽きたのか。
 いずれにせよ、七哉は自分をあの部屋から追い出そうとしているのだ。


「紫、聞いてたか?いい子にして宇佐のいうことをよく聞けよ。心配しなくてもこんなおっかねえ顔してるが根は優しいおっさんだからな。それに千代の飯は美味いぞ」
 ぽんぽんと──いつものように頭を叩くと七哉は立ち上がった。
 考え事をしている間に肝心の会話を聞き逃していたようだったが、あえて聞き直そうとは思わなかった。
「七さん──」
 小さな声で呼ぶと、目でその動きを追う。

──俺がいらなくなったのか?

 とは、口には出さなかった。


 七哉はそんな紫の口に出せない言葉に気付く様子もなく、安心させるようににっこり微笑むと今度は紫の頭を少し乱暴に撫でて、時々来るからな──と言って立ち去った。


 そんな約束は、紫を安心させるものにはならなかったけれど。

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「紫、いい子にしてた?」


 まだ、宇佐の家へ移ってから数日も経っていないのに、リカの弾んだ声がひどく懐かしいものに思えた。
「ほら、大学いも作ってきたの。あんた、口には出さないけどこれ好きでしょ。千代さんの方が上手だろうけどたまにはあたしのも食べてよね」
「あら、紫ちゃんはわたしの料理よりリカちゃんのお料理の方が好きみたい。まだ遠慮してるのかあんまり食べてくれないのよ」


 包みを解くリカの指と、茶を出す千代の手を見比べて紫は居心地悪そうに座り直した。
 宇佐は所用で外出している。
「こら。育ち盛りなんだからお腹一杯食べないと大きくなれないよ?千代さんのごはんを残したりしたらばちがあたるんだからね」
 リカは明るく笑うと紫の額を指で小さく弾いた。その痕をさすりながら紫はやはり黙っていた。
「七さんがね。今忙しくてなかなか紫の様子を見に行けないから心配だって。心配かけないようにしようね」


 紫はおそらく困った顔をしていたのだろう。
 確かに困惑はしている。
 自分は、七哉に捨てられたわけではないのか──


 七哉とリカは自分の面倒を見きれなくなって宇佐や千代におしつけたのだとばかり思っていた。それが日を追うごとに、否、分を刻むごとにじわじわと紫を孤独と絶望の淵へ追い詰めようとしていた。そんな時にリカが、紫の知っているのと全く変わらない明るく華やかな笑顔を振りまいて訪ねてきたのだ。
 あと数日リカが訪ねてくるのが遅かったら、紫は七哉とリカを憎み始めていたかもしれない。そして、この家を飛び出していたとしてもおかしくなかった。

 だから──
 リカ自身はそうと知る由も無いが、絶妙のタイミングで紫を掬い上げたといっていいだろう。


 リカは、さほど長居をするでもなくやはり華やかな笑顔を残して帰って行った。
 無理やり千代に連れられて玄関まで出ると、リカは何度も振り返って手を振っている。角を曲がってリカの姿が見えなくなるまで見送った。
「……紫ちゃん、寂しい?」
 千代の優しい声に何度か目をまばたかせると紫はその顔を見上げた。

──寂しい?

 その言葉が、どういう感情を指すものなのか。紫にはぴんとこない。
 小さく首を傾げて首を横に振ると、紫は千代を置いて屋敷の中へ駆け戻った。

 寂しい?
 
 やはりよくわからない。
 じっとそれを考えながら何気なく台所へ足が向かった。リカの置いていった大学いもがまだ残っている。リカの言った通り、自分はあの菓子が気に入っているらしい。


 台所を覗くと、若い組員が数人の包みを開いて摘み上げては口に放り込んでいた。
「可愛いよなあ、あの子……。ムネはちっちぇえけど」
「あ、俺でけえのよりちっちゃいめのが好き。ああいう女とやってみてえよなあ」
「ワカサマの女だぜ?命懸けだ」
「夜のおかずにするくらいいいだろ」
 指についた大学いもの蜜を丹念に舐り取りながら男達は下品な笑い声を落とす。不意に、一人が台所の入口で立ち尽くす紫の存在に気付いた。
「なにガンとばしてんだ」
 不快そうに顔を歪めると男は野良猫を追い払うように手を払った。紫はかまわず組員たちをじっと睨みつける。


 リカを、ひいては七哉を辱められたような気がした。そして、そんなことが自分をそれほど不快にさせていることが奇妙に思えた。


「ガキの癖に何偉そうにしてんだっつってんだよ。若の客だか宇佐さんの客だか知らねえが調子こいてっと痛え目にあうぞ」
 子供だと思ってなめてはいるのだろうが、凄んでもまるで怖くなかった。それが更に気に食わなかったのだろう。一人が紫に向かって手を伸ばそうとした。それに対抗すべく反射的に身構える。

 その瞬間。

 伸ばそうとした手がいとも簡単にきりきりと捻り上げられるのが見えた。
「──宇佐さん……っ」
 外出から戻ったのだろう。そこに宇佐が立っている。
 馬鹿野郎、と一喝すると宇佐は捻りあげた組員の腕を投げるように離し、じろりと睨みつけた。
「七哉さんの客であろうがなかろうが、うちで預かった以上うちの身内だ。身内で自分より弱えもんに手え上げようなんてお前らそんなに根性が腐ってるのか」
 静かだが凄みのある声。若い組員たちは顔色を変えて腰が直角になるほど頭を下げる。
「わかったらこんなとこでつまみ食いしてねえで庭の掃除でもしてろ!」
 大慌てで走り去って行く男たちを見送りながら、紫は少し不満そうに宇佐を見上げた。それを見て宇佐の表情がほんの少し緩む。
「おい、助けてもらって礼もなしか」
「……」
 助けてもらったなどとは思わない。仮にあのままあの男が自分に殴りかかってきたとしてもそれをかわして逆襲することなど紫にはわけもないことだった。
「不満そうだな。あんなやつらには負けねえ、か?んなこたわかってる」
 宇佐はそう言いながらまだ少し残っている大学いもをひとつつまんで口に放りこんだ。うん、美味いな、と呟きながら最後の一つを紫に差し出す。その場に座らせると宇佐は自ら茶を汲みに行った。


「……お前の身のこなしを見てりゃ、あいつらがお前にかなわねえことくらいわかるさ。だが、お前はまだ手加減するってことを知らねえだろう。下手したら殺しちまうかもしれねえ。そうなってみろ。いくら七哉さんの意向でも俺はお前をここにおいてやるわけにはいかねえ。子供がやったこどだと見逃しちゃあしめしがつかねえからな。わかるか。俺はあいつらとお前と、両方を助けたつもりだ」


 もぐもぐと口の中の芋を噛み締めながら頷くでもなく紫は宇佐の顔を見つめている。
「身内でそんな揉め事は起こしたくねえ。七哉さんも悲しむぞ」
「身内──」
「そうだ。俺はお前も、さっきのあいつらも──あいつらもな、まだまだなっちゃいないが本当は気のいいやつらなんだぜ?……とにかくあいつらも同じ家族だと思ってる。七哉さんはまあ……まだオヤジという年でも貫禄でもねえが、七哉さんがオヤジの大家族だ。お前もその家族の一員なんだからな」


「……俺も?」


 不思議そうに聞き返した紫の言葉が、宇佐は何故か可笑しかったらしい。厳つい顔を皺だらけにして笑いながら宇佐は何度も大きく頷いた。

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 紫はもともと頭の回転のいい子供だった。七哉のもとへやってきた時にはニュアンス程度にしかわからなかった日本語も問題なく理解できるようになったし、全く読み書きできなかった文字も今ではおそらく同年代の子供よりよく解っている。
 しかし言葉の意味は理解できても、情緒面でついていけないのはいたしかたないことだろう。
 家族だ──と言われたところで、そもそも「家族」というものがどういうものかを知らない紫にとっては理解の範疇を越えていた。かろうじて解るのは現在は宇佐を頂点としているらしいこの集団は自分に対して危害を加えるものではないらしいということくらいだ。


 宇佐の家に移って数週間も経過すると、宇佐は紫を何度となく組事務所と呼ばれる場所へと連れて行くようになった。
 そこには、屋敷に起居する者たちの何倍もの組員が絶えず出入りしている。若いのもいれば年配のもいる。見ている間に、これが全部「家族」なのか──と思うと少し眩暈がした。

 ふと、自分が虐待の限りを尽くされたあの集団を思い出した。
 

 思い出すだけで身震いがするが、ひょっとしてあれもそういう「家族」だったのかもしれない。ただ、自分は「その一員」ではなかったのだ──

 宇佐は、まだ来てまもない自分を「家族の一員」だと断定した。ならば、この中にいれば少なくとも自分の身を守る為に常にぴりぴりと警戒する必要はないのかもしれない。
 家族の一員という感覚が実感できないまでも、徐々にではあるが、警戒を解くということを紫は覚えはじめていた。

 警戒──といえば、この数日というものこの「家族」の中に奇妙な緊張感が流れている。そういう空気には紫は敏感だ。
 外敵に対して警戒しているような緊張感。
 しかし、誰もそれを紫に告げることはしない。組員たちから見れば、紫は生意気とはいえただの子供だ。仮に厳戒態勢であったとしてもそれを子供に話すような者はいなかっただろう。

「今日は七哉さんがこっちに来られるそうだ。久し振りだろう」
 言い終わると同時に宇佐は吹き出して笑った。
「そうか、嬉しいか」
 自分が嬉しそうな顔をしているとは思っていなかったので紫は急にばつが悪くなり口を尖らせて俯いた。それを見て宇佐は更に笑う。
 笑いながらしかし、宇佐もやはりどこか緊張の糸を巡らせているのがわかった。
「──そろそろだな」
 時計を何度も見ながら宇佐は事務所の玄関口へ足を運んだ。外に車の止まる音がする。
 紫は宇佐の後をついて事務所の外へ出た。他にも数人の組員が連れ立って迎えに出る。
「紫、お前は中に入ってろ」
 宇佐は何故か何度もそういって紫を押し戻そうとする。それを聞かず宇佐の体の陰から首を伸ばすと七哉が車から降りるのが見えた。


「おう、紫!元気にしてたか?!」
 

 紫の姿に気付いたのだろう。七哉は大きく手を振って見せた。
 七哉は紫があまり見たことのないような背広にネクタイ姿で、髪もきちんと整えている。ゆっくり車を降りるとこちらへ向かってきた。紫は黙ってそれを目で追っている。自分が想像していた以上に安堵感が広がっているのが紫には不思議で、胸の奥が少しくすぐったい。

 しかし次の瞬間──


 紫は、びりっと感電したようにあたりを見回した。
 反射的に体が動く。まるで本能のように、紫は物陰に飛び退った。
 破裂音が一瞬聴覚を奪う。

 聴覚が戻った時、紫が見たのは数人の組員が何処かへ向かって駆け出し、罵倒しながら誰かを取り押さえているところだった。

──七さんは?

 心臓が波立っているのを抑えながら先程七哉が立っていたあたりに目を移す。
 そこには、宇佐が倒れていた。

──否。

 宇佐が、七哉に覆い被さっていた。
 

「おい!宇佐大丈夫か!!」
 七哉の声が聞こえた。
「組長、こっちは押さえました!今のうちに中に!」
 誰かの声が聞こえる。
 それを合図に、宇佐はのっそりと起き上がるとうってかわって素早く七哉を立たせ、自分の陰に隠すようにして事務所へと移動した。
「紫、早く入れ」
 小さく、叱るような口調で紫に声をかけ、それに気付いた紫が素早くその後を追って事務所に入るのを確認すると自分が一番最後になって扉を閉める。
 そのまま、足早に事務所の奥へと進む。七哉が宇佐を引っ張るようにしてソファに座らせた。
「……やられたのか」
「ああ、掠っただけです。ご心配なく」
 見ると、宇佐の腕に血の染みができている。しかし、言葉通り幸い掠った程度のようで、血の染みている袖のあたりが小さく焦げているに留まっていた。
「本気でタマ取りにきたわけじゃありません。ハッタリですよ。本気で戦争する気ならさっき表に出てた俺ら全員やられてました」
「なんだ、タレコミでもあったのか」
「ま、蛇の道は蛇でね。それにしてもあんなチンピラが簡単にハジキなんぞ使うようになっちまったんですねえ。嫌なご時世だ」
 背広を脱ぎ、ああ、こないだ作らせたばっかりだったのに、とこぼしながら宇佐は更にシャツの袖を切り取って自分で自分の傷を消毒し始めた。時折顔をしかめるものの、まるで転んだ擦り傷の手当てをしているような顔をしている。あとは若い組員が包帯を巻いて救急箱を持ち退室する。


「……ムチャしやがって。おまえに何かあったらウチは大変だろうが」
 大きな息を吐きながら七哉が独り言のように呟いた。
「俺が七哉さんをお護りするのは当然でしょう。組を七哉さんにお渡しするまえにもしものことがあったら俺は死んだオヤジに合わす顔がありませんよ」
 豪快に笑うと宇佐は包帯の上から傷を摩った。つられて七哉が少し安心したように笑う。


 紫はそれをじっと黙ったまま見つめていた。
 

「若、リカさんからお電話っす」
 ノックの音と同時に呼びかける声。七哉はそれにおう、と返事をして部屋を出た。
 ドアが閉まるところまで目で追うと、視線を宇佐に戻す。それに気付くと宇佐は大きな手を延ばして紫の頭を撫でた。
「びっくりしたか」
 首を横に振る。ややあって、紫は口を開いた。


「怖くなかった?」
 

 宇佐は意外そうに目を一瞬見開くと厳つい顔を優しく微笑ませた。
「お前はまだ自分を守るのが精一杯だ。だけど、本当に強い男ってのはな、自分以外のものをちゃあんと護れる力を持たなきゃならねえ。自分の大事なものを護れて、初めて一人前の男だ。その為に体を張ってもいいくらい大事なものを、お前も持たなきゃならねえよ」

 大事なものを護る──

 自分以外のものを守ることなど、考えたことも無かった。
 まして、自分を盾にして他の人間を守るなど──

「……出来るのかな、俺に?」
 例えば──
 さっき、宇佐が当たり前にそうしたように。
 七哉を護ることが─

 紫の言葉に、宇佐はにっこり笑って頷いた。
「お前は強い子だ。おまえが七哉さんを護ってくれりゃ俺も安心して隠居できるってもんだよ」
 紫もまた、宇佐の言葉に頷いた。

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 まだ、家具を入れていない新しい部屋。
 七哉は子供のようにあちこちのドアを開けて歩いている。


「紫、来てみろ。こっちの部屋はおまえにやるぞ」


 はしゃいだ声。
 紫が呼ぶ声に応えて顔を出すと、以前リカと3人で暮らしていたアパートの部屋より大きな部屋だった。


 どうやら、この家は七哉が購入したらしい。
 夜が遅くなったり、紫を宇佐に預けたりした間、七哉は事業を起して奔走していたのだという。
 時代も良かったし商才もあったのだろう、あっという間に七哉はこんな家を購入できるほど大儲けをしたようだ。


「こんなもんじゃないぞ。そのうち、お城みたいな豪邸に住ませてやる」
 この家でも充分広いじゃないか、と紫は思った。
 忙しくなったことでただでさえまだ人慣れしていない紫の側になかなかいてやれないのは紫にとってもあまり良くないだろうと考えて宇佐に預けることにしたのだが、広い家に引っ越した事だし宇佐によれば紫も随分人に馴れたらしいというので七哉は紫を再び呼び戻すことにしたのだという。

 捨てられたのでも厄介払いされたのでもなかった──

 それがひどく嬉しかった。


 おそらく、紫が「嬉しい」という感情をきちんと意識したのはこれが初めてだったのだろう。


「七さん──」
 紫は、窓を開けてまだ子供のように外を眺めている七哉の背中に向かって言った。
「うん?なんだ紫」

「俺、もっと強くなる。強くなって七さんを護る。七さんと家族を」

 

 七哉は顔全体で笑うと、手を伸ばしてまだ細い肩を抱き頭をいつものように軽く叩いた。
 もう、伸びてくる手に怯える必要はない。
 仮にその手が自分を害そうとしているものだったとしても、そんなものに怯えていては大事なものは護れない。
 もう、あの夢を見ても夜中に叫びながら飛び起きる必要などないのだ。


 深呼吸をすると七哉の顔を見上げる。
 七哉はその顔を見下ろすと驚いたようにそれを覗き込み、更に満面の笑みをこぼした。

 

「紫──初めて笑ったな」
 
 自分が今作っている表情がどうなっているのかわからないが、七哉が言うならそれは笑っているのだろう。
 胸の奥が、またくすぐったくなった。 

 


*the end*

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グリーンアイド猫

*Note*

かわいいね!紫ちゃんかわいいね!!!!(クソデカ声)

​あと、宇佐さんさあ、とっとと七さんに組を引き継いで隠居するとかじゃなくもうちょっと長く組の面倒見てくれてた方が絶対良かったよね。康平も宇佐さんにだったら従ってくれたんじゃないだろうか。

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