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Sin.co -Re:The Ultimate Sin- main tales

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 動物に例えるなら賢太はサル、圭介はウシだなと思う。勿論干支の話ではない。
 しかし、訓はどんなにからかいのネタにしようと思ってもドーベルマンだとか格好のいい動物しか出てこない。
 もうひとり、ドーベルマンのような男を知っているが、それは本当に主人には忠実だけれど獰猛で可愛げがない。それに比べれば訓は憎たらしいことも言うがよく笑うし愛想もいい。負けているとすれば年齢と身長くらいだ、と思う。

「しーちゃん、連れてかないよ」
 わざとうんざりしたように賢太が言った。
「そうそう、もし危ない目にでもあったらどうすんの。おとしまえつけさせられんの俺らの方だよ」
 太い腕を組んだ圭介が同調する。
「危ない目になんかあうもんか。けちけちすんなよ」
 不満を顔いっぱいに表現した椎多が2人を睨みつける。背後からくすっと笑い声が聞こえた。
「いいじゃん、連れてってやろうよ。どうせ今日は居酒屋で飲むだけだろ」
 少し下がったところで煙草をふかしていた訓が面倒くさそうに笑っていた。
「サトルはおまえらと違って話がわかるな。おまえらが嫌ならいいぞ。サトルと行くから」
 椎多はすたすたと近付くと訓の腕を掴んで歩き始める。引っ張られながら二人を振り返ると訓は肩を竦めて笑った。

 学校では優等生で通っている。
 教師のおぼえもいい。クラスの人間ともそれなりにうまくやっている。気取った良家の子女が集まる学校の中でつっぱっている程度の子供っぽい不良たちなど、陰で一度立ち上がれないくらい叩きのめしてやったら誰も逆らわなくなった。
 同級生どころか下級生やあろうことか上級生の女からも言い寄られたりするのだが、同じ中学の女などと付き合ったらあとあと面倒そうなので軒並み全部断っている。どれかを選んで付き合おうとするから確執がおこるのであって、断るなら全部断ってしまえば面倒なことにはならない。それにこれという女がいないのも事実だ。

──退屈だなあ。

 父と一緒に会社の会議に出たり、組に顔を出して若い連中と花札でもやっている方が断然面白い。が、退屈で面白くなくても世間にいい顔をする練習だと思えば仕方ない。
「普段そうやっていい子にしてるんだからたまには遊んでくれよ」
 言葉は可愛いものだがなかば脅迫するように組の若いものの遊びに無理矢理参加したりしているのが近頃の椎多の日課になっていた。
 賢太たちよりもっと年の近い者たちもいるのだが、どうも組長の息子の遊びに付き合わされるとなると腰が引けるらしくもうひとつ面白くなかった。その点、賢太たちはぶつぶつと窘めながらも適当に遊んでくれる。格好の遊び相手だった。

 煙草の煙で充満した狭苦しい店は満員だった。
「店は小汚いけどめしが旨いんだよここ」
 圭介がカウンター越しに渡された皿を椎多の前に置いている。並べられた瓶ビール。椎多の前にも生意気にグラスが置かれている。
 賢太と圭介はそれぞれの彼女について話に花を咲かせていた。訓はそれには加わっていない。椎多は賢太と訓の間に座っていたので自分の左と右を交互に見ていたが、訓に席を交代するように言ってみた。席が離れているから話に加われないのかと椎多なりに気を使ったつもりである。
 きょとんとしたかと思うとああ、と苦笑し訓は椎多の頭をくしゃくしゃとかき回した。そして少し声を顰め、内緒話をするようにその頭を引き寄せる。
「ほら、俺彼女いないからさ。どっちみちあの話には入れないんだよ」
「サトル、もてそうなのになあ。あいつらよかよっぽどかっこいいじゃん」
 やはり内緒話のように言うと椎多はくすぐったそうに笑みをこばした。

 この三人が10人近い人数と喧嘩をしているのを見たことが一度ある。
 圭介は体が大きく腕力もあるから殴ったり投げ飛ばしたりすれば大抵の相手は一度でその場に倒れる。賢太は鉄パイプを振り回して一度に数人を薙ぎ倒したりしていた。木刀など長い得物が得意なのだという。。
 訓はというと、少し後ろでポケットに手を突っ込んで見ていたかと思うとその2人が前線で取りこぼした敵の相手をしていた。
 要領がいいというのだろうか。
「相手が自分たちより人数が多かったら確実に全員倒せるように全体を見とかねえと駄目だろ。やるなら徹底的にやんねえと」
 訓はそういって笑っていた。
 圭介や賢太は訓のそういうところはよくわかっているらしく、怒ったり卑怯者呼ばわりしたりすることはなかった。

「ははん、サトルは小狡いから女が寄ってこないんだな」
 にやにやしながら訓の耳をきりっと引っ張る。
「寄ってこないんじゃないの。寄ってくるのを俺が追っ払ってんだよ。そこんとこ間違えないでくれ」
「好みがうるさいんじゃねえの?」
「ま、そんなとこかな」
 ははは、と声を立てて笑うと訓はグラス一杯満たされていたビールを一気に飲み干した。
「いい男はつらいねえ」
「生意気な事言うなあ。しーちゃんもいい男になれよ、あんまり女泣かしちゃ駄目だぞ」
 グラスが倒れそうな勢いで椎多は大爆笑している。それを横目でくすくす笑いながら訓は自分のグラスにビールを注ぎ足した。そのついでに椎多のグラスにも注ぐ。

「いけねえなあ、大事な御曹司に悪い遊びを教えちゃあ」

 背後から野太い男の声。
 一斉に振り返ると椎多を除く3人は感電したように立ち上がった。
「荻原さん」
 荻原と呼ばれた男は豪快に笑うと椎多の頭を手荒く撫でた。三人は緊張で固まっている。
「坊、こんなケチな店で飲むことばっかり覚えちゃいけませんぜ。酒も女もまずは一番上等なのを味わっておかねえとつまんねえとこで満足するようになっちまう」
「ケチな店で悪かったな」
 カウンターの向こうで店主が濁声を上げている。顔は笑っているのでおそらく古くからの馴染みなのだろう。
「おまえらもま、坊に怪我でもさせねえ程度にしとけよ。今日の勘定は俺につけとけ」
「ご馳走様です!」
 三人は荻原が店を出てゆくのを姿勢を正したまま見送り、姿が見えなくなってようやく腰を下ろした。
「ああ、びっくりした。荻原さんがここ出入りしてるなんて俺ちっとも知らなかったよ」
 賢太が汗を拭きながらビールを喉に流し込んでいる。椎多は何か興醒めしたようにち、と舌打ちした。

 荻原は七哉より年上で、高級品をこれ見よがしに身につけていつもいい女を連れて歩いている。今日のようにひとり、ということのほうが稀だ。映画やテレビで見るような絵に描いたようなヤクザだと椎多はいつも思っていた。装飾品に関しては父もたいがい趣味が悪いと思うが、荻原の趣味の悪さは笑えて来るほどだ。連れて歩いている女はたいてい何処かのクラブの若いホステスで、露出の高い服に冬なら何百万とするような毛皮を身につけさせている。妻とは離婚したとかで今は独身だが身の回りの世話を焼くような女には事欠かないらしい。
 そんなに魅力的な男には思えないのだが、女から見たらなにかあるのかもしれない。単に金にモノを言わせているだけなんじゃないのか、と椎多は思っている。
 あの男の豪快そうな笑いの向こうには、何かいやらしい自己顕示欲や権力欲やそんなものが見え隠れして仕方ない。
 

 つまるところ、椎多は荻原のことがあまり好きではないのだ。


 笑いながら立ち去った荻原の背中を苦々しい表情で見送ると椎多は自分の前に置かれたグラスのビールを呷った。ふと横を見ると訓はまだ荻原の消えたドアを──おそらくはドアの向こうに見えなくなった荻原の背中を──まだ見つめている。
「……サトル?」
 指で頬をつつくと漸く我に帰ったように訓は何度かまばたきをして椎多に視線を移した。何かを誤魔化すようなぎこちない笑いを浮かべている。
「荻原がどうかしたのか?」
「──どうか、って?」
 聞き返されると何が聞きたいのか自分でもよく判らずに言い澱んでしまった。


「……俺、あいつなんだか虫が好かない」


 呟くように言って、椎多は訓の目を見た。いつも冷たいほど静かな目の奥に何かが動いた気がする。
「心配しなくてもしーちゃんが組長になる頃にはもう引退してるよ」


 訓にしては気の利かない答えだ──と思ったが椎多はあえてなにも言わなかった。

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 背中から回された手がボタンをひとつずつ外していく。
 三つ目のボタンを外しかけたところで訓はその手を遮った。
「どうした」
「ここ、嫌なんすよ香水臭くて……それも色んなのが混じってるから……」

 肩に顎を乗せて訓の顔を覗き込んだ格好で荻原はくつくつと喉を鳴らして笑っている。
「このベッドは他のいろんな女が使ってるから嫌、か?可愛いこと言うじゃねえか」
「……」
 荻原の手は容赦なく訓のシャツの下の素肌を侵食していく。
 

「坊とは仲良くやってるようだな。いいことだ。せいぜい仲良くして差し上げろ。そろそろいい頃だとあちらも言ってる」


「……荻原さん、やっぱり俺……」
「ん?俺の言うことが聞けねえのか?誰のおかげでここまで来れたと思ってるんだ。それに……」
 すでに荻原の手は別の生き物のように訓の身体のあちこちを這い回り、着衣の殆どを剥ぎ取っていた。口は喋ったり笑ったり肌の上を這ったりと忙しい。抵抗することを放棄した訓の身体は荻原の好む通りに反応し始めている。


「おまえの身体の方が俺には逆らえねえと言ってる」
 

 訓は香水臭い枕に額を押し当ててぎりっと唇を噛んだ。

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 椎多の通っている学校は、所謂エスカレータ式の名門校で名家の子女が集まっている。そのせいか、始業・終業時刻になると送り迎えの車があちらこちらに見えるのは日常の風景だった。
 送り迎えなんていらないのに──と椎多本人は言うものの周りが許してくれない。実際誘拐されたこともあるのでそのあたりは徹底していると言えた。もっとも、父は世間知らずはよくない、自分の好きにやらせろと言っているらしい。
 その日も見事に優等生を演じきった椎多が帰路につこうとすると、車を停めて待っていたのはいつもの運転手ではなく──


「……サトル?」
「おつとめごくろうさんです」
 くすくす笑いながら頭を下げると妙に改まった服装の訓は車のドアを開けた。
 中には──
 荻原が座っていた。
「坊、今日もよく勉強してきましたか」
 椎多は苦虫を噛み潰したような顔をして車に乗り込み、荻原の言葉には返事をしなかった。


「今日はなんだ」
 荻原にではなく、運転席の訓に話し掛ける。
「坊に会わせたい人がいるんですよ」
 訓ではなく荻原が返事をする。
「坊、坊って五月蝿いな。ガキ扱いするな。俺にはちゃんと名前がある」
「そりゃあ失礼しました、椎多さん」
 笑っている荻原の声がどうにも自分を馬鹿にしているようにしか聞こえない。椎多は荻原の顔を見ることもしなかった。
「なんだか椎多さんには嫌われているようですな。訓よ、どうにかとりなしてくれんか。おまえは椎多さんとは仲がいいだろう」
 運転席から訓の苦笑する声が聞こえた。
 嫌われているということは自覚しているらしい。
「しーちゃん、荻原さんはこれでもしーちゃんの先々のことを色々心配されてるんだよ」
 訓の声に椎多は妙な違和感を感じた。が、ひとつ思い出すと漸く納得する。


 訓が杯を受けたのは荻原からだった、らしい。直接の兄貴分が荻原になるわけだ。賢太や圭介とひと括りで考えていたので今まで忘れていた。


「先々ってなんだよ。別に心配することなんか無いだろ」
 色々と考えを巡らせながら会話を続けた。やはり会話の相手は訓に定めている。
「まあ、その話はこの後ゆっくりとね」

「……降ろせよ」

 椎多はむずむずと居心地が悪くなってきた。身の危険こそ感じないが、何か嫌な陰謀に巻き込まれそうな予感がする。
「俺は今のままでやっていける。心配なんかしなくてもちゃんと親父のあとくらい継いでやる。口出しすんな──サトル、車停めろ」
 車は停まらない。
「停めろ、サトル!」
 初めて訓がほんの少し、振り返った。
 荻原の顔色を見ているのか──それでも訓は車を停めなかった。
「……坊に手荒な真似はしたくないんですがね…」
 そう言うと荻原は自分の鼻と口をハンカチで押さえ、椎多の鼻先に何かスプレーのようなものを吹き付けた。

「……荻原さん、それはやりすぎなんじゃないんすか」
 窓を開けながら訓が呟く。
「おまえはつべこべ意見しなくていい」
 ぐったりと力の抜けた椎多を自分の膝の上に横たわらせると荻原は口を押さえていたハンカチでぱたぱたと空気を払った。

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「お目覚めですか」
 ぼんやりした視界の向こうに、趣味の悪い金ピカの腕時計が見えた。

──くっそう、身内だからって油断した……

 顔を顰めながら身を起こす。どうやらひどくクッションのきいたソファに寝かされていたらしい。霞を払うように頭を振ると鈍く痛んだ。
「ってめえ……どういうつもりだ……」
「すみませんねえ、坊…椎多さんが騒がないでいて下さったらこんな真似はせずにすんだんですが」
 荻原が笑っている。
「どこだ、ここは」

「どこでもありません。あなたのお家ですよ」

 女の声がした。
 ゆっくりとその声の方に顔を向ける。


 ぞくり──と反射的に体が強張った。
「なんて顔をしているの。お母様の顔を忘れたのかしら」

 忘れるものか。
 俺の首を絞めていた女の、鬼のような顔を。
 

──喉に声が張り付いてその言葉は音にならなかった。

「同じ家に住んでいるというのに、あなたの顔を見たのはもう何ヶ月ぶりかしら。お母様はあなたのことを忘れたことなどないというのに」

 しらじらしい。
 俺は知っているぞ。
 俺の首を絞めただけじゃあきたらず、何度も俺の命を狙っただろう。
 

──それも言葉にならなかった。

「ひどい言葉遣いをしているのね、嘆かわしい。やはりあなたはわたくしの手元で育てるべきだった」

 放棄したのはお前の方だ。

 

「でも、今からでも遅くはないわ。椎多さん、あなたはわたくしがお腹を痛めて産んだ大事な子よ。わたくし、あなたの将来をとても心配しているの。単刀直入に言います。野蛮なやくざなどとは縁を切ってちょうだい」
「奥様、野蛮は酷うございますな」
「あら荻原、おまえは身なりの趣味は良くないけれどまだ紳士的だとわたくし思っているのよ」

 気分が悪くなってきた。

 

「ねえ椎多さん、あなたのお父様のやりかたでは今に人から憎まれて失脚するのは目に見えているわ。お母様といっしょに支えて差し上げないこと」
 そろりと女の痩せた指が伸びてきた。反射的にそれを払いのける。

──息ができない。


 まるで、いまだにこの女の骸骨のような手が首に食い込んで締め付けているように。
 懸命に息を吸い込む。呼吸というのはどうやってしていたのか判らなくなりそうだ。額には冷たい汗が滲んでいる。
「……どうしてそんな目をしてお母様を睨むの。あなたやっぱりあの男の子ね。あなたの中にはわたくしの血も流れているというのにそんな目で……」

 そんな目──

 そう言った女の目は氷のように冷たかった。そして、まるで汚物でも見たような嫌悪感に満ちた目だった。
 

「……俺には母親はいない」
 

 漸く、それだけを口にすることができた。
 肩で息をしながらよろよろと立ち上がると、椎多は振り向きもせずドアに向かう。
「お待ちなさい!」
 女の金切り声が聞こえた。耳の奥にこびりつくような嫌な声だ。
「坊、もうちょいとよく話をお聞き下さいよ」
 腕を掴んで引き止める荻原の手を振り解くといっそ視線で射殺せればいいとばかりに睨みつけた。
「荻原──おまえ、寝返ったな。親父にようく言っておいてやる」
「坊!」
 ばたん、と力任せにドアを閉じる。
 確かに、ここは屋敷内だ。


 自分の家に連れ帰られるのにわざわざ薬品を使われて──

「っちっくしょう……」

 先程からの息苦しさと怒りと悔しさで頭がふらつく。
 それを持ちこたえながらよろよろと廊下を歩いた。
「──しーちゃん!」
 倒れそうになったところを後ろから支えられ、振り返るとそれは訓だった。ぱし、と音を立ててその手を振りほどく。
「……俺に触るな」
「しーちゃん」


「馴れ馴れしい呼び方をするな!おまえは──ダチだと思ってたのに!」

 

 あの女など最初から母親だとは思っていない。荻原ももともと好きではない。
 けれど訓のことは──

「くだらないことなら親父や紫に告げ口みたいな真似は俺はしない。だけどあいつらは親父を陥れようとしてるんだぞ。おまえもその片棒を担いでるんだろう。おまえは──裏切り者だ!」
「聞いてくれ、しーちゃん俺は──」


 力任せに殴った。
 訓は避けなかった。


「訓は俺の言うことには逆らえないんですよ、坊」
 低い、昏い声が聞こえた。
「ああ、こんなにふらついて。無茶するんじゃありませんよ」
 嫌な微笑を浮かべて荻原は椎多の体をなかば横抱きにしてすぐ脇の部屋のドアを開けた。空き部屋のドアは鍵が掛けられていない。
 後ろ手にドアを閉めると荻原は椎多を床に投げるように放り出した。
「荻原さん、乱暴はやめて下さい」
「うるせえ。おまえは口出しするな」
 きっと顔を上げて睨みつけると荻原の顔が目に入った。笑っているが怒りが溢れているようにも見える。


「ガキはガキらしくママの言うことを聞いてりゃいいのに。あんまりお利口すぎるとよくないこともあるんだぜ」
 

 がらりと口調が──声音まで変わっている。
 これがこの男の本性なのだ。
「あんたが素直に奥様側についてくれりゃ、会社はそのままあんたのもんだったのに。組は俺がもらうことになってたがな」
「親父を……消すつもりか。そんな事したっておまえが組を自由にできるもんか。親父がいなくたって紫も睦月もいる。おまえなんかあっというまに潰されるぞ」
 荻原はふん、と鼻で笑った。
「あんな若造どもにしてやられるもんかよ。だがあんたがこっちについてくれねえんならちょいと考えなきゃなあ。今オヤジや紫あたりに告げ口されたんじゃなんもかも水の泡だ」
 よろよろと立ち上がる。こいつは俺を殺す気だ──直感的に思った。
 荻原と、その後ろの訓を交互に見比べる。それに気付いたのか荻原は嘲るように笑った。
「ああ、訓はなあ、俺の言うことならなんでも聞くんだよ。ケツ出せって言えば黙って素直に差し出すくらいな」
 一瞬、訓に視線を移す。訓は紙のように白い顔をして椎多から目を逸らしたまま立ち尽くしていた。
「──サトル!」
「……しーちゃん、ごめんな」
 泣きたい気分になった。実際涙が滲んでいたかもしれない。しかしそれは怒りで頭に血が上っていたせいかもしれない。


「なんだよ!俺おまえのことけっこうかっこいいやつだと思ってたのに!全然かっこ悪いじゃねえか──!」


 子供っぽい罵倒だということはわかっている。けれど、何故か他に言いようが思い浮かばなかった。
 荻原の悪役らしい笑い声が響く。
「ガキにはまだわかんねえだろうなあ。こいつ、アレんときゃそりゃあいい声で鳴くんだぜ。……まあ、そういう味も知らずじまいなのは可哀想だが俺もてめえが可愛いもんでな。恨まないでくれよ。痛くないようにひと思いにケリつけてやるからよ」

 悪役の手には──拳銃。

 目を逸らして拳を握り締めていた訓がはっと息を呑んだ。


「荻原さん!それだけは──」
「ひっこんでろ」
 間に割って入ろうとする訓を押しのけ、荻原は照準を合わせ──
「しーちゃん、伏せろ!」
 声と同時に銃声が響く。耳が潰れるかと思った。瞬間閉じてしまった目を開くと訓が荻原に組み付きその拍子に荻原の手から拳銃がこぼれ落ちたところだった。

 

 おそらく、頭の中は真っ白だったのだろう。なかば無意識に──

 椎多は床に落ちて転がったその拳銃に飛びつき、荻原に狙いを定めていた。

 

「しーちゃん!駄目だ!」

 

 銃爪というのは──
 こんなに軽いものなのか──

 目の前へ訓が飛び込んできたのに驚いて手が強張った、その瞬間。
 自分がなにかに弾き飛ばされたのかと錯覚した。
 尻餅をついた椎多が見たものは、呆然とした顔でやはり尻餅をついている訓の姿。
 見慣れない普段より少し上等なダークグレーの背広に、黒い染みが広がっている。
「サトル──」
 体が痙攣しているかと思うくらいがたがたと震えだした。

「……大丈夫だよ、しーちゃん」

 訓の頬の筋肉が、笑っているように動いた。
「これは、事故だ。いいな、これは、事故、…」
 言葉が少しずつ途切れ始める。
「あんな人じゃ──なかったんだよ… …」
 笑いながら、泣いているようにも見えた。
 その全てが、夢の中のように現実感なく響いた。


「な……しーちゃん、…いい男になれよ……」
 

 咳込んでいるのか笑っているのか判らない息をごほごほと落とすと、訓は尻餅をついて前のめりに伏せた姿勢になり──

 動かなくなった。

──サトル。


 呼びかけようとしているのに、体ががくがくと震えたままで声のひとつも出ない。

 

「こんなに使えない人だとは思いませんでしたよ」
 聞きなれない声が突然椎多を現実に引き戻した。
 のろのろと首を上げると、いつの間に入ってきたのか一人の男が荻原を──荻原は既に昏倒していた──まるで人形でも抱えるように軽々と持ち上げて部屋から出ようとしているところだった。


「何だおまえは!」
 

 漸く、声が出た。と同時に体の震えが止まる。立ち上がり男に駆け寄ったが、とん、と軽く突き飛ばされ再び椎多は尻餅をついてしまった。慌てて再び立ち上がりドアの外を見たときには、男と荻原の姿は既に見えなくなっていた。


 おそらく──
 あれは、あの女の手の者だったのだろう。
 下手をうった荻原を、始末するつもりだ。俺を生かしておいたのはまだ利用できるチャンスが残っていると判断したのか──


 いずれにせよ椎多が事実を述べたところで荻原と訓が口を塞がれてしまえば何の証拠もないのだ。あの女は椎多に対して組と縁を切って欲しいとは言ったが何か陰謀めいた発言をしたわけではない。

 逃げられた。

 唇を噛み締めておそるおそる室内を振り返る。
 やはり、夢ではなかったのだ。そこには訓が先程と同じ姿勢で「座って」いた。


「サトル──」

 そうだ、誰かを呼ばなければ。
 まだ間に合うかもしれない。

 縺れそうな足を動かして部屋の外へ飛び出そうとして、何かにぶつかった。
「どうしたんです椎多さん、これは」
 見上げると声の主はやはりいつものように無愛想な顔をしていた。


「──紫──なんで」
「派手な銃声でしたからね」


 それだけぼそりと言うと紫はそのまま部屋へ入り、訓の身体を確認した。
「もう駄目ですね。一体何があったんです」
 言葉に詰まり、視線を泳がせるとドアの外にやはり駆けつけてきたらしい賢太と圭介が──後で聞いたのだがいつもの運転手でなく訓が椎多を迎えに行ったこと、まだ戻ったという報告がないことから屋敷や組事務所でいつでも動けるよう待機していたという──顔色を変えてその様子を見守っていた。


「……サトルは……」
 きゅっと唇を噛み締めると、椎多は泣きそうに困った顔をした。

「……俺がハジキ触らせろって言ったんだ。そしたらサトルがじゃあ弾を抜くって言って、触ってて」

「間違って発射してしまったというんですか」
 椎多は黙って頷いた。そして賢太と圭介に向き直り、言った。
「俺がつまんないこと言わなきゃこんなことにならなかったんだ。ごめん」


──これは、事故だ。


 訓はそう言った。
 殺意はなかったとはいえ自分が訓を撃ってしまった──それを隠蔽したいのではない。しかし真実を語ってしまえば訓は──
 訓を親友だと思っていた賢太や圭介は──


「椎多さん、なにか隠してるんじゃありませんか」
 紫の言葉に椎多は黙って首を横に振った。

 おそらく荻原はそのまま姿を消すことになるだろう。いや、もうすでにこの世にはないかもしれない。しかし荻原の名誉などどうでもいい。

 ただ、訓の最期に裏切り者のレッテルを貼りたくはなかった。

 自分さえ黙っていればそれは守ることができるのだ。

 椎多は自分の掌を開いてじっと凝視するとまるで真実を握りつぶすようにそれを固く結んだ。

 ちょっと斜にかまえながらいつもへらへらと笑っていた訓。
 あの笑顔の下で、自分の信じた男が変わっていってしまうのを──どうにもできずに苦しんでいたのかもしれない。

 俺にはまだそんな気持ちはわからない。

 でも。

「なりゃいいんだろ、いい男に」

 

 もう届かない声を、誰にも聞こえないようにこっそりとこぼすと椎多は訓に背を向けた。

 

*the end*

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*Note*

多分サトルってしーちゃんの好みのタイプど真ん中だったんだろうな!←

​これは、「銃爪」の「歌姫」という話の中に出てきた圭介と賢太の若い頃のエピを書こうというのが出発点だったと思う。あと、椎多は自分で手を下して殺したことどれくらいあったんだろうと考えてるうち、初殺人(なんやそれ)のことを書こうかと思ったよ。ちなみに椎多のDTもBVも喪失エピはいまだ書いていませんよ。男のお初は英二だったんだろうか…それもなんかやだな(何故)。女性のお初はなんとなくイメージは出来てるんだけど書く意欲が無いだけです。腐女子なので。

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