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罪 -7- ごっこ遊び

 屋敷のあちこちを探検するのがここへ来てからの日課になっている。


 昔からアパートだのマンションだの、ホテルだのそういうところを端から端まで探検するのは好きだった。立ち入り禁止の場所に入り込むのなどスリル満点でやめられない。
 そんなKにとってもこんなに探検し甲斐のある建物など初めてだ。
 だだっ広い上、一部は恐ろしく古い洋館で開かずの間は山ほどあるわ、そうかと思えば監視カメラなどが完備された妙に近代的な場所もある。まだそこまで手は回っていないが、この分なら怪しい地下室だの隠し部屋などもあるに違いない。そう考えるとわくわくする。
 さらに、屋敷内にはどこの国の国家元首でも滞在しているのかと思いたくなるくらい警備員が常にうろうろしている。かと思えば場所によっては別系統の警備員が仕切っているエリアがあって、この屋敷の当主に直接雇われている筈の自分でもそいつらが邪魔をすれば有無を言わせずそのエリアから退去させられるという障害物競走だ。あのエリアは外堀を埋めてから作戦を練って入り込んでやろう──

「おい、K!あんまり勝手にうろうろすんなって組長に言われてるだろ。っとにしょうがねえヤツだな」
 背後から頭を小突かれて振り返ると、見知った顔が少々苛々した顔で立っていた。その顔を見てKはぷっと吹き出した。
「あ、なんだ笑いやがったな」
「だって賢太さん、どこの葬式行ってきたのかと思って」
 賢太と呼ばれた若い男は思い切りKの頭をはたくと、居心地悪そうに口を尖らせた。普段はアロハやごてごてした派手な柄のシャツを着ている賢太が黒のスーツに身を包んでいるものだからKはその似合わなさが面白くて仕方ない。
「うっせえな。こっちの屋敷にいつもみたいな格好でいるワケにはいかねえだろ。組長はいいって言うかもしれねえが紫さんにどやされるぞ。おまえこそスーツ支給されてるだろ、着ろよ」
「だって俺が着たら七五三って言われるに決まってんだもん。やだね」

 Kが椎多に拾われたのは十六歳の時である。
 Kの養い親だった男が借金追われた挙句首を括り、さてどうしようかと途方に暮れていた時だ。現れた借金取りに同行していた上役の目に止まった。数人のヤクザを出し抜いて逃げようとした肚の据わった少年が興味を引いたらしい。

 それが「組長」であり嵯院椎多である。

 暫くは組の方で養われていたのだが、今回椎多の指示で組の若い者の中から賢太とKの2人が補充の警備員として呼ばれたというわけだ。

「これ、紫さんから指示の出てた資料。ぶらぶらしてんならおまえが届けろ。トレーニング室で今なんていったかあの女の子の訓練つけてる筈だから、ついでにおまえも鍛えてもらったらどうだ」
 賢太は手に持ったファイルでKの頭を三たびはたくとそれを押し付け、くるりと踵を返した。ちっと舌打ちし、ファイルを一旦空に放り投げる。


 面倒だが食わせてもらっている以上、最低限やるべきことはある。その程度の恩義は雇い主に対して感じている。なにしろ、毎日腹をすかせてどうしても食うものがなければどこかから盗んで食いつないでいたような生活からとりあえず三食は保障されている生活に格上げできただけでも有難いというものだ。

 それどころかこの屋敷に移ったら衣食住すべて完備、自分の財布を開くこともなく毎日豪勢な──使用人向けの普通の食事とはいえKにとっては豪勢である──食事が腹一杯食えるようになった。これで仕事くらいしなければ唯の寄生虫だ。
 ということは判っているのだが、Kは指示されたトレーニングルームへ向かうのに最短距離ではなく少し遠回りしてみる。
 大至急と指示されたわけではないし、多少の回り道くらい良いだろう。


 例の、別系統警備のエリアとの境界あたりまで行ってみた。
 紫をトップとしている嵯院邸の警備員はそれこそ要人のSPだかディスコの黒服だかのように黒のスーツを制服としているが、件の別系統の連中はいかにも警備員という制服を着ているからそれもすぐに区別がついた。最初はどこかの警備会社から一括派遣でもされているのかと思ったのだがあんな制服の警備会社は知らないのでオリジナルなのだろう。
 その制服の警備員が二人立ち話をしているのが見えた。
 ここらへんに『国境』があるらしい。
 国境警備員の一人が、自分たちを見ているKに気づいたらしくこちらに向かってきびきびと軍人のような直線的な動きで歩いてきた。
「何をじろじろ見ている。どこの者だ。嵯院には親戚の子供などいないと聞いているが」
「誰が子供だと?」
 そういえば自分は黒服を着ていないから相手には何者かわからないのだな、と気づく。癪に障るがKは同年代の青年どもに比べても背が低く童顔だから中高生くらいに見られるのはよくあることだった。首から提げたパスを指でつまんでちらつかせて威嚇するように鋭い視線を向ける。
「おまえにつべこべ言われる筋合いはないんだけど。なんだよ、偉そうに」
「──ここから先は我々が認めた者しか通さない。さっさと立ち去れ」
「うわぁ、意味わかんねえ」
 Kは相手の警備員をじろじろと観察した。まだ若い。自分よりは多少年上かもしれないが、随分偉そうな警備員だなと思った。こんな態度で、もし客人だったらどうするつもりなのだろう。しかしいかにも自分に厳しく真面目そうな若者だ。まっすぐにKを睨み付けてくる目を見て、ふとKは思いついた。

──こいつ、ひっかかりやすそうかも。

 足元でぱたぱたとリズムを取りながらKは少しずつ相手との距離を縮めるとその目をじっと覗き込んだ。相手がそれに怯んで後ずさる瞬間に、聞こえないような小声を漏らす。ついでに相手の身分証も覗き見る。相手は一瞬ぽかんとした。
 その顔を見るとKは満足げに微笑み──


「じゃあ、また今度な。『久しぶりに会った友達』なんだしゆっくり話したいし。な、『龍巳』」
「あ、ああ………」

 

 吹き出しそうになってくるりと背を向け、Kはファイルを肩に担いで軽快にその場を後にした。その一角を脱出すると堪えきれずに笑い出してしまう。

 Kが椎多に拾われたもうひとつの理由──

 養父がかつて主宰していたマジックショーの一部として叩き込まれていた催眠術。
 ステージでは大半はサクラを使った演出でのショーだったが、そこらの精神科の医者やカウンセラーなどよりよほど簡単に他人を『操れる』だけの術は持っている。それを椎多は武器として使えると判断したのである。
 先ほどの警備員『龍巳』は、これでKのことを『よく思い出せないが昔の友達』と認識した筈だ。次に会った時にはもう少し込み入った暗示を与えてみよう。それを繰り返していけば、うまい具合にあのエリアに入り込めるかもしれない。
 どこに身を置いていてもやはり何某か楽しい事がなければやってられない。Kはまた新しい遊びを見つけた子供のようにわくわくしながらトレーニングルームへ向かった。

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 回り道が過ぎたか、少し遅れてしまったがまだトレーニングルームに居るだろうか──?
 小窓から覗き込むと果たして紫は若い女性と格闘中だった。華奢な女がなかなかどうしてあの馬鹿でかい紫と対等にやりあっている。対等とはいっても、紫の方は手加減しているのだろうが。
 暫くその様子を見ていたがなかなか休憩のひとつも取らないようなので、仕方なくKはドアをノックして開けた。その音に一瞬気を取られたのか、女の方が紫に手酷く打ち据えられて床に落下するほどの勢いで倒れた。
「本番で格闘にだけ集中出来るとでも思っているのか。スポーツじゃないんだぞ」
 紫の凄みのある声が低く響いた。

──うわぁ、おっかねえ。

 

「あのう!」
 Kは一刻も早くその場を立ち去りたくて声を張り上げた。そこで初めて紫はKの方を振り返った。
「そんな大声を出さなくても聞こえる。何だ」
「賢太さんに言われて資料のファイル、持って来たんすけど」
 紫はああ、ご苦労、そこへ置いておけとだけ言うと女の方に向き直ろうとして再びKをちらりと一瞥した。
「K、おまえも普段から体を動かしておかないといざと言うときに役に立たんぞ」

──いや、勘弁して欲しいっす。

 

 だいたい、別に警護だか警備だか知らないがそんなものを担当させられるなんて寝耳に水で、自分としてはもう少し気楽な──これまで通り組にいて、テキ屋だの地回りだのをやってる方が性に合うのだ。勝手にこんな配置転換を言い渡されて迷惑この上ない。そもそも警護する対象である椎多より自分は体格が劣るのだ。警護の人間なんて、プロレスラーみたいな巨漢にやらせるものではないのか。度を越して長身の紫はともかく、自分や賢太やそこで訓練を受けている華奢な若い女みたいな小ぶりな警護では何人いても足りないんじゃないか──

 一度にそれだけの屁理屈が頭を掠めたが、口の減らないKでもさすがにそこまでは言えなかった。
「このあとまた賢太さんと組長に呼ばれてますんで、今日は遠慮しときます」
 うっかり今日は…などと言って、しまったと思う。これでは日をあらためてお願いしますと言っているようなものだ。いや、普通の人間なら辞退していると解釈してくれるだろうが紫の場合そこを強引にでも次回に繋げる解釈をするだろう。この男相手には断る時ははっきり断らねば──

「──桂?」

 女の声がして、Kの思考は中断された。

 

──ケイ、と言った。
 

 いや、『K』は椎多に拾われた時に、好きなアルファベットを一文字言えと言われて遊び半分のように適当に命名された妙なコード・ネームだ。
 それは自分の本当の名前ではない。
 まだ整わない息を懸命に抑えながら立ち上がった女は、よろよろとKの傍へ足を進め、じいっとKの顔を見つめている。
 美しい女だが、見覚えはない。しかし、女は驚いたような顔でなおも近づいてきた。そして、両手を差し伸べ──Kの手を取った。困惑したKがそれを振り払おうとしても、女はその手を離さなかった。
「桂ね?あんた、桂でしょう?」
「いや、俺の『K』はアルファベットの『K』で……あの、誰かと間違ってね?」

「ううん、あたしの弟の桂よ──間違いないわ!」

 女──柚梨子は握ったKの手を手繰り寄せ、抱きしめようとした。咄嗟にそれを避ける。若い女に抱きつかれるのが嫌いなわけではないが、これはなんだか妙な事態だ。柚梨子は寂しそうな嬉しそうな悲しそうな、とにかく複雑な顔をして目を潤ませている。
「……あんたはまだ物心ついてなかったから覚えてないよね──あたし、あんたのお姉ちゃんよ。間違いない、だってあんた、母さんにそっくりだもの」

 確かに──
 Kは自分の実の親を知らない。育ててくれたマジックショーの主宰が実の父親ではないということはとっくに承知していたし、何故かは知らないが自分が親と離れて育ってきたことは事実だ。だが、そんなに突然姉だとか言われてはいそうですかとも思えない。
「あたし、覚えてるわ。あんたの背中──腰のあたりに大きな黒子がひとつあるの。あるでしょ?」
「いや、そんなトコ自分で見れねえし」
「だから見せてごらんなさいよ!」
「うわ、ちょっと待てって!──ちょ!」
 構わず柚梨子はKの腕を掴みシャツの背中を捲り上げた。

「ほら。あるわ、ここに。間違いない。あんたは、小さい頃、あたしの──」

 柚梨子の言った通りの黒子がそこにはあった。すでに柚梨子はしゃくりあげるようにして泣いている。
「あたしの目の前でどこかの女に連れ去られて帰ってこなかった、あたしの弟の、桂だわ」
「連れ去られ──」
「ごめん、桂、ごめんね。お姉ちゃんがあんたの手を離したから──ううん、お姉ちゃんがあんたを連れて外へなんか出なければ──」
「そっか」
 Kはゆっくりと、それでも離そうとしない柚梨子の手をふりほどくと、まだ困ったように笑って頭を掻いた。
「俺、誘拐されたんだ?さすがにそれは知らなかったなあ。……でも、まあ、こうやってそれなりに生きてるしさ、そんな謝んなよ。謝られても俺、どうしようもないし」
「桂──」

 もしかしたら、その『桂』という名前が、幼い自分の頭の中にはずっと凝っていたのかもしれない。ずっと『憂也』という名で呼ばれてきたが、アルファベットと言われて咄嗟に『K』が出てきたのはその音が自分の名を指すのだということを無意識のうちに覚えていたからなのだろう。
 などということが頭を掠める。おそらく、この女の言うことは間違いではなく、自分はこの女の弟で、『桂』という名前だったのだ。

──とは言われても。

 

 今更あたしが姉さんよと言われたところではいそうですか、お姉さん会いたかったですという気分になどなる訳がない。
「──ね、桂。あんたの妹もここにいるのよ。あとで会わせてあげるね」
 柚梨子の声に、Kはこっそりと溜息をついた。
 助け舟を求めるようにそこに居る筈の紫に視線を移すと、紫は興味なさげにそっぽを向いてタオルで汗を拭っている。

──勘弁してくれよ。

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「──それはそれは、運命的な出会いだったわけだ。おまえたち、俺に感謝しろよ」


 椎多が苦笑しているのを見てKが口を尖らせた。対照的に柚梨子は何度も何度も頭を下げて礼を言っている。みずきは突然兄が出来て戸惑っているようだ。
「うん、そう言われてみれば憂也はみずきとどことなく似てるな。道理で可愛らしい顔だと思ったら母親似の女顔だったか」
 椎多は自分でKに『K』という名を与えておきながら、時折こうしてKのもとの名──Kがそう呼ばれて育った名を呼んでいる。
「気持ちわりいこと言うなよな……」
 呟いた小脇を柚梨子が肘でつついた。それを反射的に振り払う。一瞬生まれた気まずい沈黙。Kは居心地悪そうにぼそぼそと声を出した。
「……別に疑うとかじゃなくてさ、本当だとしても、俺この人らとは全然違う生き方してきたわけじゃん。きょうだいとか言われてもじゃあどうすりゃいい?もうみんなガキじゃないんだし、今までと何か変わる必要ないだろ」
「おい憂也、姉さんが悲しそうな顔をしてるじゃないか。そういうことは思ってても言わないもんだ。その程度の気遣いも出来ないとこがおまえはまだ子供だって言うんだよ」
「──組長だって中身はけっこうガキなくせに」
「桂、なんてこと言うの!」

 紫は椎多と3人のきょうだいの賑やかなやりとりを少し離れて見守っていた。

──子供ばかり集まってまるでごっこ遊びだ。

 

 『ごっこ遊び』、という言葉が頭に浮かんで言いえて妙だと思った。
 それを言うなら自分もずっと『ごっこ遊び』をしてきたのではないだろうか?命懸けのごっこ遊びだ。
 それは遊び相手が居なくなってしまえばもう続かない、独りではできないごっこ遊び──

 本文から遊離した思考を無理やり引き戻す。
 もとからいる中堅の者を含めても、いざという時に指揮系統に混乱をきたさず動くことが出来るのか。
 組の方でそういった事態に多少慣れているのと、椎多が子供の頃から親しくしてきて信頼関係が確立しているという理由で賢太を引き抜いたものの、まだ全体を任せるには頼りない。

 椎多は近頃周囲にそういった気安い面々を置きたがる傾向がある。Kにしても、柚梨子・みずき姉妹にしても年若く椎多にとって扱い易い人材であり、それはただの賑やかしに終わる可能性が無きにしも非ず、である。
 以前は外出するにも紫一人で殆ど事足りたので、社用で秘書や部下を伴う時以外は警護も運転も実質的な秘書業務もすべて紫がこなしていた。また、椎多自身も大勢の人間を伴うことを好んではいなかった。出来ることなら一人でうろつきたいのが椎多の本音なのだ。
 しかし今はぞろぞろと──研修的な意味合いがあるとはいえ──大勢の人間をうち従えて外出することが増えた。


 それが何を意味するのか。
 

 考えたくなくても近頃の紫の思考はいつもそこへ辿り着いた。何度考えても、同じ答えへ──

 自分の右手に視線を落とす。

 

 どこで──
 

 間違えてしまったのだろう?

Note

「K」もチャット仲間の一員のHNをもじったものなんですが、確かこの設定遊びやる前から彼はゆりこちゃんの事を「姉上」と呼んでいたので最初から姉弟として登場してます。TUSではもう最初からそういうことで出て来てたんだけど、ここはその前日譚を書いてる段階なので、彼らが別々に育っててここで再会したということにしました。「K」という呼び名がマストだったんで、シリアス書く中でコードネームなんて作るの気恥ずかしかったんだけどやむを得ず「K」に。彼には育ってきた時の名前「憂也(うきや)」という名前もあるんだけどこれは彼が別口でおサル、とかうきゃっ!とか言われていた名残です。龍巳もビジュイメージはご本人に近いんだけど、多分Kが一番HNモデルの人のイメージをそのままキャラに投影した感じ。

​スピンオフ群の中でもまだちゃんと書いてないけど、多分嵯院の秘書として対外的な場面では本当の本名「桐島桂」と名乗っていると思います。

​一方、TUSでは書いてない話の流れで、紫さんがそろそろヤバイ領域に入って来ています。

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