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孤 高

 2枚の写真パネルが並んでいる。

 一枚は鮮やかな橙の夕暮れ空。
 流れついたごみの山の間に立ちまっすぐに天を見上げている鷺。
 もう一枚は朝日を反射してきらきらと眩しい水面。
 川辺に繁る草の陰に潜む餌を獲ろうとしているのか、

 頭を下げてじっとその水面を見下ろしている鷺。

 汚れた川の水に身を浸しても、まっすぐ天をみつめているでしょう。

​ 綺麗な川の水の中に、生命の源を鋭く追っているでしょう。


 汚れた水でもごみの間に立っていても凛と立っていられるけど、
 やっぱり綺麗な水辺で生きるのがこの子の本来の姿だと思うんですよ。
 それでも餌をみつけて懸命に生きようとしてる。

 どちらも孤高な姿だ。

 どちらも──あなたに似てる。

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「寝台車が到着しました。お運びします」

 知らない誰かの声で、我に返った。
 一瞬、夢でも見ていたのかと思ったが、目の前の光景は変わらなかった。

「嵯院さん、行きましょうか」
 これは優の声だ。
 ストレッチャーが音を立てる。

 そこに寝かされ、顔に白い布を掛けられているのは──茜のはずだ。

 椎多はぼんやりと立ち上がり、優を振り返った。
「すまなかったな。あんなに手を尽くしてくれたのにこんなことで」
 優は椎多の背に掌を添えさすりながら出口へ誘導した。
「手を尽くしても病気に負けてしまった時の方が何倍も悔しいですよ」
 なんだおまえ、今日はいやに優しいな──と呟いて、うっすら笑う。

「俺もまあ色々やってきたが実際警察で話を聞かれたりしたのは初めてだよ」
「監視カメラ映像のおかげで解剖まではしなくて良くなったって聞きましたよ」
「ああ。事故か自殺か──映ってた様子では事故だろうということで決まりだそうだ」

 茜はマンション1階共用部の庭園から海に落下した。


 干潮の時間だったために、岩場に打ち付けられ、ほぼ即死だったという。ただ、そのおかげで波に攫われることもなかった。

 梅雨で雨が続き、久しぶりにからりと晴れた夏の到来を予感させる日の明るい昼間のことだ。
 その時椎多は部屋で本を読んでいた。たまたま下の階の住人がバルコニーから海を見下ろしていた時に落下する茜の姿を目撃して通報したという。その住人は茜が最上階の住人だということを見知っていたので、通報と同時に椎多に知らせてくれたのだ。
 救急搬送するまでもなく、すでに息はなかった。
 遺体は警察が引き取り椎多も事情を聴かれることになったが、監視カメラ映像が決め手になり他殺の疑いは無いとして早々に遺体は返還されることになった。

「こちら、ご遺体と一緒に落ちていたカメラと三脚です。無断で恐縮ですがフィルムは現像させて頂きました。特に問題になるものは写っていなかったようですので、お返しします」

 警官が意外なほど丁重に、ビニール袋に入ったカメラと三脚、そして茶封筒を椎多に手渡した。
 それをぼんやりと受取り、ありがとうと会釈して優と共にKが待機していた車に乗り込む。

 優はもう手慣れたもので、ここに来るまでに葬儀屋の手配を始めていた。

「もう意味はないんですが、先週の検査の結果が出ましてね」
 しっかりとした受け答えをしているのにまだどこか焦点の合わないような目をしている椎多の横顔を一瞥すると優はひとつ溜息をついた。

「再発してました」

 そうか、とだけ答える。
「前と同じところではなく、別の部位で。非常に見つけづらい場所でした。あれは手術も難しかったでしょう。だとしたら──いずれにしても余命はもって3ヶ月といったところでした」
「そのこと──茜は?」
「検査結果が出たのは昨日の夜です。本当なら今日、あなたと茜をお呼びしてお話しようとしていました。ただもしかしたら本人は何かこれまでと違う自覚症状があって再発を疑っていたかもしれない」
「再発を疑って──」

 絶望して、もしかしたら?

「だとしてもあいつ、やっぱり俺にはいつもと変わった様子は見せなかった。最初の告知を受けた時もそうだ。こっちが詰めてかないと辛いだのショックだのそういうのは全く表に出さない」
「無意識に、人に心配される……弱った状態であることを知られたくないんですよ。動物と同じ、子供の頃からそうだった。あなたのせいじゃない」
 椎多も優も、互いに視線を合わせることはなくぽつりぽつりと言葉だけが行き来する。


「あなたもそうですよ、嵯院さん」


 うん?と疑問符のついた相槌を返す。
「感情的になる時には人よりわかりやすく表に出るのに、今はまるで感情を遮断してるみたいだ」
「そうかな……」

 多分、自動的に何かのストッパーが働いているのだ。
 報せを受けて自分の心臓が破裂するかというくらい動転していたのに、茜の顔を見た瞬間からブレーカーが落ちたように何も動かなくなった。涙すら出てこない。
 警察から話を聞かれた時も、優と話している時も、頭は冷静でしっかり回っているのに、感情だけが途切れてしまったようだ。

 同じだ。
 紫を殺してしまった時も。
 英二が撃たれて倒れるのを見た時も。
 俺は、次の日にはいつもと同じように冷静に仕事していた。

 茜もそうだったのだろうか。

 優が手配した葬儀会場に着くと、青乃が先に着いて待っていた。青乃は椎多の顔を見るなり駆け寄り、頬を撫で、そして抱きしめた。
 それでも、涙は出てこなかった。

 通夜も葬儀も、ごく少人数で行われた。嵯院邸には献花台が用意され、使用人たちが持ち寄った花と涙で溢れていたが、それもまるでドラマの悲しい一場面を見るような気がした。
 最後のお別れと告げられ斎場で窯に吸い込まれていく棺を見送る時も、それでもどこか他人事のようだった。
 ただ、立ち上る煙を見た時──

 どうだ。
 おまえも一緒に焼かれればいい。
 おまえには渡さなかったぞ。

 茜の頭の中にいた"敵"に、勝利宣言のように毒づいた。


──"勝った"わけではないのに。

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 バルコニーのデッキチェアで日がな海を見ている。
 茜の葬儀が終わった後も椎多はこの海辺のマンションの部屋に残っていた。

──しばらく、俺の気が済むまで放っておいてくれ。

 それでも三食きちんと料理人の作る食事を平らげているのでKも青乃もしたいようにさせていた。ただKはなるべく目を離さないようにしている。あのバルコニーから目を離した途端姿が消えている──などということが無いとは断言できなかった。


 5日ほどそんな日を過ごしたある午後──

「あの、旦那様。下でお客様がお待ちのようなんですが」
 買い物に出ていたメイドが帰るなり言った。
「──客?」
「インターホンも鳴らさずに声を掛けられたので知らんふりはしたんですけど」

──きみのご主人さまに『鴉が下で待ってる』って伝えてくれる?

「鴉、だって?」
 バルコニーから室内に戻ってメイドの顔をまじまじと見る。メイドは確信の目ではい、と頷いた。
「全身バンドマンみたいな黒づくめで色の濃いサングラスで。痩せて背の高い人です」
「ああ、そりゃ間違いないな」

 なんであいつが今頃──

 

「椎多さん、俺が様子見てきましょうか」
 Kが久しぶりに警戒の面持ちで行く手を阻もうとしている。
「鴉ってアイツでしょ。昔組長を撃ったやつ」
「まあそうだが、もしあいつが本気で俺に危害を加える気ならわざわざ呼び出さなくてもいつでもやれるさ。前より警戒がゆるゆるな俺なんかいつでも殺し放題だ。仕事で俺を殺るんなら尚更な。ということはそういう目的じゃない。ちょっと行ってくる」
 それでも食い下がろうとするKをあしらうように椎多は笑ってジャケットを羽織り、エレベーターに乗り込んだ。

 そんなに警戒してまで守るものなんかもう無いしな。

 エントランスを出たところの国道に、コンパクトカーが一台停まっている。車まで黒だ。
 見覚えのある黒づくめの男が窓から身を乗り出して手を振った。


「いかしたお兄さん、ちょっと乗ってかない?」


 黙って助手席に乗り込む。
 そういえば以前はちょくちょく整形していると聞いていたが、椎多の知っている限りの期間は顔の形は変えていない。ただ、老けてもいない。
「悪いね。あんな監視カメラだらけの場所で話したくないからさ。ちょっと広いとこ出たら停めるよ」
 車が走り出すと椎多は窓を開けた。海風が通り過ぎる。

「おまえは何だ、死神か」
「まあ否定はしないけど、今日はパシリなのよ、オレ」
「パシリ?」
 岸壁のトンネルを抜け、隣の集落に入る。高台に大きなショッピングセンターの看板が見えた。その駐車場に迷いなく入ると鴉は車を停めた。
 平日の昼間、車はそう多くない。

 車を停めてシートベルトを外すと鴉は自分の脇に持っていたバッグから茶封筒をひとつ取り出し、椎多の膝の上に置いた。
 封筒の中を覗く。預金通帳と印鑑ケースが入っている。
 怪訝な顔で取り出してみると、名義は『茅茜』になっていた。


「──なんでおまえが茜の預金通帳なんか持ってるんだ」
「パシリだって言ったでしょ。本当はオレが来る筋合いはないんだけど、オレが君と顔見知りだからって押し付けられたんだよ。オレのエージェント、顔出ししたくない人だからさ」
「エージェント……」

 鴉のエージェントということは殺しを請け負う代理人だ。
 それが何故──

「順に話した方がいいかな。オレのエージェントが使ってる伝書鳩がさ、実は茜…先生?と知り合いだったみたいでさ」

 茜はその男が殺し屋の手先だとは知らなかった。
 しかし──いや、だからこそ、本気ではなく半分は冗談だったのかもしれない。
 事故を装って自分を突き落としてくれ、と言ったのだという。
 男はそこで、自分はそれを商売でやっている。殺して欲しければ金を払えと言った。翻意させるために──
 そうしたら、わざわざ部屋に取りに戻って、この通帳と印鑑を渡した。

「茜が、自分を殺して欲しいと──依頼したっていうのか」


「ただ、けっこう厳しい条件があってね」

 他殺だと警察にいつまでも痛くない腹まで探られるからいけない。
 事故に偽装するにしても誰かに責任が生じる殺し方も、その相手に対して憎しみが生まれるようなのもだめ。

 自殺に見えるやり方をするくらいなら本当に自殺するけど、
 そうしたら椎多さんが苦しむからだめだ。

「これけっこうハードル高いのわかるでしょ。しかも定期的に通院して検査もしてる患者さんだから毒殺だって簡単に見破られる。薬を間違えたという設定でも担当の医者や看護師が責任を負わされるし──だから、オレのエージェントは方法や使う殺し屋を慎重に選定しててちょっと時間かかってたんだよね」

 ごくり、と喉が鳴る。
 頭から血の気が引いて冷たくなってきているのが自分でわかった。

「その矢先に、彼は"本当の事故"で海に落ちた。だから、それ」
 椎多の手にある茶封筒を指で示す。
「仕事にならなかったから、返金するって」
「"本当の事故"で──」
 そ、と言って鴉はシートにもたれかかり息を大きく吐いた。

「これ以上君を自分の闘病に付き合わせて君の人生を食いつぶすのはもう耐えられないって──どうせいつかは悲しませてしまうなら早くけりをつけてあげたい、でも自分が自殺したら君が君自身を責めてしまうからそれは出来ない」

 大きなはっきりした発音でそう言うと鴉は助手席の椎多を見た。

「自分が死ぬことで君が誰かを憎んだり君自身を責めたりせずに楽にしてあげたいってさ。君、すごく愛されてたんだね」
「知るかよ……」
 椎多は茜の通帳を封筒ごと握りしめた。

 俺の人生を食いつぶすって何だよ。
 俺はおまえに食いつぶされてるなんて思ってない。
 いや、食いつぶされたって全然かまわなかった。

 それでも、涙は出てこなかった。

 その椎多の様子をちらりと見やると鴉は車を発進させた。
「久しぶりだしどっかメシでもいく?」
 首を横に振った。
「気晴らしくらいしなよ。魂が彼についてっちゃったみたいだよ、椎多」

──七哉さんが亡くなった時の紫さんは、
──魂はついて行ってしまったんじゃないかと思うほどでした

 そういえば睦月がそんなことを言っていた。
 別に、ついて行きたきゃ行けばいいんじゃないか。
 ただ後追いなんかしてもあの世で会えると思うほど俺はロマンティストではない。

 マンションの前に戻り車を停める。
 降りようとする椎多の腕を引き寄せると鴉はぶつかる勢いで唇を塞いだ。ゆっくりとそれを引き剥がすと椎多は苦笑のような顔でドアを開ける。
「ねえ、気持ち抜きで誰かと寝たくなったらいつでも声かけてくれていいよ」
「わかったわかった」
 車を降りる。ドアを閉めながらふと思い出したように窓を覗き込む。

「──"雄日"は元気にしてんのか」

 鴉は一瞬唇をきりっと噛むと見慣れた笑い顔で手を振る。
「おかげさんで、仲良くやってるよ」
「そうか。おまえらもせいぜいしくって殺されたりしないように気をつけろよ」

 

 おそらく──
 もう鴉に会うことは無いだろう。少なくとも俺がこいつの依頼主になることはない。
 いや、こいつはいつでもこんな風に気ままにふらりと俺の前に現れるのだ。ならばまた会う時もあるのかもしれない。

 

 鴉はしらじらしい笑いを浮かべて手を振った。

「次来ることがあったら連れてくるよ」
「うるせえ、もう来んな」

 鴉の笑い声が閉まる窓とともに途切れる。


 走り去る車を見送ると椎多は手に残った茶封筒を一瞥し、エントランスに向かった。

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 暑い夜は寝苦しいのに、暑いはずの昼間の昼寝はどうしてこう心地が良いのだろう。
 いつの間にか夏が来ていた。
 茜がこの世を去ってから、ひと月経っている。

「こんなところでいつまでも寝ていたら熱中症になりますよ」

 青乃の声。
 バルコニーのデッキチェアから振り返ると鮮やかな青のサマードレスを着た青乃が呆れ顔で立っていた。


「あれ、いつ来たの」
「今です。冷房が効かないから入って下さい、窓を閉めます」
 青乃が来るとは聞いていなかった。おとなしく言うことを聞いて室内に入ると、キッチンでみずきが何か冷たい飲み物でも作っている様子だった。こちらに気づいて手を振っている。
「英悟は?」
「今日は預けて一人で来ましたの。たまには良いでしょ」
「悪くはないよ、もちろん」

 冷たいフルーツカクテルをなみなみと注いだ大きなグラスを運ぶとみずきはウィンクをして下がって行った。あれはいつまでたってもあの調子だ。多分中年になっても老年になってもあの調子だ。

「思ったよりお元気そうで良かったわ。ただのリゾートを楽しむセレブみたいに見えますもの。ひとりにして欲しいって言って引きこもってらっしゃるから、もしかしてベッドルームにでも籠って青白い顔でブツブツ言ってたらどうしようかと」
「まいったな、どう思われてるんだ俺は」
「桂が──」

 桂が泣きながら電話してきましたの。

「え?」
「あなたが泣かないって。あなたがあまりにも普通に生活しているから心配だって」

 青乃様、どうしよう。
 椎多さんが泣かないんすよ。
 あの人、本当に辛いことがあった時ほど、殊更いつも通り振る舞おうとする。
 これまでは仕事があったから仕事に熱中してればよかったけど、
 今は仕事も無くなってとにかく一日中ぼんやりして、
 俺や他の連中と話す時は全くいつも通りで。
 一回思い切り泣きゃいいじゃんって、言ってみたけど、
 でもだめだった。
 あの人、俺の前じゃ泣いてくれない。

 青乃様しかあの人泣かせられる人、もういないんす。
 
「あんのやろう……」

 思わず苦笑が漏れた。
 確かにKはずっと椎多の様子を気にしている。
 何が言ってみた、だ。そんなふんわりした言い方じゃない、悲しいんだったら泣けよ!だとかキレて怒鳴ってたくせに。


 自分でもわかっているのだ。
 昔一度封印したように涙が出なくなった時のことも覚えている。
 そんな事言われたって、辛抱しているのではなくて実際出ないものは出ない。
 そもそも、悲しい時に泣くのが正しいと決めつけてこちらの様子がおかしいと判断するのもどうかと思う。

「と、桂が泣いてたことをバラしてしまったのであとでわたしがあの子に怒られると思いますけど」
「そんな風に言われたらなんか逆に意地でも泣きたくなくなってきたな」


 青乃はグラスに引っ掛けてあったパイナップルを齧っている。そんな仕草でさえ優雅だ。


「それでおまえは俺を泣かせに来たのか」
「別に、無理に泣かせたって意味ないと思いますもの」
 みずきはバーテンダーの素質があるのかもしれない。みずきが作るカクテルはたいてい美味い。ただ甘いものしか作らないのが難点だ。

 

「──どこかで覚悟してたんだ。茜はそう遠くない未来にいなくなるって。それが急に早まっただけだ。覚悟出来てたから冷静に受け止めてる。それだけだ。別にぶっ壊れたりしない。大丈夫だ、俺は」

「大丈夫って、自分から言う人はたいてい大丈夫じゃないのよ」
 痛いところを突かれた気がして顔をしかめる。
 あまり自覚はしていなかったが、紫を失った後呪文のように俺は大丈夫だ、と何度も自分に言い聞かせていた。
 ただ、そうやって無理やりにでも日常を取り戻す以外、どうやって前に進めたのかは今でもわからない。だからそれが間違っていたとは思わない。


 では今は──?
 別にわあわあ泣き叫んだり茜の遺した写真を眺めたり撫でまわしたりしながら目の前からいなくなった茜にめそめそ語りかけて明け暮れしていたとしても仕事から手を引いた今誰に迷惑をかけるでもない。それでも──

 俺がそんな風に嘆き悲しみながら暮らすことを、茜はきっと望んでいなかっただろう。
 それは確信のようなものだった。

 青乃は思案するように立ち上がり部屋の壁を埋め尽くす勢いだった茜の写真パネルを鑑賞し始めた。
 ほとんどはここへ来てから撮った鳥と海と空と花の写真だ。
 展覧会のように一枚一枚丁寧に見つめる。
 その写真を通して少し不自由そうに、それでも楽しそうにシャッターを切る茜の姿を思い出しているように。

 そうして部屋の壁を辿っていくうち、クラシックなランプを飾ってある壁際のミニテーブルの上に置いたままの茶封筒に気づいた。


「これは──」

 警察が現像したという、茜のカメラに残されていた写真とネガ。

「こんなところに置きっぱなしにして。ご覧になったの?」
「いや……なんだか見る気になれなくて」

 溜息の音。

「やっぱり受け止めてなんかいないじゃない」
 封筒の中から青乃の白い指が写真の束を引っ張り出している。
「やめろよ」
「どうして?茜先生の最後の写真よ」
「嫌だ。見たくない」

 

​ それを見たら──
 本当に"最後の写真"になってしまうじゃないか。

 

​ 椎多の表情を伺っていた青乃は写真を封筒から出すのを中断してサイドテーブルの上に戻し、椎多の隣に腰を下ろした。肩に腕を回し、自分の首元に椎多の頭を抱き寄せる。
「でもきっとあれも、パネルにしてこの部屋に飾りたかったと思うわ」

 

 いい匂いがする。
 青乃は香水を変えたのかもしれない。​​

 

 青乃──と呼びかけると、青乃は指で椎多の髪を弄びながらはい、と返事をした。
「俺はまた間違ったのかな」
「間違った──とは」

 俺はこれまで、大事なはずのものを自分で滅茶苦茶にしてきた人間だ。
 だから今度は絶対にそんなことはしないと決めた。
 一日でも、一分一秒でも長くあいつと居たかった。そのために出来る限りのことはした。
 でもそれも──俺の身勝手な気持ちをあいつに押し付けただけだったのかもしれない。

 あいつは最初、手術さえしなくていいと思ってたんだ。
 手術だ治療だを繰り返して、たかだか何年か延命するだけだって。
 でも俺はその期限を延ばすことだけに躍起になってた。
 あいつは手術をしたけど後遺症のせいで前と同じ生活は出来なくなった。
 放射線治療も化学療法も、治すためにやっているのにずっとあいつの体調を蝕んでた。

 俺は、ただ少しでも延命させるために、いつ終わるかわからない苦痛をあいつに与え続けてただけなんじゃないか。

 俺はまた──間違ったのか?
 
「でも、手術もせずここに移りもしなかったら茜先生はこんなに写真を撮ることは出来なかったわ」
「いつか来る終わりを予感しながら、苦痛に耐えるだけの日々だったのに?」

 ふと流れた沈黙に、窓の外の波音が混じる。

「ねえ、あの鷺の写真のこと、茜先生からお聞きになった?」
 青乃が指差したのは、多くのパネルが飾られた壁の中でも"一等地"に飾られた2枚一組のパネル。
 一枚は橙の夕暮れ、一枚は白く輝く朝の水面。

「あれは2枚で『孤高』というタイトルなの。茜先生はあれを、あなたに似てるって仰ってたわ」
「──似てる?」

 汚れた川の水に身を浸しても、まっすぐ天をみつめているでしょう。
​ 綺麗な川の水の中に、生命の源を鋭く追っているでしょう。

「何だそりゃ」
 苦笑とも照れ笑いともつかない笑いが浮かぶ。
「あいつ、俺を買いかぶりすぎなんじゃないのか。そんなかっこいいもんじゃない。好き好んで汚れた水もごくごく飲んで泥まみれ油まみれついでに血まみれで生き残るためには何でも喰い散らかしてきたんだ。あいつはわかってない。俺のことなんか」
「それでも、あなたがそう見せようとしていないのにそう見えてたの。だからきっと、茜先生の知っているあなたはそういうひとだった。それでいいじゃありませんか」

 青乃は再び立ち上がると先ほどの茶封筒を手に取り戻って来た。


「見ましょう、茜先生が最後に見たものを」

 椎多はもう嫌だ、とは言わなかった。

 封筒に入った六つ切りの写真は7枚しか無かった。
 そういえばあの朝、新しいフィルムを入れていたのを覚えている。

 7枚のうち最初の4枚は、ちょうどこのソファで座って本を読んでいる椎多の姿だった。
 本に目を落としてページを捲っている。
 カメラに気づいたように顔を上げている。
 追い払おうと手を伸ばしている。
 そしてそのまま愉快そうに笑っている。

 これはあの日、庭に降りる直前。

 茜が最後に見た椎多の姿。

 残りの3枚。
 1枚は、庭の一番海沿いに植わったシュロのてっぺんにとまった白い鳥。
 鷺だ。
 もう1枚は角度を変えた同じ鷺。
 じっと、海の向こうを見つめている。

 最後の一枚は──

 何もない、ただ青いだけの──空だった。

 ここへ来てからの鳥の写真に、鷺があったかどうかは正確にはわからない。ただ、少なくともパネルにはなっていない。普段はこのあたりには鷺は来ないのかもしれない。それほど意識はしていないが椎多は見たことはない。
 茜が鷺を好んで撮っていたのは、内陸の川だ。こんな海辺に鷺が来るものだろうか。それも知らない。


 普段あまり見かけない鷺を見かけて──茜はそれを撮ろうとしたのだ。
 梅雨の合間の、夏を予感させる抜けるような青空を背景に。

 

 茜はその姿に、何を重ねたのだろう──

 ぽろり、と一粒水滴が手の甲に落ちた。

「あれ……」
 それを合図にしたように、双眸から堰を切ったように涙が溢れる。
 拭うことも出来ず、ただ写真を濡らさないように脇に置くことしか出来なかった。


 それを確認すると青乃は椎多の肩をひと撫でして立ち上がり、背を向ける。

「思い切り泣いてお腹が空いたら下のダイニングへいらっしゃい。みんなでディナーにしましょう」

 ドアを開け閉めする音。
 それを遠くに聞くと椎多は洗面所にタオルを取りに行く。
 大きなバスタオルで顔を押さえながら壁の写真を先ほどの青乃がしていたように一枚ずつ見つめる。


 見終わると何冊にもになった分厚いアルバムを取り出した。
 茜が撮った大量の写真を椎多がいちいち見ることは無かったから、ちゃんと見るのは初めてかもしれない。

 一冊は入院する前に撮っていた鳥の写真。

 一冊は嵯院邸の使用人たちの姿に屋敷の内装、古い家具や装飾品のコレクション。
 一冊はここに来るメイドや料理人、そしてKや青乃や英悟。
 何冊かはパネルにしきれなかった鳥の写真。


 数冊は、椎多の写真ばかりが貼ってある。

 知らないうちに撮られていたらしい、本を読んだりテレビを見たりしている時の横顔や、バルコニーで体いっぱい伸びをして日光を浴びている後ろ姿。英悟と遊んでいる顔。青乃と酒を飲んでいる時の顔。
 カメラ目線でむくれたり怒ったり、大笑いしている顔。
 寝顔。

 茜から見た俺は、こんな顔をしていたのか。

 最後の一冊は茜自身の写真。

 手術室に向かう前の自分、手術後起き上がれるようになってからの自分。副作用で脱毛してきた時の頭、それを一定の短さに刈り揃えた時。診察室での主治医と。固い表情の優と。嵯院邸で問診に集まった者たちと。

 近くのマリーナに車で行った時にKがシャッターを切った二人でアイスクリームを食べている写真や、椎多がシャッターを切ったものもある。
 柚梨子から来た花束をKと悪戦苦闘して生けた時。
 食事の献立が好物だった時。
 膝枕で寝ている椎多を見下ろしている時──

 もう二度と見ることも、触れることも出来ない茜の顔がその小さな紙の中で笑っている。

 茜。
 俺が我儘言って引き伸ばしたおまえの時間はちょうど2年ほどになる。
 その時間でおまえがやっておきたかったことはどれだけ出来た?
 先の見えない圧倒的不利な戦いで痛めつけられていたのを俺は知っているのに、
 おまえが残したのはそんなものまるで無いような笑顔ばっかりだ。


 ほんの2年でも、先延ばしにして良かったと──
 おまえは少しでも思ってくれていただろうか。

 ページを捲っていると、昨年のクリスマスの写真があった。
 青乃と英悟と、Kや龍巳やみずきや他の使用人たちも一枚に収まった集合写真。
 その隣に、おそらくキャンドルの灯りだけで撮られただろう握った手の写真があった。椎多の手を握る茜の手だ。
 こんなものを撮っていた覚えがない。またソファで飲んだくれて寝てしまった時に撮ったのかもしれない。
 そこにマジックで文字が書き込まれている。

「いつも、クリスマスも、ここにいます」

 この頃には──いや、もしかしたら最初からずっと、次のクリスマスは迎えられないかもしれないと思いながら。
 茜はそうやって一瞬一瞬を切り取るように写真を撮り溜めていったのだ。
 自分の右手をじっと見下ろし、そっと唇を押し当てた。
 
 そうか。おまえ、ここにいるのか。

 視界が悪くなったと気づけば外はそろそろ夏の陽も落ちて薄暗くなってきている。
「──腹減ったな、飯にするか。青乃たちがおあずけくらってそろそろ苛々してるかもしれんしな」


 話しかけるようにひとりごちると椎多はもう一度バスタオルで顔を拭い、立ち上がった。

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「今年もご夫婦でご利用ありがとうございます」
 茅優はどこかわざとらしさを匂わせながら恭しく頭を下げた。

 茅病院が開設した"セレブ向け"人間ドッグ施設は昨年開設10周年を迎えた。利用者の顔ぶれの変化が世の景気の移り変わりを如実に示してはいるが、その一方で世の景気などどこ吹く風の層がここの顧客の多くを占めている。


 嵯院夫妻は、かつてのグループの経営から退いた後も年1回ここを利用している。
 検査が全て終了し、ランチ後にコーヒーが運ばれたのを見計らったように優が訪れたのだ。
「よう、院長。久しぶりだな。相変わらずそうで何よりだ」
「そちらも」
 青乃にも会釈すると勧めに従い優は着席した。椎多がボーイに声を掛けて優の分のコーヒーを頼んでいる。
 
「兄の葬儀の折は献花をありがとうございました」
「結局全部おまえが喪主で見送ったことになるのか。ご苦労さん」
 茅秀行がこの世を去ったのは先月のことだ。最後まで精神状態が元に戻ることはなかったという。
「もう兄は離婚が成立してましたからね、いよいよ私しか喪主をやる人間がいなくて。義姉は葬儀にも来てくれませんでした。息子は来てましたがあれが父親だという実感も無かったでしょうね」
 ブラックのままコーヒーを口元に運ぶ。
 優は結局父と祖父と弟と兄、全員の喪主を務めるはめになったのだ。
 本人は呑気な次男坊でいたかっただろうに。

「これで私も親族は居なくなってしまいました。まあ、生母はまだ健在のようですが完全に没交渉ですし、あっちの新しい家族はうまくいってるようなのでそっとしておいた方がお互いのためだ」
「わからんぞ、今から嫁が来てくれるかも」
「もう今更いらないですよ、介護とか見送ってもらうために結婚するなんて相手を馬鹿にしてるみたいだ」
 そういえば優は結婚どころか恋愛の相手すら匂わせたこともない。若い頃はそれなりに割り切った身体だけの関係の相手は無くもなかったが近頃はそれも無いという──という話をする程度には椎多と優はすでに友人付き合いになっていた。

「今年もやるんですか、写真展」

 ちょうど茜が旅立った季節に毎年、椎多は茜の写真を展示する写真展を開いていた。会場にはかつての葛木邸敷地に作ったアートタウンのギャラリーを使っている。
「ああ、やるよ。毎年違う写真を出していてもまだまだあるからな。そろそろ今年の写真を選ぼうと思ってたとこだ」
「今年は英悟の写真も展示するんでしょ?」
 邪魔をしないようにか黙って紅茶を傾けていた青乃が顔を上げて会話に参加する。
「英悟くんの写真、バズってましたね。見ましたよ」


 英悟は中学3年生になり最近は画像共有SNSで自分の撮った写真を公開しているが、たまたまそのうちの一枚が何故か"バズった"ためかフォロワーがぐんぐん増えているらしい。デジタル写真をアーティスティックに加工するのに凝っていたらしいが最近はフィルム写真にも凝り始めている。先日は4歳のクリスマスに茜に貰ったトイカメラを引っ張り出してきて、それで身近なものや景色を撮ると言っていた。子供向けの玩具だが、加工せずともノスタルジックで味のあるいい画が撮れるのだといっぱしのことを言う。これは遠くない将来、自分で現像もやると言い出すかもしれない。

 茜と共に落ちたカメラは奇跡的に壊れてはいなかった。専門家にメンテナンスを頼んで使える状態にはしてあるが、それは今は誰も使う者もなくオブジェのようにあの海の部屋に飾ってある。
 いつか、英悟があれを使いたがる日がくるかもしれないな、と思う。

 椎多は今も月の半分程度はあの海辺のマンションで生活している。残り半分は青乃と英悟が移った街中のタワーマンションだ。
 屋敷は数年をかけて整備をし、今は明治期の建築として公開展示している。嵯院七哉が購入後に増築した新棟はオーベルジュに変身させた。一階はレストランで、かつて渋谷英二が社長を務めていた元しぶや系列外食チェーンの本格フレンチ店が入っている。椎多や茜らの暮らしていた私室の殆どは宿泊用の客室にリニューアルされた。公開展示されているクラシックな洋館と同じ世界観に統一してあるため、鑑賞した洋館にそのまま宿泊している気分が味わえると好評のようだ。

​ 展示されている本館の、空き部屋になっていた天月幾夜の部屋は立ち入り不可エリアに指定し、今も静かに保管されている。天月幾夜から嵯院冶多郎へ、それを受け継いだ嵯院一朗から宇佐孝治が預かり七哉へ、紫へ、そして椎多のもとへと渡り歩いたあの飾り銃はもまた、もとの持ち主である幾夜の部屋に戻りそっと眠ったままだ。

 渋谷翠の店『藍海』は大企業の集まるオフィス街の一角に移転し、かつての『しぶや』に近いクオリティの料理を提供できるようになっていた。辻井の息子・修は結局父親と共に『藍海』の板場に立つようになり、今ではもう一人前の板前として働いている。その他にも『しぶや』で勤めていた板前が何人か加わり、板場は『しぶや』とまではいかないまでもそれなりの人数で回せるようになった。板長は辻井が務めている。

 渋谷修一の娘・藍海は大学で栄養学を学んだり野菜ソムリエの資格を取ったりしているらしく、ゆくゆくは自分の名前を持つ店を自分が継ぐのだと定めたのかもしれない。

 自分は特に何も変わった気がしないのに、子供たちの変化を見るといやに自分が老いたような気がしてしまう──

「──もし茜がもう少し長く生きられてたら、どんな写真を撮ったんでしょうね」

 優がそんな事を口にしたのは初めてのことだった。
 ちらりと優の顔を見ると静かにコーヒーカップをソーサーに戻す。それは椎多があの海の部屋で茜の写真に囲まれている時に今も時折考える事だ。


「あいつのことだ、災害の時に医療ボランティアにすっ飛んで行ってそのついでに被災地の写真を撮りまくってただろうさ」
「なるほど、やりそうだ」


 ふふ、と優が笑みをこぼす。
 こいつ随分柔らかい表情をするようになったな、と思う。
 写真展のDMが出来たら私にも送って下さい、と言い残して優は椎多たちのテーブルを後にした。

 


「この後海の方へお帰りになるんでしょ?わたし一旦戻って英悟が学校から帰ったら一緒にそちらへ伺いますわ」

 優の姿が見えなくなると青乃は自分の紅茶を飲み干し、身支度を整え始めた。


「英悟はいい子すぎて心配になるな。俺はあのくらいの年にはもう繁華街で暴れ始めてたぞ」
「あなたの時代みたいなわかりやすい不良になる子はまだいいんです。親の前でいい子だからって隠れて危険なことに手を出してないとは限りませんからね、あなたそういう悪い事に関する勘は鋭いんだからちゃんと見ててやって」

 椎多は中学の頃にはもう賢太や圭介といった組の若い連中にねだって繁華街や飲み屋に通うことを覚え、高校に入った頃には一人でもぶらぶらすることも増えていた。よその組のシマでチンピラと喧嘩沙汰を起こし、普段は滅多に意見しない七哉によそのシマではやるな、ときつく叱られたこともある。
 もっとも、夜はそんな調子でごろつきのように暴れてはいても学校ではすまして優等生顔をしていた。椎多の場合は親が親だからその前でいい子ぶる必要は無かったが、確かに自分も外ではいい子面することをすでに身に付けていた。


 散々過ちを犯してきた自分が英悟に出来るアドバイスが何かあるとしたら、警察や正義面した他人に取っ捕まるようなヘマだけはするな、ヘマをしても尻ぬぐいしてくれそうな誰かを確保しとけ、くらいのものだ。心配する青乃の気持ちもわからなくはないが、どうせ自分のやらかした事は自分でカタをつけていかなけれはならないのだから。

 英悟は──

 成長期に差し掛かるとどんどん実の父親に似てきた。目元だけは母親に似てくるんと可愛いらしいままだが背も見る度に伸びている。今日来た時にはもう椎多の身長を越しているかもしれない。きっと成人する頃にはもっと──
 英悟を養子にした時からいつかそんな時が来るだろうことは予測していたが、その時自分がどう感じるかまでは想像しきれなかった。


 ふとした時に英二の面影を英悟に見ることはある。多分そんなことがこれからもっと増えて行くのだろう。
 しかし、そんな時は鴉と悔谷雄日のことが頭を掠めるくらいだ。
 多分、こうして少しずつ大人に近づいていく英悟をずっと見ているうち、この顔はもう英二に似た英二の子ではなく"英悟"の顔なのだと日々書き換わっていくのだろう。
 そのうち、英二がどんな顔をしていたのか──きっと自分は忘れていく。
 自分の罪が消えるわけではないが、そうやって薄れていくのは悪いことではないのかもしれない。

 


 海の部屋に戻って料理人にこの後青乃と英悟も来ることを告げると椎多はバルコニーに面した窓を全開にした。
 初夏の海風が吹き込んでくる。


 風に向かって一旦目を閉じると鷺の写真を振り返る。

 橙の空。
 輝く水面。
 そして青空。
 もともと2枚一組だった『孤高』は、3枚一組に姿を変えている。

 そしてその下のミニテーブルには、写真立てに入った写真が何枚か置かれている。

 天月幾夜と茅博貴、そして嵯院冶多郎のセピアの写真。
 千代がこれしか無いと譲ってくれた、
 笑う七哉とリカと幼い椎多とともに写った、苦虫を噛み潰したような表情の紫の白黒写真。

 そしてそれらの中央には、椎多がシャッターをきった──


 椎多が一番よく知っている、
 柴の仔犬のような目で楽し気に笑っている茜の写真。

 

「ただいま、茜」

​​

 そう声を掛けると椎多はバルコニーのデッキチェアに身を預け、

 夕暮れの近づく空を見上げた。

-the end-

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*Note*

終わりました………!!!!!

ここまで20年くらいちまちまと(途中15年近くサボって)書いてきた、”嵯院椎多”の物語はここで完結となります。

完結なのかな?????

少なくとも、このあとの椎多にはそれほど大きな事件も大きな出会いや別れも、大きな罪も、起こらないと思います。

最終段は2019年のつもりで書いています。本当は「今現在!(2022年)」にしたかったのですが。異世界の話のはずなんだけど(笑)コロナ禍書くのはやだなぁとかいう感覚が働いてコロナ前の2019年で終点にしました。ちなみに茜ちゃんが亡くなったのは2010年の6月ごろ。大災害も書きたくなかったのですが、「あったこと」としては触れています。

「Re:TUS」を書いている時にも、葛木柾青さん(青乃の兄)が死んだことを書くのが自分でびっくりするくらい辛かったんですが、茜ちゃんが亡くなったことを書くのも自分で設定しておいてなんですが辛かったです。死なすのやめよう、治して幸せにしてあげようと何度も思いました(笑)。←でも結局死なせる​

多分2019年にも鴉と雄日は殺し屋活動してるし、もしかしたら梟さんや小雪ちゃんは引退を考えてるかもしれないけど多分まだやってます。終盤まったくでなくなったけど歌姫も相変わらずのはずです。歌姫は主に小雪さんから仕事貰ってるはず。睦月さんはマイペースに生きてると思う。賢太ちゃんは睦月さんのとこにいると思う。

保史は嵯院邸撤収で大量解雇の時には早期退職を選んで退職金たんまりもらったけど、造園業者で嘱託みたいな感じで働いてると思う。

​みずきはずっと青乃づきのままだし、柚梨子は名張くんとぶじ結婚したはず。Kこと憂也こと桂は椎多とどっちかが死ぬまで付き合わされるはめになるもよう。良かったね。あと誰かいたっけ?あ、高井さんは隠居して仙人みたいな暮らしをしているかも。田舎で家庭菜園とかやってひとりで生きてそのうち孤独死しそう。

​この最終段には書いてはいないけど、この頃には椎多はいくつか事業を興してそこそこ稼いでるみたいです。青乃も椎多もまあまあの老人になるまで元気で生きます。

英悟はこのあと成人して、平均的かどうかはわからないけど恋をして、結婚します。子供も二人生まれて、それなりに成功した人生を送ると思います。

英悟や修、藍海など子世代の話は、気が向いたらまた別の物語として書けたらいいな程度には思ってます。「昔日」とは別のくくりを作らないといけないですね。「後日」とか。

あ、ちなみに鷺は海辺にも来ます。

​たまたまこのマンションの近くにはあまり来てなかっただけだと思います。

最後に、茜ちゃんをこういう終わりにする発想になったきっかけの歌を載せておきます。及川光博「人魚の恋」です。

長らくおつきあい頂き、ありがとうございました。

​多分また何か書きますが、しばし。

2022/1/26 Senka

素敵な恋をしてね

どうかいつも笑顔でいて

明日わたしがこの部屋から

いなくなっても 悲しまないで

幸せになりたくて

あなたのそばで過ごした日々

愛は自分の幸せより

大切な人守る力と知ったの

波音 あなたのなびく髪

あの夏の雲 口ずさんだ歌

さよなら

疲れたその肩を抱いてあげたい

ずっと

もしもわたしが

​この世界から消えても

不器用なところあるから

ちゃんと話さなきゃだめだよ

伝えたい想いは 言葉にして

諦めずに 伝えなきゃ

泣きたいことがあったら

枯れるまで泣かなくちゃダメだよ

どうか心に嘘をつかずに

​あなたの道 歩き続けてほしい

くちづけ 最後の誕生日

降り積もる雪 はしゃいだ夜明け

涙が渇いたその頬を

なでてあげたい そっと

もしもわたしが

​風に吹かれて消えても

波音 あなたのなびく髪

あの夏の雲 口ずさんだ歌

さよなら

疲れたその肩を抱いてあげたい

ずっと

もしもわたしが

​この世界から消えても

​この世界から消えても

"​人魚の恋"

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