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罪 -12- 復讐した者

 経歴書には邨木佑介、とある。


 高校を卒業後、海外の警備会社に勤め──というところで伯方照彦の目が止まった。その企業名には覚えがあった。現在は社名こそ変わっているが、かつて伯方も所属した企業である。
 つまり、表向き警備会社ではあるが実情は世界中の紛争地域などに人的戦力を派遣する、平たく言えば傭兵斡旋が主たる業務内容だ。

 傭兵上がりか。

 

 紹介状を遣したのは以前伯方の部下として共に葛木邸の警備にあたり現在は自ら警備会社を営んでいる男である。この邨木という男を嵯院邸で雇ってやって欲しいという紹介状だった。
 紹介者がいかに信用のおける相手だったとしても、実際に屋敷内に入れるに当たっては念には念を入れた調査を実施しなければならない。
 経歴の所々に、不自然なほど整然とした箇所が見られるのがどうしても気に掛かった。

 紹介者に直接質すのが最も近道だろう。伯方は紹介者の元部下を呼び出した。
「──伯方さんだから信用して言いますが」
 元部下は相当な葛藤をしたようだったが──どうしても邨木を雇って欲しかったのだろう。隠した部分があるならば雇うことができないと言うと渋々話し始めた。


「邨木は、ほどなく指名手配がかかると思います。人を殺して逃げているところで」
 

「指名手配犯を匿えというのか?」
 呆れて立ち上がろうとする伯方を元部下はおしとどめた。

 結婚式を控えた身重の妻を通り魔的に乱暴され殺されて──逆上した邨木はその犯人を殺して逃げたのだという。
 邨木の妻を殺した犯人は二人組で、一人は逃走したというがそれもまだ発見はされていない。
 もう一人を探し出して殺すと猛る邨木を、警察に捕まってはそれも叶わないからと説得してとにかく伯方に預けることはできないかと考えたのだ、と男は言った。

「彼は傭兵を辞めてから私の警備会社に勤めていたのですが、勤務実績は特Aです。本来なら警察のSPがついてもおかしくないようなVIPの警備も完璧にこなしました。こんな逸材はなかなか来ない。惜しいんですよ。大事な家族を奪われた復讐をしたというだけでこの人材を刑務所に放り込むなんて」
「そんな理屈は普通は通らない。理由があろうと、殺したら警察は追ってくる」
「普通は通らない。そうです。だから、伯方さんに頼むんじゃないですか」
 そう言われては苦笑するしかなかった。伯方の言う通りなら、とうに伯方自身も警察に追われ、あるいは死刑になっても文句は言えないだけの事はしてきている。つまりは、発覚しなければ、もしくは捕らえられなければ刑法で罰せられることはないのだ。

──紫なら?
 

 紫なら、この男を雇い入れるだろうか?

 紫から警備責任者を引き継いでから──紫が死んでから、伯方は何かに迷うと無意識に紫ならどう選択するだろうと考えている。少なくとも、この屋敷の主人である嵯院椎多に関すること以外は紫が下してきた判断が大きな失敗を齎したことがないことを伯方もよく知っていたからだ。
 紫ならこの男は雇わないだろう。
 伯方は何故かそう思った。

 紫なら雇わないだろうという直感に従っていたなら──何も起こらなかったのかもしれない。

 そう──なにも。

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 邨木の経歴書にざっと目を通す。顔つき全体は精悍なのに、目だけは仔犬のようにちんまりと可愛らしく見える。しかし、その写真を見ていると何故か少し憂鬱な気分になった。
「あんまり好みじゃないなあ」
「何か?」
 小さく吹き出すと椎多は書類をばさりと机の上に投げ出すとその前に気をつけの姿勢でいる伯方を見上げる。
「こいつ、雇うのか」
「そうしようと考えています」
「ふうん」
 ちらちらと机の上の書類と伯方の顔を見比べる。
「──おまえが決断したんだな?」 
「はい」
 きっぱりとした答え。椎多は小さく息をつきながら口角を上げた。
「だったら好きにしろ」

 伯方は、紫があとの事を任せていいと信頼したという男だ。
 その決断なら、間違いはないだろう───

 椎多がそう口にすることはなかった。

「で、わが奥方のご乱行は続いているのか」
「は……」
 青乃は相変わらず、外で男を見繕っては屋敷に連れ帰り金にものを言わせて相手をさせているという。 青乃をそんな行動に走らせているのは自分だということは椎多は承知している。


 自分を殴ってでも手に入れようとした夫。
 愛した男を簡単に殺して排除した夫。
 逃げられないのならせめて、その身をどこの馬の骨だかわからないような行きずりの男どもにこれ見よがしに与えることが憎い夫へのあてつけなのだろう。
 もうたとえ何があっても、青乃のあの無邪気な笑顔を見ることは出来ない。

 あんなに欲しかったものを、自分で滅茶苦茶にした。

 俺は──
 欲しいものを手に入れようとすればするほどそれを壊してしまう。
 青乃も、紫も。壊してしまった。
 もう二度と手に入らない。
 なら、もう何も欲しがらない。

 だからもう青乃のすることを咎め立てはしない。が、それとは別問題でそうそう頻繁に外部の人間を屋敷に連れ帰られてはたまらない。


「再三お諌めはしているのですが」
 そんなに言い難そうにしなくたっていい、と椎多は苦笑した。
「警備上問題が無いなら好きにさせてやればいいが──そうだ、みずきを青乃に付けよう」
「みずきを──ですか?」
 姉の柚梨子には内密に、紫が訓練をつけてきた娘。表向きはメイドとして勤めさせているが、既に殺し屋としての仕事もこなし始めている。


 自ら告白したように、みずきは殺人に対しての感覚が麻痺してしまっているのだろう。何の迷いもなくその指令を実行する。指令を下した椎多本人が時折空恐ろしくなるほどに。
 そのみずきを青乃につけておけば、青乃が連れ込んだ男に不穏な動きがあれば対処しやすいだろう。男のボディガードを付けておくより身近に警護出来る筈だ。それに、青乃自身が何か不穏な行動に出た時のパイプ役にもなる。
 椎多の提案に伯方も異論はなかった。
 みずきを青乃に付けておけば、メイドとボディガードの仕事に専念させることが出来る。もう遅いのかもしれないがこれ以上みずきの手を汚させないためにもそれは良い提案だったのだ。

 伯方が退出するのを見送ると、椎多は賢太を呼んだ。
「暫くここの警備を外れてもいい。調査を頼む」
「──調査?」
「この邨木という男の妻を殺した犯人の片割れだ。睦月にも協力してもらえ。サツより早く見つけて確保しろ。殺すなよ」

 名目上椎多が組長であるとはいえ、現在は代行として実際に組を仕切っているのがその睦月という男である。どこで繋げたかは知らないが膨大な情報網をもつ。それを駆使して、邨木の弱みを先に握っておく──
 賢太は怪訝な顔をした。
「それは構わないけど──何か弱みを握っておいた方がいいような不審なヤツなら雇わなきゃいいんじゃないの」
「雇うのは伯方の決断だ。だがまあ、ヤツがどうしても探し出して殺したい憎い相手をこっちが握っておけば、弱みというよりニンジンにはなるだろ。新顔に忠誠心は求めない。嵯院に従うどでかいメリットがあちらにあれば勝手に従う。こいつの場合、金より復讐の対象だ」
「やな性格だねえ、しーちゃん。しかも伯方さんに内緒すか」
 うるせえ、と笑うと椎多は手元で小さな飾り銃を取り出し磨き始めた。それを見て賢太はほんの少し顔を顰める。


 あれは───椎多が紫の命を奪った銃だ。
 

 まるで、何事もなかったかのように椎多はそれを磨いている。

「伯方のことは信用してるさ。でもだからって手の内を全部見せる必要はない」

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「正式に採用となりました、邨木佑介です。当分はまだご近辺を警護させることはないかと思いますがご紹介までに」
 伯方がそう告げると、邨木は軍人のような──実際、軍隊にも所属していたのだが──きびきびとした動きで頭を下げた。青乃は一瞥もくれずに手元に渡された経歴書を見ている。そこには当然、邨木が逃走犯であることなど示されてはいない。
「──伯方は下っていいわ。邨木は残りなさい。少し二人で話しましょう」
 警備の人間に興味を示されるとは珍しい──
 こっそりと溜息を漏らすと伯方は青乃の部屋を退出する。部屋の扉のあたりにはメイドとしてみずきが立っている。二人で──とは言っても、完全に二人きりになったわけではない。

 青乃は邨木の頭の天辺から爪先までを3往復ほど眺め、経歴書に再び目を落とした。
「おまえ、傭兵だったの。伯方と同じなのね」
 邨木は黙っている。
「何人殺したの」
「戦場で殺した敵の数を数えている兵士などおりません。帰国してからは──」
 まるで何の感情もこもっていない声で機械のように邨木は答えた。


「妻を犯して殺したゴミを処分しただけです。処分し損ねたゴミがあるのでそれだけが気がかりです」

 

 処分、という言葉に青乃はほんの少し顔をしかめた。
 立ち上がり、邨木の前に立つと今度はその周りをゆっくりと歩きながら360度観察し始める。腕が触れるほどに接近している。
 一周すると青乃は自分の目線の少し上にある邨木の顎に指を伸べた。そのまま顎を指で辿る。青乃がどう動こうと邨木の視線は真っ直ぐと前を向いていた。


「いいわ、今日はおまえにする。シャワーを浴びてきなさい」
「仰る意味がわかりませんが」
「野暮な男ね。わたくしを抱きなさいと言っているの。何度も言わせないで」
 邨木は少し息を吸い込むとやはりまっすぐと頭を下げた。
「申し訳ございませんがそのご命令には従えません」
 答え終わるか終わらないかで、青乃の平手が邨木の頬で派手な音を立てる。
「わたくしに逆らうなんて、良い覚悟をしているのね。殺された妻に義理立てでもしていると言うの」
 苛々とした青乃の声にほんの少し苦笑を漏らし、邨木はそれを隠すように再び頭を下げた。
「お恥ずかしい話ですが、妻の一件以来、私は男として機能していません。いくらご命令でも肝心のものが使えませんので従いたくとも従うことが出来ません」
 はじかれたように青乃が笑う。狂気じみてすら聴こえるその笑い声をしばらく放出すると、笑いをおさめて青乃はもとのカウチに戻った。
「情けない男。もういいわ、下がりなさい」
 最後はまた、苛々とした声音に変わっていた。邨木は何度目か同じように頭を下げるとやはりきびきびとした動きで部屋を退出していく。
 みずきはそれをぼんやりと見送った。

「みずき、なにをぼんやりしているの。シャンパンを飲むわ。用意なさい」
「──はい」
 いつもの弾むような『はいっ』よりは少し元気がないということに気づく程には、青乃はみずきのことをまだ知らなかった。

──妻を犯され殺されて、その復讐をした男。

 そこには、妻に対する深い愛情があるのだろう。
 わたしは愛するひとを殺されたのに復讐することも出来ずにこうして憎い仇の財力で生き続けている。
 どちらが情けないというの。

 復讐を遂げることの出来たあの男が妬ましい。
 臆面もなく、妻を失ってから他の女を抱けなくなってしまったと口に出来るあの男が憎らしい。

 みずきが注いだシャンパンをひといきに呷ると青乃はそのグラスを床に叩きつけた。

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 別のメイドと交代するとみずきは部屋に戻った。以前の姉の隣の部屋ではなく、青乃の部屋の近くである。
 制服を脱ぎ散らかし、シャワーを浴びる。
 ざあざあという水の音の向こうに、野蛮な男の叫び声が聴こえた気がしてみずきは振り返った。


──誰もいない。
 

 足元を見ると、流れる透明な水が深紅に染まっているように見えた。
 交代してからまだ食事をしていないので空腹な筈なのに、激しい吐き気をもよおす。

 あのひと、佑介さんていったっけ。
 奥さんが、男たちに犯されて殺されたんだって。
 それで、その男を殺したって。
 あたしと似てるね。
 犯されたのはあたしだったけど。

 

 その時殺された『彼氏』の顔はもううまく思い出せない。
 突然掌に、ナイフとそれで人間の身体を何度も刺した感触が蘇った。
 怪物のようにみずきの身体を貪った見知らぬ男たちの息遣いが耳のすぐ後ろで蘇った。

「いやあああああああああああ!」

 

 両手で耳を覆ってその場に座り込む。
 誰もその叫びに気づくことはなかった。 

Note

​そしてついに出てきました、TUSもう一人の主人公!色々面倒なので、彼のコードネーム「ファルコン」はもう無かったことにしてます(今のところ)。ユースケは「TUS」ではHNモデルの人に倣って一人称が「オイラ」だったんですがこの際もっとクールな感じのキャラにするため普通に「俺」あるいは「自分」に変えました。TUSでのキャラや展開をどこまでこっちに落とし込めるのか変更するのかとすごく悩んで(現在も…)いるんですが、自分の書いたものを換骨奪胎するみたいで変な感じですね。多分どこか重い要素を思い切って切り捨てたりするとスッキリ書けそうな気はするのですが。

そうそう、MainTalesの方ではすっかりレギュラー化した睦月さんが名前だけ登場してます。なんかTUSに睦月が出てくるのも変な感じ!​あとみずきちゃんに何かが起こってます。ヒゲ隊長(違)は続けられるのか?!

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