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マサル

 母は僕を置いて男と逃げた。

 そのとき残されていたものは彼の名前と店の場所を記したメモ、それから彼に宛てた手紙。
 

 仕方なくそこを訪ねると彼は手紙を読んでにっこりと笑い、ここで母の帰りでも待つか、と言った。


 一度だってそんな素振りは見せなかったけれど。
 僕はもしかして彼が本当は自分の父親なんじゃないかと思っていた。

 

 もっとも、父親だろうがなんだろうがそんなのは関係なく僕は彼が大好きだった。


 それだけで十分だったのだ。

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「寒いと思ったら雪だよ。やんなるなあ」


 マサルは溜息をついてドアを閉めた。店内には客がひとりだけ。
「こんなに寒い日に外に飲みにでてるなんて、それも自転車ででしょ?そんな人いないんじゃないの」
 呆れ声のマサルの言葉に睦月はくすくすと笑いを洩らしグラスを口に運んだ。
「今日はいっちゃんくらいしか来ないなあ、きっと。いっちゃんが帰ったらもう店じまいするよ」
「それは早く帰れってこと?」
 まさか、と笑いながらカウンターの中に戻る。


「ねえ、いっちゃん。あれ」
 新しく入れたシングルモルトのグラスを睦月の前に置きながら、マサルは店の隅を指差した。そちらへ振り返ると、そこには古いピアノとウッドベースが静かに眠っている。
「弾いてよ」
「いや、もう指も動かないよ」
 苦笑して向き直るとマサルはどこか遠くを見ているような目をして微笑んでいた。睦月はもう一度振り返って、眠っているけれども沈んだ光沢を放っているウッドベースを凝視める。


「シゲ爺が、いつイチがここに戻ってきても弾けるように手入れしとけって──そう言ってたから僕、ちゃんと毎日磨いてたんだよ」


 かつて、澤康平の動向を探る目的で──偽名を使ってこの店に入り込んだ若い頃。
 けれどこの店は居心地が良すぎた。
 だから、康平の真意を問い質すことも出来ずにここから退いたのだ。
「もうずっと弾いてなかったからきっとボロボロだけどね」
 苦笑して立ち上がると睦月はそのウッドベースに向かう。
「なんだか昔の恋人にばったり出会ったみたいに気恥ずかしいね」
「いっちゃんでもそんな事言うんだ」
 マサルのくすくす笑いを背中にその筐体を静かに撫でると緩めてあった弦を締め、簡単に音を合わせてゆく。最初にこの楽器に触れたのはもう何年前のことだったか──


「──僕、小学生だったけどいっちゃんのベース、大好きだったよ」


 ひとしきり弾き終わってカウンターに戻るとマサルは微笑んでいるのに今にも泣きそうな顔をしていた。
 シゲのことを思い出しているのだろう。

 澤を殺した──実際には鴉が殺したのだがそのとどめをさした──翌日には、マサルは言葉通り店を開けて顔色ひとつ変えることはなかった。

 これまで欠片も考えたこともなかったけれど。
 ひょっとしたら、誰よりもシゲの後継者に相応しかったのはマサルなのではないか、と睦月は思う。
 人当たりが良く、利発で、優しい子だった。
 けれど、銃で蜂の巣にされて血だらけの瀕死の人間を目の前にして、怯えるどころか平然とそれを見下ろし、とどめを刺す──そんな芸当が「普通の」若者に出来るわけがない。

 なのに、シゲはマサルにだけは殺しを教えなかった──のだろう。

「シゲさんは……」
 睦月の声に、カウンターで少し俯きがちに煙草を咥えていたマサルが顔を上げる。
「マサルには教えなかったの」
 指に煙草を挟み、灰を落とすとマサルは何を?とにっこりと笑った。

 それとも──
 シゲは最後までマサルには自分の本当の仕事を隠し通していたのだろうか?

「いっちゃんは知ってたんだね」
 先程の睦月と同様に、目的語を抜いてマサルは言った。
 その抜けた部分を頭の中で補完して小さく頷く。ということは、マサルはやはりシゲが殺し屋であったことを知っていたのだろう。

 

「僕がどんなに頼んでも、シゲ爺はそれだけは承知してくれなかったんだ。僕が引き継いだのはこの店だけ……」

 煙草を消す。
「僕は何だってよかったんだけどね、シゲ爺の側に居られれば──でも置いてかれちゃった」

 昔この店でベースを弾いていた頃、常連客たちはここに住む少年を、暗黙の了解のようにシゲの息子ではないかと思っていたふしがある。だとしたら、シゲは自分の息子にはその仕事に関わってもらいたくなかったのかもしれない。
「ちょっと立ち入ったことを聞いてもいい?シゲさんて……マサルのお父さんだったの」
 唐突な質問にマサルは少し驚いたように一息飲むと、あっけらかんと笑い声を立てた。
「違うよ。僕はシゲ爺の息子じゃないし──だいいち、シゲ爺は女の人が全然ダメだったもん。子供なんているわけないでしょ」
「──」
「僕も、シゲ爺が父さんだって思ってたよ、ここに来た最初の頃はね。でもそうじゃないんだ」

 少し寂しそうに、けれどひどく懐かしい昔話をするようにマサルはぽつりぽつりと話し始めた。


 シゲは若い頃に、本人曰く、一度だけ大恋愛をしたのだという。
 この店をマサルに託してフランスへ渡ろうとしていた頃、これは話しておこうと語ってくれた話だったが、酷く照れくさそうにしていた、あの顔をマサルは今も忘れられない。

 それは、店の常連の普通の若者だった。
 
 どこが他の連中と違ったのかはわからない。けれどシゲはその若者にひどく惹かれたのだという。
 もともと彼は異性愛者だったので、シゲの『片思い』は暫く続いた。しかし、どんな手を使ったのか──その手の内は教えてはもらえなかったのだが、遂に想いを遂げることに成功し、彼も戸惑いながら次第にシゲの想いを受け止めるようになっていったのだ。


 しかし、あっけなく終わりはやってきた。
 彼は、ある日突然シゲの目の前から姿を消したのだ。

 

 まだ若かったシゲは、狂ったように恋人の行方を探した。そして、それを見つけた時──彼はもう、小さな家族の主になっていたのだという。
 シゲは何度も遠くから彼の姿に照準を合わせた。
 そして、いつも銃爪をひく指がその時に限って1ミリと動かなかった。
 5度目にやはり指が動かなかった時、とうとうシゲはそれを諦め、かつて恋人だった男に背を向けたのだった。


 それからいくつも季節が変わらないある夜のことだ。
 シゲがどうしても殺せなかった、あの男がふらりとシゲの前に姿を見せた。
 ほんの数ヶ月前に見た時の半分ほどかと思うほどに彼は痩せている。シゲは怒りも憎しみもどこかへ飛んでしまったようにその変わり果てた姿を凝視めるしかなかった。


──ちょっとした病気でね。


 微笑んだ顔はどう見ても『ちょっとした』病気には見えない。
 暫く微笑んでいたけれど彼は、涙を流しながらシゲにすがりついた。
 ごめん、ごめんと何度も繰り返し。
 そして。
 死にたくない──
 そう、繰り返した。まじないのように、そう唱えていればその望みが叶うのを信じているかのように。

 

 ひょっとしたら、おまえは死にたくないと唱える暇も無く俺の弾丸によってもうこの世になかったかもしれないのに──


 シゲはやりきれなくなってただその折れそうに痩せた身体を抱きしめるほかなかった。
 

──もしも、苦しみに耐え切れなくなって。最後まで戦うことを諦めて。楽になりたいと思うなら。
──俺に言え。俺が楽にしてやる。

 

 そんな日は永遠に来て欲しくない。それでもそう言わずにはいられなかった。
 そして、雪のちらつく真冬のある日。シゲの元に電話が入ってきた。

 

──楽になりたいんだ。
 

 一層か細い、弱々しい声で。笑っているのか泣いているのかわからない声で。
 電話の向こうの声はそれだけを告げた。


「それで──シゲ爺は彼を楽にしてあげたんだって。あれだけ何度やっても銃爪が引けなかったのに、今度はちゃんと引けたって。涙は止まらなかったけど、ちゃんと一発で楽にしてあげることができたって」
 マサルは、シゲから聞いた話をまるで自分の思い出話のように克明に語った。

「──その人が、マサル君のお父さんだったのです。おしまい」

 

 にっこりと笑い、空きかけた睦月のグラスに酒を足す。
「僕の母さんは多分、父さんが本当はいつまでも誰かを愛していることを知ってたんだろうね。そしてそれが男だってことも何かで知ったんだよ。母さんは新しい恋人が出来ると僕が邪魔になってシゲ爺に押し付けたんだ。あなたの恋人だった男の子供よ、あとは面倒見てねってところかな。まさかそれが夫を殺した犯人だとまでは知らなかっただろうけど」
 睦月が継ぎ足された酒をちびり、と口に運ぶ。こんな話にはうつ相槌にも困ってしまう。当のマサルはあははは、と陽気に笑った。

「もっとも、母さんの新しい恋人って男はろくでもないひどいヤツでね。僕も色々イタズラされたりしてたからとっとと消えてくれて助かったんだけど。それにおかげでシゲ爺に会えたんだから感謝しないと。……なーにしんみりしてるの。もう30年以上前の話だよ。そのシゲ爺だって死んでからもう10年以上経つんだから」
 うん、とだけ答えてしかし睦月の笑顔はやはり少し困っている。
 あのシゲにもそんな切ないラブストーリーがあったのかと思うと少し意外な気がした。


 もしかしたら。
 マサルが成長して、かつて愛した男に近づいてゆくことをシゲは恐れていたのではないだろうか。
 いずれ、自分がその男の時を止めた同じ年になり、越えて行く。本当なら見届けるべきだった。しかしそれに耐えられなくてシゲはこの場所にマサルを残して逃げたのではないだろうか。そうだとしたら自分が思っていたよりシゲはずっと弱くて純情な男だったのかもしれない。


 マサルは、その男に似ていたのだろうか。
 すらりとしたスタイル、一見モデル風の整った顔立ち。きつくすら見えるのに微笑むと途端に柔らかい、優しい表情になる。


 ただ、マサルはその笑顔のまま血まみれで死にかけた男にとどめをさすことを平然とやってのける。シゲはマサルにそんな面があるということを知っていたのだろうか。


「──さて、雪が積もる前に帰るよ」
 立ち上がり金を出そうとするとマサルはそれを断った。
「話相手になってくれたから今日は奢るよ」
 ごちそうさま、と微笑んでコートを着込み、ドアを開けようとすると背後から呼び止められた。

 

「いっちゃん、シゲ爺が誰に──」

 振り返るとマサルは小さく首を振り、ううん、なんでもないと笑った。
「何?」
「なんでもないって。また来てベース弾いてよ。僕はピアノ弾けないけどさ」

 誰に──
 殺されたのか知ってる?

 そう聞こうとしたのだろうか。
 それを知ったところで何が出来るわけでもないだろう。たとえ相手が判って復讐したところで、シゲが帰ってくるでもあるまい。


 しかし、マサルはそうは思わないのかもしれない。
 睦月はマサルの言葉の真意を追及することはせず、ただ後ろ手に手を振って店を後にした。

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 新しく手に入れた携帯が鳴った。
 この番号を知っているのは今のところ一人しかいない。


『仕事みつかった?』


 もしもし、も言う前に電話の向こうの声はそう笑った。一旦電話を顔から離して溜息をつく。
「……まあ、とりあえず食ってける程度はな。当分あんたへの報酬の支払い開始は先になりそうだけど」
『だからこっちの仕事やればいいじゃん。もういい子でいる必要ないんだろ?あ、ブランク空きすぎて自信ないの?』
「うるさい。なんでそんなにやらせたがるかな。あんたにとっては商売敵だろ?」
『報酬を回収したいからに決まってるでしょ。早く稼いで払ってよね』
「わかったわかった。だからもう切るぞ」
『ちょっと待った』
 まさに切ろうとしたところを鴉が呼び止める。


『マサルが英二君に会いたいらしいんだけど、どうする?あの子ならまあ他に洩らしたりはしないけど。教えていいの?』


「マサルが?」

 なんだろう──
 マサルが向こうからそんなことを言ってくるなど初めてだ。そもそもあの店以外の場所でマサルに会ったことすらない。
 そういえばマサルは英二が死んだことになっていることすらまだ知らないのではないだろうか。鴉が話したのでなければ。
 当然ながらあの場所で銃撃事件があったことなど、記事にもなっていない。
 英二は首を傾げ、暫く沈黙した。
『英二君?』
「……わかった。但しどこか他の場所にしてくれ。他にもあんたの隠れ家があるだろ?それ貸してくれるとありがたいな」


 答えるとまるで用意していたように鴉はすらすらとその場所と日時を決め、それで用が済んだのだろうさっさと電話を切ってしまった。
 息をひとつつき、英二は携帯を置いた。部屋の隅の小さなクローゼットに視線を移す。そこには鴉にもらった銃が隠してある。

 あのクリスマスの夜以来──


 英二は今まで自分の心の核にあった何かが抜けてしまった気がしている。
 もの凄いスピードで様々なものが遠のいていったような。
 家のことも兄のことも有姫のことも会社のこともマリーとジョバンニのこともシゲのことも。そして、椎多のことさえも。
 あれほど執着していたものたちが、霞みのかかった向こう側へ行ってしまった。どれも他人事のようだ。


 そして皮肉なことに自分の手元に残ったのはあの銃だけだった。

 確かに。

 もしかしたら自分はあの仕事に再び手を染める為の条件が整ったのかもしれない。
 今なら例えばマリーをもう一度殺せと言われれば殺せる。
 椎多を殺せと金を渡されたなら──
 できるのかもしれない。
 そう考えて、そのことに胸が痛みもしないのだ。

──シゲさん。

 

 マリーを殺しても、シゲを殺しても抜けられなかった壁。
 シゲの言った、殺し屋としての欠陥。
 あのクリスマスの夜にあの場所へ置いてきてしまったように、それは何処かへ消えたのだ。


 英二は煙草の火を消すと、クローゼットの中の銃を取り出した。ずしりと掌に重みを感じる。
 もう、これを握っても頭の中で鐘が鳴ることはない。掌に伝わる衝撃や熱を感じたとしても、もう何も想起されるものはない。

──おまえは、やっていける。

 目を閉じ、小さく頷く。


──やるならもう一度体作りからやらなきゃな。


 これの重みを感じなくならなければ、仕事は出来ない。
 英二は銃を握ったまま腕を何度か上下させ、何もない空間へ構えてみた。そして、再びクローゼットの中へそれを押し込んだ。

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 高校生の頃だ。

 中学ではグレて不良グループとつるんでいたものの卒業すると何かそれがバカバカしくなり、高校の時には更生して予備校に通うフリをして一人で盛り場をぶらついて遊んでいた。

 その街でたまたま通りすがった銃砲店──競技用の銃や猟銃を扱う店で、ショーウィンドウに並んだ猟銃に目が留まった。

 まるで魅入られたようにそれを眺めていると、いきなり見知らぬ中年男に声を掛けられた。

──そいつが欲しきゃ成人するまで我慢しな。試験受けて資格が取れりゃ手に入れられるぜ。

 中年男は気さくで人の好さそうな笑顔で当たり前の事を言っただけだ。なのに全身に鳥肌が立つほどの恐怖を感じた。その英二の顔を見て、男はポケットからくしゃくしゃになったカードを取り出して英二に手渡した。

──そこでバーやってるから気が向いたら飲みに来いよ。

 そもそも、あそこで逃げれば英二の人生はもっと違ったものになっていたのかもしれない。ただ、もっと酷いことになっていたという空想にしか辿り着かない。

 初対面であんなにぞっとしたのに、英二はそのバーを探した。

 一見して営業している店だとは判断付きかねてあの木の扉の前で迷っていると、中から帰ろうとしている客とそれを見送るようにバーテンが出てきた。扉が開くと中から音楽が聴こえる。

 見送りをしていたのはバーテンの制服を着ているものの随分若く、自分と同世代かどうかしたら中学生くらいに見える少年だった。その”少年”は英二に気付くと腕を取らんばかりの勢いで満面の笑みで迫ってきた。

──ジャズ好き?どうぞ!

 それがマサルと初めて会った時のことだ。

 どうかしたら中学生に見えたマサルは実は英二より一歳年上で、店に通っている間にいつのまにかひょろひょろと背が伸びしまいには英二とたいして変わらないくらいの身長になった。

 ただ、いつ見てもたいてい屈託のない笑みを載せたその顔はあまり変わらない。

 マサルは時間きっかりにやってきた。


「久し振り、英ちゃん。無理言ってごめんね」
 にっこり笑って、無造作に置かれた椅子に腰掛ける。


「珍しいな、マサルが俺に会いたいなんて」
「うん、ほんとは英ちゃんにね、聞きたいこととかいっぱいあったのに居なくなっちゃったじゃない。店にも来てくれないし。だからガーちゃんに頼んだんだ」


 聞きたいこと。
 少しだけ眉を顰める。
 華奢なマサルには少し大きすぎるコートのこれも大きなポケットから、マサルは缶コーヒーを2つ取り出し1つを英二に渡した。
 手元に残ったコーヒーを軽快な音を立てて開ける。

 

「シゲ爺、英ちゃんが殺したの?」

 

 缶コーヒーはブラックでよかったよね、と尋ねるのと同じような口調。
 虚をつかれて英二は缶を取り落としそうになった。


「なんでそう思った」
 マサルは笑っている。
「僕がシゲ爺といつも手紙のやりとりをしたり電話したりしてたのは知ってるでしょ?突然音信不通になって僕がシゲ爺を探さなかったとでも思うの?僕はとっくにシゲ爺が死んだことなんて知ってたよ。それに死んだこと自体はあとで小雪ちゃんが教えてくれたし」
「……」


 シゲが死んだという話を、まるで初めて知ったように聞いたマサル。
 それを何故不思議とも思わなかったのだろう?

 

「シゲ爺と一緒だった筈の英ちゃんも消えちゃったし、康ちゃんも何も教えてくれないし、僕にはただシゲ爺はもういないって事実しかなかった」

──康平。

 

 そう。
 康平は英二がシゲを殺したことを知っていた。シゲの遺体を始末し、殺した英二にとっととどこへでも行けと言ったのは康平だったのだ。
 それなのに、康平は何故黙っていたのだろう。


「シゲ爺から来た最後の手紙がね。妙にあれこれ指図したり昔のことを振り返ったりしてて──なんだか死ぬのを覚悟したみたいだって気がしたんだ。僕はすごく心配になって電話したけど、もう遅かった。その時には英ちゃんももうその家を引き払っちゃってたんだね。電話は繋がらなかった。僕は英ちゃんが何か知ってるかもしれないと思ってどうしても連絡が取りたかったけど、英ちゃんの身元なんて知らないもの。連絡のとりようがなかったんだ。康ちゃんは知ってた癖になにも教えてくれなかった。シゲ爺、病気だったんだって。殺されなくたっていつ死んでもおかしくないくらいボロボロだったけどそのことを口留めされてたって康ちゃん。でもだからって律儀に黙ってるとか無いよね。ほんと無い」


 時折コーヒーを口に運びながらマサルは淡々と語った。
 

「去年、英ちゃんが何年ぶりかに来た時───あの椎多って人を連れて来た時、シゲ爺の話をしたじゃない。あの時英ちゃん、シゲ爺が『殺された』って言ったよね。小雪ちゃんも殺されたなんて言わなかった。もし誰か知らないやつに殺されたんなら、小雪ちゃんが僕にそれを伏せとく意味ないよね。じゃあ誰?」

──シゲ爺、殺されたんだ。ふぅん。

「あの時僕はああ、殺したのは英ちゃんなんだなって思ったんだけど、違ってた?違うなら違うって言ってね?」

 違う、と言えなかった。マサルは既にシゲが死んでいることを知っていて、英二にシゲの話題を振ったのだ。そして英二はそれにまんまと引っかかったのだろう。


「何で、なんて聞かない。聞いたってシゲ爺が生き返るわけじゃないもんね」


 飲み干したコーヒーの缶を埃の積もったテーブルに静かに置く。立ったままの英二の顔をじっと凝視めた。
​「馬鹿だよね、英ちゃん。あんなこと言わなきゃ僕はシゲ爺は病気で死んじゃったんだって思ってたのに。確かにちょっとは納得いってなかったけど。ねえ何であの時シゲ爺は殺されただなんて本当の事を言ったの。誤魔化すことはいくらでも出来たのに」


 それは、自分でもわからない。
 本当は──隠し通すことよりも、誰かに自分の罪を気づいて欲しかったかのように。


 マサルは小さくくしゃみをして、再び顔を上げ、英二の目を直視した。それを受け止めることが出来ずに視線を落とす。
「シゲ爺、英ちゃんのことをすごく心配してたのにね」

 深呼吸のように深く息をするとそれが白く濁って英二の側に届く。


 シゲは引退する以前からすでに病気でボロボロだったのだと康平は言った。

 英二が殺さなくても、きっと二度と会うこともなくシゲはこの世を去っていたのだろう。

 それを知っていてここから去るのを黙って見送った康平。

 そしてそれを知ってか知らずかシゲを殺した英二。

 

「ねえ、ずるいよ。英ちゃんも康ちゃんも」

 ただ、僕は彼が大好きだったから。
 ただ彼と一緒にいたかった。

 父さんの分までずっと側にいたかった。
 彼に殺されることを望んだ父さんは、きっとすごく彼を愛してた。

​ 父さんを殺した彼もまたすごく父さんを愛してた。
 だから僕は、父さんの分までずっとずっと一緒にいたかった。

 それが叶わないなら

 せめて彼の最期の時だけでも。

 側にいたかった。

 ちゃんと見送りたかった。

 それなのに──

「僕には誰も何も教えてくれずに、二人でシゲ爺を見送ったんだよね。シゲ爺の命が僕のものになる最後のチャンスも君たちが奪ったんだ。いっぱい考えたけどさやっぱり──」

 マサルはもう一度にっこりと微笑むと立ち上がった。

「やっぱり何度考えても許せないなって、僕」


 そして、缶コーヒーの入っていたのと反対側のポケットに手をつっこみ、


──ゆっくりと、引き抜いた。

*the end*

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*Note*

というわけで今度こそ「聖夜」の章は終わりです。

わりと初出から何段階も工事したモノだったんですが今回もさらに追加工事をしました(笑)。まあマサル登場のあたりのくだりを今回だいぶ変更したのでその対応のためでもありますが。

​あと、マサルが英二を許せない理由も康平のとどめを刺した理由もまとめる感じでそこだけは大きく変えました。やっぱサイコパスやこいつ。

​最後どうなったかはわかりますよね?

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