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儀 式

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 打合せが終わって立ち上がり、一番上座に座ってまだ書類に目を通している男に視線を投げる。
 それに気付いたのかそれとも偶然なのか、男が顔を上げたところで目が合った。

 それだけで痛むくらい心臓が飛び跳ねる。しかし相手はにっこりと微笑んで会釈をし再び書類に視線を戻した。


 もう何度こんな光景を繰り返しただろう。

 時間が経てば薄れてゆくだろうと思っていたのにそれは大きな間違いだったようだ。薄れるどころかそれはますます強まっているようにすら思う。

 別れを切り出したのは英二の方だ。

 それなのにまるで自分が取り残されたあの昔の別れの時のように苦しいのは何故だろう。それでもあの時の方がまだましだったと思う。その後痛みが薄れるまでは会うことはなかったのだから。

 あの時の自分の選択は、間違ってはいない。
 

 有姫と椎多。
 そのどちらかを選べと言われれば、きっと何度その場面が訪れようと有姫を選ぶだろう。

 なのに、最後に見た椎多の涙と、あの声がどうしても胸を離れない。

 それに絡めとられて、一歩も先に進めない。

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 その海辺には真新しいプロムナードがまだ風景に溶け込まずにぎこちなく佇んでいる。

 そこここに建設中の建物や、そのための建材や建機が一見無造作に、無秩序に散らばっていた。ここがまもなく新しい街になることを物語っている。ほんの1時間ほど前まで雨が降っていたため、今日は工事は中止だったのだろう。まだ明るいにもかかわらず工事関係者の姿は無くまるで置き去りにされた街のようにも見える。


 こんな風景の中にあっても夕暮れの海の風は心地いい。
 

 英二はプロムナードの柵に腰をかけて煙草に火を点けた。一度はやめた煙草だが、最近また吸い始めた。家では吸わないようにしているが一人でぼんやりしていると手持ち無沙汰でつい手が出てしまう。そうして腰掛けたまま海と反対側の、建築中の建物に目をやった。
 この新しい街に、3つの店舗を出店する。これはそのうちの一つで、メインとなる本格フレンチレストランだ。海側にテラスがあって、開店予定の夏にはきっと多くの若者がこの風景を見ながら食事をするだろう。
 この街全体を造っているのが椎多の会社だ。この打合せの為に、あの別れのあとも何度も顔を合わさざるを得ない。実務は当然プロジェクトチームの担当者と詰めるとはいえ、今回の大事業に関しては社のトップとして椎多も頻繁に顔を出してくる。フットワークのいい社長だ。


 仕事は仕事と割り切っているつもりでも、この店を見ているとそんなことをどうしても連想してしまう。英二は時折そんな自分に気付くとこっそり苦笑した。
 海に目を戻すと、夕陽が今海面に姿を隠したところだった。
 みるみるうちに周囲が夜へと色を変えてゆく。

 ふと、人の気配を感じた。

 英二の店の向こう、少し離れたところにある現場事務所のプレハブの建物の扉が開いた。
───誰かいたのか。
 誰もいないと錯覚していたけれど雨だからといって全員が休むわけではないのだな、などと他愛もないことを思っていたが、そこから出てきた人間に少し違和感を感じて英二はついそれを凝視してしまった。

 遠いし薄暗いから姿がちゃんと見えたわけではない。しかし、出てきたのは二人の男でどう見ても工事担当者には見えなかった。
 背の高い方の、黒い服を着た男は時々大声で笑っている。と、笑いながらもう一人の、ポケットに両手をつっこんだままの男の頭に手をやり───キスした、ように見えた。
 見てはいけない場面を見てしまった気がして目を逸らした英二は、しかしどこかひっかかるものを感じて盗み見るように二人の男に視線を戻す。
 キスされた方の男がポケットに手をつっこんだまま、黒い服の男を蹴飛ばしているのが見えた。黒い服の男はそれを笑ってかわし、手を上げると小走りに去って行った。残された男は何か毒づいてそれを見送るとポケットから何か──煙草らしい──を取り出して火を点けている。


 その一連の動作を、英二は目を逸らすことができずに凝視めていた。

 顔は見えないけれど──

 既に鼓動が高鳴っている。


 男は海に顔を向けたまま、ゆっくりとこちらへ向かって歩いてくる。距離が20mほどに縮まったとき、男は初めてこちらに気付いたらしい。
 手を上げて微笑んだ。


「店を見に来たのか、渋谷君」

 

 椎多はいつもの──対外用の顔で笑っている。
「ええ、まあ」
 うわの空で応えながら、心臓は飛び跳ねている。どうしてあんなところから出てきたのか、とかあの男は誰だ、とかそんなみっともないことは聞けるわけがない。第一、そんなことを詰問する立場ではないのだ。
「ここは気持ちのいい場所だなあ。きっと人がいっぱい集まるよ」
 英二の心中を知ってか知らずか、椎多はまるで営業用の顔と口調のまま言う。
「じゃあ、私はこれで」
 会釈するように微笑んで、椎多は来たときと同じようにゆっくりと歩いて英二の前を通り過ぎようとした。その時。


 英二の手が、お節介にも英二の心を代弁するように動いた。
 

 腕を捕まれて振り返った椎多は怪訝な目で英二を一瞬みつめると、すぐにそれを冷笑へと変える。
「まだ何か?」
 英二のよく知っているやんちゃ坊主のような悪戯っぽいものでも、仕事の相手としての対外用のものでもない。ぞっとするような冷たい眼で、椎多は笑った。

 自分で妻を選んだ癖に、まだ俺に何か言うことでもあるのか。

 

 そう言われている気がした。それでも、椎多の腕を離す事ができない。ただ何も言えず英二は椎多の眼をじっと凝視めていた。
 それを受け止めたまま椎多はもう片方の手で英二の手をゆっくりと外し、視線を緩める。去ろうとしていた方向ではなく、プロムナードの柵を乗り越え海岸へ飛び降りると振り返った。


「──英二」
 もう辺りはすっかり夜になっている。少し離れると表情すらよく見えない。英二は自分も柵を乗り越えて海岸に下りた。近づくと椎多は5mほどの距離を保つようにあとずさる。


「さっきの男、見たか?」
 さっきの──椎多にキスしていった男だ。
「あいつは俺を撃った殺し屋だよ。今は俺が雇って使ってる」
「───」
「今日も一人殺させた。この工事のことでどうしても邪魔な奴がいてな。消えてもらいたかったのさ」
 まるで子供が悪戯の成功を自慢するような何気ない声で椎多は笑った。


「おまえが好きだと言った男はそういうやつだ。邪魔だと思えば虫を潰すように簡単に人を殺す。妻が言うことをきかなければ殴って無理やり犯すし、ずっと側で愛してくれていた男を受け止めきれなくなって殺した。そういう人間なんだよ、俺は」

 椎多はそう言って両掌を大きく開き、英二の目の前に翳した。

「見えないか?俺の手は血でべっとりだ。俺はそんな手でお前と抱き合ってきたんだ」

「椎多──」
「昔、一緒に色々悪いこともやったよな。でもほんとはおまえはああいうことを平気で出来るやつじゃなかった。一緒に堕ちたんじゃない、俺がおまえを自分のところまで引きずり下ろしたんだ。そうだろ」

 

 違う、俺は──

 英二はそう言いかけて喉の奥に何かが絡みついたように口を閉じた。

 無意識に握りしめた右手の指が自分の掌の中に食い込んでいる。

 俺は。


 椎多は開いて見せていた両手を下ろし、右手をポケットにつっこんで新しい煙草に火を点ける。英二が一歩前に出ると椎多はまた一歩下がった。
「所詮おまえはお坊ちゃん育ちの甘ちゃんで、クソ真面目で不器用なつまんない男なんだよ。おまえみたいなやつは胸張ってお天道様の下を歩いてりゃいいんだ。俺がいる薄汚れてじめじめして悪臭のするような世界とはもう関わるな」

──大丈夫、おまえはやっていける。

 耳の奥のどこかに残っていた声がうっすらと蘇る。

 忘れてたわけじゃない。忘れたふりをしてしまい込まなければ出来なかった。

 俺はうまくやってきただろう?

 俺が椎多に惹かれたのは。

 もしかして。

 ”それ"を嗅ぎつけていたからだったのか。


 椎多は面白そうにくすくすと笑っている。

 そうだったんだな。

 覚悟を決めるように大きく息を吸い込む。

 飛び込むように大きく足を踏み出し、伸ばした手がようやく椎多に届いた。そんなつもりはなかったが胸座を掴んだ形になる。顔が近づいた瞬間、椎多が煙草の煙を英二の顔に吹きかけた。 

「俺は有姫ちゃんが気に入ってるからなにもしなかったけど。本気でおまえを欲しいと思ったらそのために彼女を殺す事だって俺には簡単なんだよ?」

「そんなことはさせない」
 声を出して、初めて英二は今まで殆ど一言も発していなかったことに気づいた。

 顔を上げて漸く、顔がはっきりと見えた。
「有姫には手出しはさせない」
「だから、その有姫ちゃんが大事ならそういう目で俺を見るなって言ってるんだ。わかんないやつだな」
 引き寄せた顔を凝視める。椎多はもう笑ってはいなかった。怒ったような、少し困ったような顔で英二を睨みつけている。

 もし有姫を殺したら、他の単に邪魔な誰を何人殺した時よりも。

 おまえ自身が傷つくんだろう?

 そのまま、英二は椎多を抱きしめた。椎多の吸いかけの煙草が砂の上にぽとりと落ちる。このまま抱き潰してしまうのではないかというくらい、力任せに抱きしめていた。
 椎多は抵抗するでもなく、小さく息を吐くと呆れたように笑って苦しい、と呟く。

 手を緩めると待っていたかのように英二の首に腕を回しまるで噛み付くように唇を重ねてきた。

──飢えた獣がようやくありついた餌を貪るように。

 軽い眩暈を感じながら抱きしめた腕をそれ以上緩めることが出来ずにいた英二は、ふと脇腹になにかが当たっていることに気付いた。目の届く範囲でそれを確認しようとする。椎多の右手がいつのまにかポケットの中に収まり、それが脇腹に押し付けられていた。

 明らかに───ポケットの中で何かを握っている。
 英二の視線の先に気付くと椎多は英二の肩に頬を預けたまま肩を揺らして笑った。

 

「なあ、今おまえを殺したらおまえは二度と有姫ちゃんのところへは帰れない。永久に俺だけのものになる。ロマンティックじゃない?」

 くすくすくすと。笑い続けながら、椎多は英二の耳元に接吻けた。
 言葉を失ったように答えない英二を嘲るように、椎多の笑いは次第に声を伴ってゆく。と、英二が微かに顔を動かし、肩の上の椎多の髪に鼻先を埋めた。
「………嫌だ」
 椎多の笑い声がぴたりと止まる。替わりに英二の少し怒った声が椎多の耳に届いた。

「なんでおまえばっかりがそんなに沢山の十字架を背負わなきゃなんないんだ。ロマンティックだって?馬鹿言うなよ。おまえはそれで充分苦しんで来たんだろう?」

「脅しだと思ってるのか?俺は本気だぞ」
 ややあって精一杯低めた椎多の声。両腕を一旦大きく緩めて、もう一度椎多の背中に手を回す。その片方の腕で椎多の頭をくしゃくしゃとかき回すと英二は愛しげにそれを抱きしめた。

 

「俺は死んだらそこまでだけど、その後おまえが苦しむのならそんなのは嫌だ」
 

 英二の腕の下で椎多が派手に吹き出した。右手はポケットに突っ込んだまま、左腕で英二を突き飛ばし爆笑する。ひとしきり笑うと椎多はゆっくりとポケットから右手を出し、その手に握っていたものを英二に向かって放り投げた。
 受け取った掌を開く。そこにあるのは銀色に鈍く輝く、ひとつのライターだった。
「まったくどうしようもない甘ちゃんだよ、おまえは!」
 そう叫ぶと椎多はまた笑い始めた。
「俺が撃つわけないとでも思ったのか?俺はやるときは本当にやるぞ」
「やりかねないって思ったから実は背中が冷や汗でぐっしょりだ」
 そう言って英二も苦笑した。

「おまえを殺したら俺が苦しむって?自意識過剰にもほどがあるだろ」

 自意識過剰か。

 それはおまえがそうさせてるんだぞ、と言いかけてやめた。

 風が、通り抜ける。
 椎多がそれに向かって気持ちよさそうに目を閉じた。今の今まで殺すの殺さないのと物騒な会話をしていた表情ではない。目を開けると、顔だけを英二にむけて微笑んだ。目が、柔らかい。

「なんでおまえなんかのこと、好きになっちまったかなあ」

 ゆっくりと、まばたきをして椎多の顔を凝視める。
「ま、俺を抱くんならそのくらいの覚悟はしとけってことだ」


 新しい煙草をくわえると椎多は英二に歩み寄って来た。深呼吸をするように肩を上下させて息を吐くと、英二は今受け取ったライターでそれに火を点け、椎多の掌に返す。微かに触れた指が冷たい。
「煙草は控えた方がいいんじゃなかったのか?」
「おまえまでそういうことを言うなよ」


 苦笑して椎多がひと口煙を吸い込みゆっくり吐き出す。

 英二はそれを取り上げ儀式のように自分の口に運んだ。

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​ 打合せが終わって立ち上がり、一番上座に座ってまだ書類に目を通している椎多に視線を投げる。
 それに気付いて椎多が顔を上げた。にっこりと微笑んだ顔が却って何か含みがあるように見える。


「ちょっとは浮気が上手になったのかな渋谷君は」
「上手なやり方、教えて下さいよ名人」


 椎多の就いた席のテーブルまで足を運ぶと、テーブルごしに軽く接吻ける。
「はいはい、続きは後でな。色々忙しいんだよ名人も」
 ペンを握ったままの手で英二の顔を押しのけ椎多は笑った。

 本当の岐路に立たされる日が来る予感はある。それは明日かもしれないし10年後かもしれない。
 有姫をまた傷つけることになるのかもしれない。

 どちらかを、もしかしたら両方を俺は、失うことになるのかもしれない。


 それでも俺はその手を離すことができなかった。

 おまえが開いて見せた掌。

 俺がいつか自分の掌を開いて見せることがあっても、俺たちはその手を互いに握ったままでいられるのだろうか。

 悪魔が笑っている。
 俺は、もう引き返せない。

 英二はあとでと手を上げてその部屋を後にした。

*the end*

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送信しました。ありがとうございました。

Dramatic Sunset

*Note*

「儀式」 作者書きにくいくせに英二復活。んにゃ、英二の本番はこれからだぜ。 ………ここまで書きにくくて愛着ないとか言ってるくせに、作者、本当は英二が好きなんだろうか………?(もしくはドM?)

​さてこの後どんどん後乗せされていくてんこもりの属性を乗せた上で英二の言動を加筆修正しました。次の章に向けて匂わせたっぷり!

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