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オセロ

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 久し振りに屋敷で夕食をとったあと、自室へ引き上げる途中ふと思いついて別の階段を上る。
 ポケットに両手を突っ込んだままノック代わりに爪先でとんとんとドアを叩くと中からはい、と声が聞こえた。
「おい、暇だろ。つきあえ」
 かちゃりとドアが開いた。
「なんで暇だって決め付けるんですか」
「じゃあ忙しいのか」
 茜は溜息をついて首を傾げている。
「忙しくはないですね。暇なんですか椎多さんは」
「暇だ。勝負するぞ。酒持って来い」
「俺の酒ですか?」
 不満げな茜の声にさっさと背を向け椎多は自室へ向かった。

 決して暇なわけではない。

 宵の口に屋敷にいることなど数週間ぶりなのだが、いざ予定が空いていると退屈するらしい。


「仕事のない日くらいのんびりして早くおやすみになってはいかがですか。休養はちゃんととらないと」
「誰も寝ないとは言ってないだろ。こんな時間から眠れるもんか。どれにする」

 トランプに花札に将棋に囲碁にチェスにオセロ。

 

「俺はテレビゲームっ子だったんだけどなあ。こんど持ってきましょうか?」
 笑いながら茜はオセロを選んだ。
「持ってきてもいいが反射神経が要るやつは駄目だ。そんなものは慣れが必要だろ。慣れるくらいやってる暇はない」
 ぶつぶつ言いながら椎多はショットグラスをひとつ盤の脇に置き、そこに茜が持参したバーボンを満たした。

「負けたら一気飲み」
「駄目ですよ、体に悪い」
「言うほど弱くないだろ、おまえ」
「俺じゃありませんよ。あなたの体に悪いって言ってるんです」
「勝つ気まんまんかよ」

 四つ駒を並べると向かい合って椅子に腰掛け、煙草に火を点けた。

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「おまえ、こないだ薬持ち出しただろ」
「よくご存知で」

 ぱちり。

 

「そこいらの病院と一緒にすんな。柊野の時からうちは薬剤と器具の管理は徹底してるんだ。つまんねえ使い方をするやつがいると困るんでな」

 

 ぱちり。

 

 涼しい音を立てて駒を置くと盤の上が少し黒くなった。
「それは申し訳ありませんでした。始末書でも書きましょうか」
「どうせ公園のホームレス連中に渡したんだろう」

 ぱちり。

 

「そこまでわかってるんですか。すごいですね」
 茜の指が駒を裏返してゆくと白が少しもりかえす。
「そいつらに持っていくならそう記録しておけ。薬代はおまえの給料から引いとく。今度記録せずに薬を持ち出したら何か企んでると疑われても文句は言えない。いいな」


 先代である七哉が食物に混入された毒物によって殺害された反省もあり、嵯院邸での薬剤の管理に対する徹底ぶりは半端ではない。現在は屋敷内に不穏分子がいるわけではないが、現在そうと認められないだけで存在しないと確定したわけではない。最も新参者である茜がその危険性が一番高いと思われても仕方ないだろう。しかし、公園の友人たちに渡すのが真実でも記録さえしておけば見逃してやる──というのはその実茜が信用を得ている証拠ともいえる。

「本来こんなこと俺が直接言うことじゃないんだがまあ、おまえは主治医だから俺の口からいうのが一番角も立たなくていいだろう」
「お気遣い感謝します。気をつけます」

 駒を置く音、裏返す音。
 

 言葉は神妙だがゲームは淡々と続いている。

「──俺の勝ち」
 最後の一枚をわざとらしく置くと、盤の上の三分の一ほどが黒く変わっていた。
 にやりと笑うと椎多はショットグラスを持ち上げ茜に押し付けた。少し悔しそうに顔を歪めると茜はその一塊の液体を口の中に一度に投げ込む。
 喉が焼け付くような熱さに耐えかねるように茜は水を喉に流し込んだ。それを見て椎多がくすくす笑う。
「だらしないな」
「言いましたね。次は負けませんよ」
 茜は自ら酒瓶を持ち上げ、空になったショットグラスに新しい酒を満たした。
「お、乗ってきたな。おもしれえ」
 ざらざらと盤の上の駒を集めると椎多はそれを盤の外へ落とした。

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「で、ここの仕事は慣れたのか」
「ええまあ。ご主人様の我侭にも慣れてきましたよ」

 ぱちり。

 

「ぬかせ。俺が本気で我侭言い出したらこんなもんじゃないぞ」
「いい大人が我侭ばっかり言うもんじゃありません」

 駒を裏返す音とくすくすと笑う声。
 癇に障ってばかりいた茜のものの言い方に自分の方が慣れてきたのかもしれない、とふと思った。


「つきあってる奴とかいないのか。男でも女でも」
「残念ながらまったくモテないもので。なんかこう人間性に問題でもあるんじゃないかと思うんですよね」
「とりあえずその人をちょっと小馬鹿にしたような態度は問題あるぞ」

 あはは、と声を立てて笑う。

「小馬鹿になんてしてませんよ。馬鹿にされたと感じる時は感じた方に何か負い目があるんです」

「そういうとこだって言ってんだ」
 

 椎多ほどではなくとも、茜は平凡とはとてもいえない人生を送ってきている。少なくとも調査資料から察せられる範囲では。
 なのに、それでもひどく『普通』に見えるのは何故だろうか。

 

「人の命を助けるってのは大変なんだろうな」
 茜は駒を手に持ったまま小さく首を傾げる。
「そりゃあ、簡単じゃありませんよ。死にそうな人をこちら側にひっぱり戻すのは」

 ぱちり、と音を立ててその駒を盤に置いた。

「人を殺すのは簡単です。一瞬で死に至らしめる方法はいくらでもある。でも一瞬で生き返らせることは魔法使いでもできません」


「──誰かを殺したことはあるか?過失じゃなくて殺意を持って」


 何故、そんなことを聞いてみる気になったのか。
 茜がどの位置に属する人間なのかを確認しようとでもしたのか。

「ありませんよ、そんなこと」
 表情も変えずに茜は盤に見入っている。
「言ったでしょう、人を殺す方法はいくらでもある。医者は他の職業の人より数倍その手段を持っている」
 駒を置いて顔を上げると椎多はどこか不思議そうな顔で茜を見ていた。
「殺そうと思えばいくらでも殺せます。でもたいていの問題は誰かを殺しただけじゃ解決しない。だったら無駄じゃないですか

「それはおまえが幸福な人間だからだ」

 ぱちり。

 

 次に茜が自分の駒を手に取るまでの短い間、ミュートをかけたような沈黙が流れた。
 確かに茜は誰かを殺そうと思う程感情の起伏の激しい人間にはとても見えない。

「幸福なんでしょうね」

 茜は微笑んでいる。
「命を狙われているのに?相手をなんとかしなければ一生それを警戒しながら生きていかなければならないだろう」
「あなたはそうやって"敵"を排除しても結局一生警戒しながら生きていかなければならないんでしょう?無限ループじゃないですか」


 なにか反論しようとした。
 敵を抹殺しつづけてここまできた自分を正当化しようとしたのだろうか。


 しかし結局椎多は何も言わず最後の一枚を置いた。


「二杯目。一気にいけよ」
 苦笑。
 茜が干したグラスにもう一度酒を満たす。
 今度は盤の上の駒を茜が集めた。

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「ここで勤めるようになってからどうだ、もう狙われなくなったのか」
「さあ、どうでしょう。俺はもともとあの病院を継ぐ気なんてないんですがね。祖父がまだ諦めていないようなので。帰国してからは会いに行ってないので意向が変わったかどうかも知りませんよ」


 ショットグラスの脇に置いた水割りを口に運ぶ。
 

「人を踏みつけにしてのしあがった人間はな。自分もそうやって蹴落とされるんじゃないかと勘ぐるものなんだ」
「あなたも?」
 茜の笑い声に眉を寄せると手の中の数枚の駒を弄ぶ。
「俺をそこらの小物と一緒にすんな。そうだな、俺がおまえの立場なら嵯院家の主治医になったことで嵯院グループを後ろ盾にして院長とその派閥を排除して自分がトップに座る。理事長がそうしたいんだから難しい問題じゃない。それに嵯院グループにとっても自分の息のかかった人間をトップに据えることで茅病院をグループに取り込むことができる。いいことだらけだ。医療関係はもうひとつ弱いからな、うちのグループは。願ったり叶ったりだ」
「俺をその政略に使おうと?」

 ぱちり。

 

 茜の表情が少し強張っているように見える。口元は笑っているが目が笑っていない。
「おまえは俺の主治医だろうが。柊野と苦労してやっと決めたんだぞ、もう後任探しはこりごりだ」
 手の中の駒を一枚、指先で弾き上げてそれを受け止める。椎多はくすくすと笑っていた。茜は虚をつかれたようなきょとんとした顔をしている。

 
「院長一派がそのくらいのことを勘ぐってる、くらいのことは考えておけと言ってるんだ。おまえ一人が私は継ぐ気はありませんと宣言したところで誰も信じるもんか。そのくらい嵯院グループをバックにつけるってのは魅力的な話の筈だぞ。なびかないのはおまえくらいのもんだ」
「俺は実業家でも政治家でもありませんからそういう腹芸は不得手です」

 見渡すといつのまにか盤の上はほとんど黒くなっている。
 

「3連勝」
 得意げに笑うと椎多は盤の上の駒を一枚拾い上げ、茜に向かって投げつけた。それを軽く首を動かしてよける。駒は茜の肩を掠めて落ちた。

「おまえが狙われようが殺されようが俺の知ったこっちゃないが、俺やグループに火の粉がかかりゃそれは払いのける」

 ショットグラスを三度茜に押し付ける。
 茜はそれをまた顔をしかめて口に投げ込んだ。
 

「別におまえを守ってやると言ってるわけじゃないぞ。勘違いすんなよ」
 

「わかってますよ」
 茜は舌を出して水の入ったグラスに手を伸ばしている。
「……もうちょっと上手く立ち回ればいいのに。こいつと同じだ。人間なんて周りの状況によって黒にも白にも変わる」
「あなたはそういうの得意そうですもんね」
「ぬかせ」
 足を伸ばして茜の足を蹴飛ばすと、茜は立ち上がった。

「降参です。もう勘弁して下さいよ」

 苦笑しながらドアへ向かう足が少しふらついている。
「おい、茜」
「はい」
 振り向いた拍子にバランスを崩す。酔っ払っているようには見えないが足にきているのだろう。

「──おまえ、わざと負けただろう。俺に飲ませないために」

「そんな器用な真似できませんよ。こんどは勝ちます。では、おやすみなさい」
 ばたん、と音を立ててドアが閉まる。
 途端に嘘のような沈黙が広がった。
 椎多はテーブルの上の盤に足を乗せて椅子に沈み込んだ。その拍子に駒が数枚ばらばらと落ちる。

「嘘つけ」

 

 呟くと椎多は微かな笑いを浮かべて目を閉じた。

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*Note*

物語的な進展はゼロで椎多と茜ちゃんがお喋りしてるだけの話。二人の関係がゆっくり変化していることを書くのが目的みたいな話です。あと茜ちゃんを取り巻く環境の整理も兼ねて。

​「梟」の章の前半はこんな感じでまったり進みます。よっぽど前の章の不幸ラッシュに疲れてたんだと思います、作者。

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