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少 年

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 あれは、朝だった。

 目の前にぶらぶらと揺れている足を、憂也はぼんやりと見ていた。

 見開いた目は飛び出して見える。体中から色んな液体やどろっとしたものが流れ出てぽたぽたと滴り落ちていた。


 汚え。

 それに臭え。
 

 それでも目を逸らすこともせず、ただ何か観察するように憂也はそのぶら下がった男をながめている。

 確か昨夜まではこの男は自分の養父だったはずだ。
 ぐう、と腹の音がした。
 憂也はなんだか可笑しくなって少し笑った。
 こんな汚らしいものを目の前にしているのに、腹が減っている。

 なにしろまる2日は何も口にしていない。手元には1円の金もない。仕方がないからまた何かそのあたりから盗んできて食うか、そう思い立ちあがりかけて、ぴたりと動きを止めた。


 ドアのところに四人の男が立っている。

 そこにぶらさがっている養父を借金で追い掛け回していた連中だ。二人は見知った顔、二人は見知らぬ顔。

──やばい。

 この部屋の窓には格子がはまっている。仮にそうでなかったとしても地上10数階だから窓から逃げるなど出来るわけがない。とすると出口は男達が立っているドアしかない。

──命までは取られないだろうけど。

 

 養父の代わりに死ぬほど殴られて、借金を背負わされるのは目に見えている。

 

──ちっくしょう、4人か…。

 

 見なれた顔の取り立て屋たちはへらへらと薄笑いを浮かべている。うしろに控えた二人のうちひとりは悠然と煙草をふかしている。身なりから見て前の二人の上の人間なのだろう。まだ若いが幹部クラスの人間に違いない。
 憂也は覚悟を決めるように深くゆっくりと呼吸をした。

 と思うと素早い動きで左手の掌を大きく開き、男達の眼前に突き出し──

「これを見ろ!」

 

 少年の突然の行動に、つられるように言われた通りその左手を凝視する。
「指が全部折れたらおまえたちは身体が動かない」
 憂也は開いた指を1本ずつ数えながら折る。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、

 

「いつつ!」
 

 言うが早いか憂也は腰を落とし男達の足もとをすべりぬけようとした。
 薄笑いを浮かべていた男達はその顔をこわばらせたまま動けずにいる。

──やった!

 

 と、思ったのは一瞬だった。
 何かにつまずき、勢いあまって向こう側の壁に激突する。
「おもしろいことをするなあ」
 足を伸ばして憂也の行く手を阻んだ煙草の男がゆっくりと振り返り、笑った。

──いちどに4人は無理だったか。

 転んだ拍子にぶつけた頭をさすりながらその場に座り込む。

──殺される。

 妙に静かな気持ちになった。

──せめてもうちょっと美味いものでも食ってみたかったなあ。

 

 ぐぅ、とまた腹が鳴った。もう食う必要もないのに、とまた可笑しくなる。
 と、大きな笑い声が聞こえた。


「なんだ、おまえ腹がへってるのか。いい根性してるな」
 

 煙草の男が爆笑している。
 あっけにとられていると、ひとしきり笑ってその男が憂也の前によいしょ、としゃがみこんだ。
「どうだ坊主、おまえ私のところへ来るか。美味いものも食わせてやるし食い物には不自由しないぞ」
「……は?」
「それとも親の仇の手下になるのは嫌か」

 親──

 

 部屋の中のぶらさがった死体に目をやる。
 確かにあの男が自分を育ててくれた。しかし親らしいことをしてもらった覚えがない。

 もとは全国を旅するマジシャンだった。
 一時は羽振りが良かったらしい。弟子も何人かいたのだがその中に催眠術を得意とする者がいて、その男に術を習った。
 しかしいつの頃からかただ借金取りから逃げまわる生活を続けている。当然のように弟子たちも離散した。
 憂也が働いて稼いで来ても借金の返済に充てるならまだいい。知らない間に酒に化けていることもよくある。金が底をついたら食べ物を盗んで食いつないでいた。


 どうせ、もう限界だった。


「自分で首くくってなきゃ近いうちに俺が殺してたかもしんないしな。それよかおっさん、ほんとに美味いもん食わせてくれんの?」
 男はまた笑う。おっさんはひどいなあ、などと呟きながら憂也の頭を手荒く撫でた。
「来い」
 言われて素直に立ちあがる。ドアのところでまだ動けないチンピラ達に目をやると男は左足で2人の足を払い、倒れた腹に向かって力任せに蹴り入れた。


「取立ても満足に出来ないのか。庭掃除からやり直して来い」
 吐き捨てるように言う。口元は笑っていた。

──こえぇ。

 

 苦しむチンピラ達を横目に、憂也は男のあとをついてその場を後にした。
「目的は果たせなかったがそのかわりいい拾い物をしたな」
 楽しそうに、隣に従っていたもうひとりの長身の男に語り掛けている。拾い物とは自分のことだろうか。

 養父の借金はただの借金ではなかったのだろうか。

 たかだか借金取りにこんな幹部みたいなヤツがくっついてくるなんて初めて見た。

 「目的」って何だったんだろう。


「酔狂もほどほどにしておかないとそのうち飼い犬に手を噛まれますよ、椎多さん」
 苦々しげな顔で言われると椎多と呼ばれた男は笑った。
「簡単だ。手を噛むような犬はぶち殺せばすむだろう」
 憂也はぞっとした。

 自分はひょっとして大変な場所に赴こうとしているのではないだろうか。
 しかしもう引き返すことはできなかった。
 なにより、もう今までのような生活を抜け出したかったのだ。

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 古ぼけたビルの中には目つきの悪い連中がぞろぞろいた。そんなモノに怯えるわけではないが、ここで厄介になるということはついに堅気の世界とは本格的におさらばなのかと妙な感慨を持った。


「──さて、坊主」


 椎多と呼ばれた男は、機嫌よさそうににやにやしている。
「坊主じゃなくて憂也って名前があんだけど」
「ははは、いい度胸だ。怖くないのか?」
 別に、と嘯くと椎多はまた笑った。よく笑う男だ。
「よし憂也。おまえにかっこいいコードネームをつけてやる。今ぽっと思いついたアルファベットを言ってみろ」
「は?アルファベット?」

 言っている意味がよくわからない。

「アルファベット……ううん、K………かな?」


「ふん。では今日からおまえのことは『K』と呼ぶことにする」
「コードネームって、何でそんなもんいるんだよ。てゆうかそんな決め方でいいのか?」
「不満だったら『うきゃ』とか『サル』とか呼ぶぞ」
「……いいっす、『K』で」

──意味わかんねえ。

 

 何がかっこいいコードネームだ。ヤクザがコードネームで呼ばれるなんか聞いたことないぞ。
 更にそう言ってやろうとしたら頭の上から声が降ってきた。
「……なに子供と対等にやりあってるんですか」
 部屋に入って来た長身の男が呆れ顔で溜息をつく。
「子供ってゆうな!」
 憂也は、首をぐっと上に向けて長身の男──紫を睨みつける。真直ぐ前を見たら自分の目線は紫のネクタイピンにぶつかってしまう。紫の顔を見ようと思うと首が痛くなるほど見上げなければならない。それでも憂也は自分は対等だと言わんばかりに睨んだ。


「俺、16。ガキじゃねえから」
 

 背中で椎多が吹き出した。爆笑して笑いが止まらないようだ。憂也は振り返りこんどは椎多を睨む。
「おっさん!何がおかしいんだよ!」
「おっさんじゃない、組長だ。組長が嫌なら旦那様と呼べ」
 紫は眉を寄せて憂也の振り返った頭を鷲掴みにし、嘆息した。
「まずは上の人間に対する口のきき方から教えた方がいいんじゃないんですか」
 椎多はまだ笑っている。笑いながら口のきき方なんてどうでもいいよ、と言った。


 幹部には違いない、と思ったが『組長』だとは思わなかった。と、いうよりヤクザには見えない。見えはしないが確かに恐ろしそうな男には違いない。そこに立っているばかでかい男も、近づけば切れそうな雰囲気を纏っている。

 しかし───

 ここで怯えたそぶりを見せてはいけない。
 憂也はいわば経験的にそう思った。


 せっかく今までの生活を脱出できたのだから、つまらぬことで虐げられるのは御免だ。
 どうやらこの『組長』は自分の催眠術を買ったようだ。それなら、はした金で興味本位の見世物にするよりよっぽどいい。

 

──そうだろ?

 憂也は自分の記憶の中に住んでいる古い面影に向かって確認するように小さく呟いた。

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 左腕に山のような書類を抱えノックしてドアをあける。

 部屋の主はデスクの椅子に深く腰掛けたまま居眠りをしていた。
 むっと眉間に皺をよせると持った書類をサイドデスクに乱暴につみあげる。耳元で大声を出して起こしてやろうと側まで足を進め、すう、と息を吸い込んだところでKはそれを思いとどまった。

 近頃、椎多は遊びにも行かず働きづめだ。

 撃たれた胸の傷が完治したわけではないのに、以前よりずっと根をつめて働いているように思う。それは倒れて休養せざるを得なかった時の埋め合わせをしているだけなのかもしれない。それにしても朝から夜まで、殆ど休みなしのような状態だ。


 椎多がそうまでせずにはいられない理由を、Kは勘付いていた。
 

 小さく舌打ちをして、眠る椎多の顔を見下ろす。しばらくそうしていて、ふと手を伸ばすと指が髪に触れる目前でそれを引っ込めた。

──なんだかなあ。

 

 苦笑すると、Kはそろりと後ずさりし、この部屋の応接セットのソファに腰掛けて時計を確認する。
「……しょうがねえから30分だけ寝かせてやるか」
 誰かがいたとしても聞き取れないほどの小さな声で呟き、Kはそこに横になった。

 あんなに恐い男だと思ってたのに。

 いつのまにか全然恐いとは思わなくなっていた。
 それが、妙に可笑しい。

 

 気配がして、横になったまま顔を向けると、逆さになった視界の向こうで椎多が目をこすっていた。
「……なんでそんなとこで寝てるんだ、憂也」
 半目で不機嫌に言う椎多に、もう20分位寝てればいいのに、と毒づいて起き上がると少し笑えた。

 そういえば、自分を憂也と呼ぶ人間はもうこの世にこの男しかいない。

 

「何が可笑しい。仕事を持ってきたんなら起こせよ」
「組長の寝言が面白かったんで聞いとこうと思ったんすよ」
「……寝言?!俺、何を言ってたんだ」
「さあ、それは俺の胸の内にしまっときます」

 

 こみ上げる笑いを噛み殺しながら、Kは積み上げた書類の分類を始めた。

                                          *the end*

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夜の商業ビル

*Note*

「少年」はKの話。 「昔日」の章に入れてもうちょっとじっくり書いてもいい話だったのだけど、「告白」までの話とこの次の話のクッションにちょうどいいかな、と思ってここに置いておきます。Kの姉・妹については​「罪」の「ごっこ遊び」という話に書いてます。

指を折って催眠術をかける場面は、TUS書いた時に実は「まぼろし佑幻」という漫画をパクったのだ、とここで白状しておきます。遊びで書いてた時に出てきたヤツなのでご勘弁を。

 当初は「3つ数える!」っていう「まんま」なパクりを使っていたのでさすがに恥ずかしくなって消したw

あと、当初憂也の養父は「旅芸人一座」とかいう時代劇かそれとも大衆演劇かという世界になってて、それはそれで特殊だしどうしようか考えた挙句、全国を営業して回ってるあんまり売れないマジシャンということにしました…。マジシャンのチームの中なら催眠術を使ってエンターテイメントを見せるとかアリかなあと。しらんけど。TUS書いてた時には催眠術を武器に使えるヤツ面白いなと思ってたんですがこっちに連れてくるとまあまあやりづらいのでただの秘書兼ボディガードとして書くことが多いです。

​実はKのビジュアルイメージだけはTUS時のHNを使わせてもらったご本人に寄せていたりします。当時は可愛い大学生だったけどオッサンになったんやろな…。

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