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 看板が出ているのだから確かに営業している筈だが、それをひとまず疑いたくなるような店構え。

「今どき純喫茶って──」
 苦笑とともにひとりごちると薄暗い階段を下りる。その風情は少なくとも20年は変わっていない。

 店内は古ぼけてはいるが掃除は行き届いている。
 思いのほか広く、暗すぎない程度に抑えた照明の中にはそれでも何組かの客が座っている。店に備えてある新聞を片っ端から読み漁る者、分厚い本からまったく目を離さずコーヒーを何杯もおかわりしている者、深刻そうに顔を突き合わせて何か小声でぼそぼそと話し合っている二人連れ、四人掛けのボックス席に並んで座りじゃれあっているカップル──そのどれも、他の客を見向きもしない。
 高級とはとても思えないが骨董もののソファに身を沈めるとブラックコーヒーを注文する。約束の時間の1時間前には現地入りして様子を見ておくのは半分癖のようなものだ。

 

 鴉は再度注意深く周囲を見回した。待ち合わせの相手はまだ来ていない。
 

 時の止まったような場所だ、と思った。
 確かこの喫茶店に初めて足を運んだのは、まだシゲと行動を共にしていた頃だった。しかし、マスターの白髪が増えたこと以外何も──壁の絵画ひとつ、変わっていない。
 鴉はそんな場所を沢山知っている。いつも連絡場所にしている飲み屋も然り。変わったのはママが肥えて皺が増えて化粧が濃くなったことくらいだ。知り合った頃はそれなりに美人だったのに、と思う。一番変わったのはシゲの店かもしれない。

「お待たせ」

 

 人が入ってきた気配は感じていたが、目的の人物とは思わなかったので少し驚く。もっとも、そんなことを顔に出す鴉ではない。
「どっかリゾートでも行ってきたの?」
 苦笑して見上げる。待ち合わせの相手はよく日焼けして派手なアロハシャツを羽織っていた。足元はビーチサンダルだ。よく見ればある程度年配だということはわかる。小柄でどちらかといえば貧相なその男は人懐っこそうな笑顔を見せて鴉の向かい側に座った。
 アイスコーヒーを注文すると男はおしぼりで首のまわりを拭い、顔をごしごしと拭いている。
「あ、これお土産ね」
 注文したアイスコーヒーが運ばれるなりストローで半分くらい一気に吸い上げ、男は自分の脇に置いた空港免税店のビニール袋を鴉に向かって無造作に差し出した。覗き込むとマカダミアナッツチョコの箱が数箱と、女性用の化粧品の箱が数箱。
 鴉はそのうちの一つを袋の中で摘み上げ、左右に軽く振り最後に蓋を開けて中身を確認した。同じように全ての箱を確認する。
「ありがと」
 微笑んで袋を自分の横へ置き、自分の布製の黒いバッグにビニール袋ごと放り込んだ。入れ替わりにバッグから出した100円ショップで売っているプラスチックの書類ケースを取り出し、それを男に渡す。

「──フクロウさんは巣に帰ったの?」

「さあね。お腹はすいてるらしいよ。美味しい鼠を探してる」
「よく太った鼠を知ってるんだけど試食してみるって言っといて。お土産ありがとう」
 既に冷房で冷たくなった3杯目のコーヒーを飲み干すと鴉は立ち上がった。

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 マカダミアナッツと化粧品の箱をひとつひとつ丁寧に開ける。中に詰まっているのはチョコレートでも化粧水でもない。
 鴉は中身を検品するようにテーブルに並べた。それは鴉の無くてはならない商売道具だ。
「安すぎると質が悪いしねえ」
 誰もいないのに声に出して呟く。
 それを所定の隠し場所にきちんと収めるのとほぼ同時に鍵を開ける音がした。
「おかえり」
 減量中のボクサーでもあるまいし、真夏にもかかわらずスェットのフードを被ったまま雄日が入ってきた。
 汗に湿ったそれを脱ぎ捨てると洗濯機に放り込み、そのまま風呂場へ直行しようとして鴉に視線を向ける。


「フクロウが巣に帰ったそうだよ」

 

 ジョギングの振りをしてその公園を通るようにルートを指定したのは鴉だ。
 立木が多く敷地の広いその公園には、家を失った者たちが思い思いに仮の宿をしつらえている。その一角を通りかかった時、とある物陰から大きな声が聞こえた。
「にいちゃん、フクロウが巣に帰ったよ」

 あ、そう──とだけ答えると鴉は犬を追い払うように手を振って雄日にシャワーを浴びるように指示した。
 シャワーの音が聞こえてくると電話を取り出し、コールしてみる。


『美味しそうな鼠がいるんだって?』


 コール2回。出るなり相手はそう切り出した。
「さすが耳が早いね。いや、目がいいっていうのかな」
 くすくすと笑いを洩らす。
「どうだろう、まるまると太っているのは確かだね。俺にも尻尾くらい食わせてくれるなら教えてあげてもいいけど」
『データを何かに焼けるか?』
「そんなのより会って話したいな、久し振りに。どう、一杯飲みながらでも」
 相手はほんの少し沈黙した。
『──いいだろう。場所と日時は伝書鳩を飛ばすからよろしく』
 一方的に切れた。


 鴉と付き合いのあるエージェントで最も用心深い男。
 過去に一度しか会ったことがない。会ったのはそれきりだが、仕事のシェアでいえばかなり高い。何度となく会って話がしたいと持ちかけたことはあったが、常に返事はにべもないものだった。


「どういう風の吹き回しだろ」
 苦笑して電話を置くと、雄日が風呂場から出てきた。
「雄日、明日も今日と同じコースで走ってきてね」
「……『フクロウ』って、エージェントなの」
「そうだよ。ほとんど外国にいることが多いらしいけどね」


 そういえば澤康平も、本拠地はここだったが活動範囲は世界中にわたっていた。澤は『フクロウ』ほどの用心深さはなかったけれど──
 

「その人に鴉から仕事を振るの?」
「雄日はあんまりそんなことを詳しく聞く必要はないよ。必要な情報は全部伝える。それ以外は余計なこと。いい?」
 雄日は少し納得がいかないような顔をして再びタオルで頭をがしがしと拭いた。

 翌日、雄日が再び同じコースを走ると、目の前に空き缶が転がってきた。
「お土産に持って帰んな」
 持って帰ると、その中には日時とその場所だけを記した小さなチラシの切れ端が押し込まれていた。

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「で、なんでラブホなの?やる気まんまんじゃん」


 特に何か変わったテーマがあるでもない、ただベッドと小さなソファとテーブルと冷蔵庫とテレビがあるだけの部屋。『その』ためにだけ存在している筈の部屋。
 面白げに鴉は部屋の面積の半分以上占めているようにすら思える巨大なベッドに身を投げた。
「べつに。手軽だから使ってるだけだ」
 その男は特に表情を変えることもなく小さな機械を取り出し、部屋をうろうろしている。
「ただこういうとこは大抵一個や二個はあるからな──ほら、やるよ」
 そう言って、コンセントのカバーを外すと指先ほどの黒い塊を一つつまみだし鴉に向かって投げる。鴉は受け取るとバスルームのドアを開け、バスタブに湯をはりながらその中へ沈める。結局、全部で五個の盗聴器が見つかった。


「さて、これで落ち着いて商売の話ができる。どこの鼠だ?」
「梟さーん」
 溜息をついてバスルームのドアを閉じると鴉はベッドの上に戻った。
「こう、久し振りに会った感慨とかないの?──まったく、オレが好きになる男ってなんでこうそっけないヤツばっかなのかねえ。前に会った時は優しかったのに」
「そうだったかな。仕事の話をしないなら帰るぞ」
「わかったよ──はい、コレ」

 梟は座るでもなく立ったままでいる。鴉は再び溜息を落とした。薄いクリアファイルを取り出し、ベッドの上に投げる。


 基本的には鴉はクライアントから直接請けることは避けている。今回はたまたまだった。


「ご存知の通りオレは狙撃が専門だから、事故だの病死を装うのは専門外なのね。でもクライアントの希望は殺人に見えちゃうと困るらしいんだよ。そういうの得意なヤツ、あんたなら知ってるだろ?」
 なるほど、と呟きながら梟はファイルを捲っている。そうしながら何かを一心に考えているようだ。殺し屋の手配をすでに考えているのかもしれない。
「全部任せていいなら紹介料で一割頂くだけでいいよ。いつもお世話になってるしね」
「このクライアントの仕事の頻度は?今後直接交渉していいなら今回は二割流してやってもいい。狙撃可の仕事は必ずおまえに回す──それでどうだ。俺に任せればもう少しギャラを釣り上げてやれるかもしれない。この鼠が本当に太って美味いかどうかは今後によるがな」
 ファイルをぱたんと閉じると梟は初めて微笑んだ。肩を竦めて鴉もくすくす笑う。
「いいね。あんまりクライアントと直接交渉したくないしさ、オレも。ただ今回だけはオレが頭でやるから──次からよろしく。今回の件は請けてくれるね?前金は鳩に届けてもらうからあとは成功報酬で」
 梟の手のファイルを少しおどけた動作で取り上げると鴉はそれをソファの方へ投げ捨てた。


「仕事の話はここまで。たまにはプライベートで楽しまない?」
「わざわざ会って話したいというのはそれが目的なんだろう?」
「ものわかりがいいね」
 愉快そうに笑いながら鴉はベッドの上で膝立ちになり、梟の胸のボタンを外しながら唇を覆う。

 

「ね──『茜』さん?」

 梟は急に不快そうに眉を寄せると鴉をベッドの上に突き飛ばした。
「そんな名前は知らないな」
 鴉は笑いを止めようともせず横たわったまま自分の服を剥ぎ取り始めた。

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*Note*

よく考えてみたら鴉が”いつもの”殺し屋の仕事してるとこあんまり書いてないなとこれ書いてて思った。最後に梟さんの名前を呼んでる件についてはまあ追い追い。

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