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年 末

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 都会の外れの運河。


 コンクリートの堤防できっちりと固められ、その外側には大小の工場が立ち並んでいる。昔はこれらの工場から無秩序に流された廃液によって流れる水は常に何かしらに汚染され、生物の侵入を拒んでいるかのようだったという。
 現在は水質も格段に改善され、上流のようにとはいかないまでも橋に座り込んで釣り糸を垂れる者がいる程度には魚も戻ってきた。魚が戻れば、それを餌にする鳥も戻ってくる。

 

 夕暮れの人工の川はどこか退廃的な美しさを感じる。
 高水敷の上に流れついて露わになった大型の廃棄物ですら、その小道具のように見える。


 その廃棄物の合間に、一羽の鷺が降り立った。


 夕陽の鮮やかな橙に、シルエットとなった鷺はごみの合間からただ天を見上げるように真っすぐに立っている。

 茜は無意識のようにカメラのファインダーを覗き、シャッターを切った。

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 部屋を覗いてみると、誰もいない。灯りもついていない。
 室温はセントラルヒーティングのおかげで適温になっているが、人のいる気配がない。
 外では先ほどから雪が降っている。

「どこほっつき歩いてんだ、あいつは」
 小さく呟くと椎多はずかずかと室内に入り忌々しげにドアを閉じた。


 茜がこの屋敷に住むようになってもう数年経つが、そういえば茜は自室に鍵をかけて出かけたことがないとふと思い当たる。
 この屋敷の部屋は妙にクラシックだったり逆にショールームのようだったりして誰の部屋ももうひとつ生活感がない。しかし、茜の部屋は茜が住み始めて半年もしないうちにすっかり「茜の部屋」になってしまった。どこから拾ってくるのか様々な私物が部屋の中を徐々に侵食し、それをきちんと片付けることもしないので悪く言えば散らかった子供の部屋のようになってしまっている。
 いつだったか椎多が「慣れる暇がない」と言ったテレビゲームも、いつでも出来る状態になっているので勝手に遊んでいるうち慣れてしまった。最近ではむしろ茜があまりゲームに手をつけない。ゲーム画面を見てると目がチカチカして頭痛がしてくる、などと言うのでそんな時はもう老眼か、とからかってやる。
 その一方で大きなプロジェクターを置いていつでも映画などを楽しめるようにもなっている。もっともテレビも大型の液晶テレビなので映画ももっぱらそのままテレビで見ることが多いのだが。

 灯りもつけないままカウチにごろりと横たわり、リモコンでテレビをつける。
 つまらない番組ばかりなので何かDVDでもないかと物色するが特に今見る気分になるものはなかった。

 同じ屋敷の中でありながら、この部屋にいると全く別の空間に入り込んだ気がする。

 ふと立ち上がって部屋の片隅のカーテンで仕切られた小箱のようなスペースに向かう。
 カーテンを捲ると薬品のような臭いがした。

 茜は最近写真に凝っている。
 壊れたカメラを持ち帰って暫くしてから、自分のカメラを買い求めてきて暇さえあればあちこちに写真を撮りに行っているらしい。
 結局、部屋の中に暗室まで作って自分で現像するところまでやるようになった。
 血はあらそえないというのだろうか。
 会った事もない父親がカメラを通して何を見ていたのかを知りたくなったのかもしれない。

 だから、多分今日もこの雪の中、どこかへ写真を撮りに行っているのだ。


 この季節は相変わらず憂鬱だ。
 茜が来て最初の年に寝込んでしまってから、茜は事情も聞かずに、それでもこの時期には椎多の様子を気にかけて極力一人にしないようにしていたように思う。もう今ではあの時のようにいちいち寝込むということは無くなったし、逆に気遣われているのがわかるとそれが癪に障ったりもしていた。
 しかし、放っておかれたらおかれたでなんだか面白くない。

 再びカウチに戻って横になった。
 面白くないけれど、自室に戻る気にもならなかった。

 つまらないと思いながらそのまま流しっぱなしのテレビから時折この季節特有の浮かれた音楽やはしゃぎ声が漏れている。


「……か?」

 声が聞こえて驚いて跳ね起きた。
 どうやらカウチに横になったままうとうとしていたらしい。


 何か──夢を見ていた気がするが、すぐに忘れてしまった。


 見上げると茜がきょとんとした顔をして椎多の顔を見下ろしていた。
 鼻と頬を真っ赤にして、いかにも寒い中帰ってきた風情である。

「こんなとこで何してんですか。もう遅いですよ」
「………おまえこそこんな時間まで何やってたんだよ」
 訊くまでもなく茜は抱えたカメラや三脚を暗室の前に置いている。予想通りどこかで写真を撮っていたらしい。
 室内は暖かいのに、茜が動くとその周りの空気だけがまだ冷たいようだ。
 雪に湿った上着や帽子をとってハンガーに吊るしている動作をじっと見つめた。
「寒い寒い。見ました?外すごい雪ですよ。吹雪いてます」
「その吹雪の中出てって写真撮ってるバカがここにいるけどな」
「そこの川にいる鷺がね、どうしてるかと思って。ついでに撮ってきました。ぶっくぶくになって可愛いかったですよ」

 鷺がどうしたというんだ。
 面白くない。

「鷺なんか知ったことか。退屈だから飲むのに付き合わせようかと思ったらこれだ。もういい」
 手を伸ばして茜の鼻を思い切りつまんで引っ張るとぷいっとドアに向かう。
「あ、ちょっと待って」
 慌てた声と同時に手を引っ張られた。
 茜はそのまま椎多の両手を自分の両手で握ると自分の頬に当てる。
「あー、あったかい」
 心底気持ちよさそうに表情を緩める。
「椎多さんていつも指冷たいのに今日はあったかいね」
「……俺の指よりおまえの顔のが冷たいんだよ。まじ冷たい、離せ」
「やだね。あったかいもん」

 不意に。

 鼻の奥がつうんとした。
 やばい。

「すぐ用意するから、飲みましょ」
 茜がゆっくりと手を離す。離す拍子にその指に軽く接吻けた。
 悪戯っぽくくすくすと笑う、少し釣った一重瞼の目が柴犬のように見える。
 それから茜が酒を用意するまでの間、椎多はおとなしくカウチに戻って膝を抱えた。

「椎多さん、クリスマスだよ」

 ぎくりと顔を上げると、酒とチーズがすでに用意されていた。
「それがどうした」
「去年はここで映画5本くらい見たよね。その前は優兄さんと病院の打ち合わせで何故か俺もつきあわされたんだっけ。クリスマスどころじゃなかったね」
「だからそれがどうした」

「椎多さんのクリスマスには俺がいるじゃないってこと」

 いつも何でもない顔をして、さらっと、そういうことを言う。
 グラスに酒をついでいる手を見つめる。何故か茜の顔を見ることが出来ない。

「クリスマスなんて、クリスチャンでもないし、特別な日じゃないよ。ちょっと周りが浮かれてるただの年末の一日」

 茜は、椎多にとっての「クリスマス」の意味を知らない。
 知らなくてもいいのだろう。
 何も知らなくても、ただ黙ってそこにいると言っている。

 クリスマスは特別な日じゃない。

 茜の袖を引っ張り、隣に座らせる。
 指を伸ばして頬に触れると、もうそれは椎多の指よりも暖かくなっていた。 


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*Note*

"Re-TUS"である「罪」の章をついに完結させたのでこっち戻ってきました。やっと「孤高」の章に入ります。

ぼんやりなんだけど、この章でこのお話は終わりにするかもと思いながらもともと着手していたんですが、だからといって何をメインにした章になるのかがあんまりはっきり決まってませんでした。ここにお引越ししたりRe-TUSを書いている間に徐々に方向性は固まりつつあります。

この章を書き始めた時には、物語現在が書いている現在とまあまあ合っていたのですが10年くらい間を空けてしまったのでこの時点の物語現在はまだ2006年の年末くらいの想定です。まだスマホも発売されてないんですね、この頃って。

​実は本来この「孤高」の章はこの「年末」ではなく「誰」が最初の話でしたが、ちょっと考えてこのなんか平和なだけの短編を頭にしました。次の話から何かしら起こってきます。まあ、そんなに血生臭い展開はないと思うけどどうぞ。

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