top of page

おかえり

0084透過2.gif

 七哉は、膝の上に幼い息子を抱いてぼんやりと窓の外の雨をながめている。
 父親の手で無心に遊んでいた息子はいつのまにか眠っていた。


 この子が実の母親に首を絞められたのは僅か1週間ほど前のことだ。その恐怖がまださめやらぬ息子を、あれから七哉は屋敷にいる間は片時も離さず側に置いている。七哉自身も、ふと息を抜くような時間がぽっかりと空くとこうしてぼんやりとしていることが多い。
 殺された女のことを思い出しているのだろう。
 ただ黙ってそっとしておいてやることくらいしか、紫にはできなかった。

 

 その男が訪ねて来たのはそんな雨の午後のことだ。

 玄関ホールでメイドから渡されたタオルで髪を拭いながらそのずぶ濡れの男は紫の姿を認めると一瞬驚いたように目を見開き、それから少し笑った。

「紫……か?見違えたな」
「鷹さん」

 かつて、七哉のもとで一流の殺し屋として暗躍していた男、『鷹』。

 殺し屋から足を洗うといって去っていったのは、まだ紫が11、2歳の頃だったか。
「リカのことを聞いたんだ」
「……すみません、ここではその話は」

 その女──リカを殺したのは七哉の妻だと思われている。当然この屋敷に現在も住んでいる人間だ。どこにその息のかかった使用人がいるかわからない。人のいる場所でリカの話題はタブーだった。
 それをすぐに察したのか、小さく何度か頷くと鷹は紫の肩を数回叩いた。

 

「七哉はどうしてる」
「………」

 リカを失った七哉に紫がどうしてやることもできない、ということを見透かされているような気がした。

 鷹は家族が出来たのを契機に、殺し屋から足を洗った。
 これまで身をおいてきた世界の血生臭さとは縁を切らせようと七哉の方から廃業を命じたのだ。

 しかしだからといって本当に連絡すら途絶えさせることは無いのでは、と紫は思っていた。

 七哉が子どもの頃から兄弟のように過ごしてきた親友である。自分の命令で廃業させた手前自分から連絡を取ることはしなかったけれど、本当は友人として近くにいて欲しかったのではないのか。

 七さんはあんなに寂しそうだったのに。

 

 ドアを開け、声をかけても七哉は小さくうん、と応えただけで顔は窓の外へ向けたままだった。まだぼんやりしている。
「七哉」
 決して大きい声ではなく、呟くように呼んだその声に、七哉は初めて反応した。ゆっくり顔をこちらへ向け、大袈裟に何度か目をまばたかせると膝の上の息子を取り落としそうになりながら立ち上がる。

「喬──?」

 鷹は少し安心したように小さく息をつくと、微かに笑いを浮かべてやあ、と言った。

 『鷹』は殺し屋としてのコードネームで、七哉の呼ぶ『喬』がこの男の本当の名前である。

 今まで座っていた椅子に眠ったままの椎多を寝かせると、大股で鷹の前に足を進める。七哉はこのやろう、などと言いながら拳を作り鷹の肩を軽く殴った。

 吹き出すようにくすくすと笑い始めた七哉の頭へ腕を回し、自分の肩口へと抱き寄せると鷹は何かを言おうとしたのか一旦口を開け、再びそれを噤む。
 七哉の笑い声は、いつの間にか泣き声に変わっていた。
「なんだ、いい年してあいかわらず泣き虫だな。まあ、気が済むまで泣いた方がスッキリするさ」
 からかうような言葉と裏腹に鷹の目は優しい。七哉は鷹の肩に頭を預けたまま何度もその胸を殴った。
 小さい声で、何度もリカ、と呼ぶ声が紫の耳にも届く。鷹はそのまま七哉の髪や背中を撫でながら悲しげに微笑んでいた。

 コーヒーを口に運ぶとようやく落ち着いたように七哉は深呼吸をした。
 鷹は子供を抱き上げてあやしている。
「これ、おまえの子か?」
「椎多っていうんだ。俺と、リカの子だよ」
「………」
 鷹も本当は『リカが産んだ』子ではない、ということはわかっているのだろう。ただそうか、とだけ答えた。

 七哉の父親が没してから七哉が組長を継ぐまでの間、組長をつとめていたのは宇佐という男だった。古いタイプの極道だったが、七哉が成人して一人前になったと見るや引退して七哉に跡目を譲り自分は妻と田舎へ引っ込んでいた。

 リカの凶事について、出来る限り誰にも何があったかは知らせず──組員たちにも、リカは事故死したと伝えていた──ごく数名の内々の人間だけで真相を探っていたのだが、七哉は宇佐にだけは何があったのかを伝えていた。その宇佐が、鷹に今回のことを知らせたのだという。

 鷹にとってもリカは妹のようなものだったのだ。

 ひとしきり昔話や近況について語っていた鷹はふと時計を見ると慌てて立ち上がった。すでに日は暮れ夕飯どきになっていた。
「ああすまん、もう帰るよ。俺も息子が家で待ってるから」
「なんだ薄情な親父だな。かわいそうに。紫」
 このとき七哉ははじめて紫を振返った。居ることに気付いていないわけではなかったのだな。
「喬を車で送っていってやってくれないか」
 はい、と小さく頷いて紫はどうにも居心地の悪かったその部屋をようやく脱出した。

「もう一度仕事を始めようかと思ってる」
 車の中で、鷹はふと目を閉じて呟いた。雨が吹き込まないように少しだけ窓を下ろし、煙草に火をつける。

 紫はただ眉を少し顰めた。
「8年も現場を離れていたのにですか」
「腕は鈍っていないさ。さっきはなんだか言いそびれたが七哉にもそう言っておいてくれ」
 是とも非とも答えず、紫はどこか苛々とハンドルをさばいている。何故自分が苛ついているのかも紫はよくわからなかった。

「あいつ、リカが死んでひとりで泣いてるんじゃないかと思ったけど……おまえがいてやってくれてたんだな。良かった」
「保護者みたいな言い方ですね」
 刺を含んだ紫の言葉に鷹は苦笑した。

 
「俺は何もしてません。七さんは俺の前で泣いたりはしない」


 泣き虫だ、と鷹は言った。しかし、紫はそんな七哉を知らない。

 七哉はきっとまだ自分を子供だと思っているから、弱みを見せてくれないのだろう。

 それが悔しい。
 そんな紫の心の裡を見てとったように鷹は笑って紫の頭を手荒く撫でた。
「妬いてるのか?けっこう可愛いとこあるじゃねえか、おまえ」
 紫は不機嫌な顔を一層険しくさせてその手を払いのけた。七哉に子供扱いされるよりもっと頭に来る。

 

 鷹は愉快そうに笑い、根元まで吸った煙草を窓の外へ投げ捨てた。

 窓を閉めると急に社内が静かになる。
「俺も去年かみさんに先立たれてな。病気が見つかってからあっという間だった」

 運転しながらちらりと鷹の横顔を盗み見る。

「ガキができたからってなりゆきで一緒になったんだが、いざ所帯もってガキが生まれて普通の生活してたらそれなりに楽しかったよ。ガキの頃に戦争で家族全部死んじまったから家族で暮らした記憶ってのもたいして残ってなかったが、あんなに平和で安らかなもんだと初めて知った」

 鷹はこんな饒舌な男だったろうか。

 紫にはそうなってしまう繊細な心の動きを察することができないでいる。

「そんなかみさんでも亡くしたときにはかなり堪えたよ。病気って敵は銃でコロっと倒せる相手じゃなかった。俺みたいな血まみれの生き方をしてきた人間が、あんな安らかな暮らしをいつまでも出来るわけなかったんだ、これは罰だと思った」

 

 罰──

「本当はもう二度と七哉に会う気はなかった。それがあいつの望みだったからな。だけどあいつがリカを亡くしてどんな思いをしてるかと思ったら、いてもたってもいられなくなった」
 鷹はシートに深くもたれかかり、窓の外を眺めている。
「あいつ、リカがいなくなって帰る場所を見失ってんだよ」

 帰る場所──?

「おかしいよな、あいつはちゃんと家族もいたし家もあった。俺みたいに路頭に迷って行き場所がないような思いをしたこともない。それなのに帰る場所を見失って迷うことがある」

 それはきっと、紫はまだ知らない七哉の姿なのだ。

 思わず唇をぎりっと噛みしめる。

「リカはあいつにとっての帰る場所だったんだ。いつどんな自分でも、何も言わずにおかえりって言って迎えてくれる、そう信じられる場所だ」
「───」

「それを奪われて、どこへ行けば安心できるのかわからなくなってる。何もかも許して安心させてくれる場所があいつには必要なんだよ」

 鷹が再び煙草に火を点ける気配がして、ライターのオイルの匂いが漂う。
 

「それで、今度は鷹さんがその役をやると?」
 自分の声がどこかうわずっているように思えて、突然恥ずかしくなった。動揺していることを悟られたらまた鷹に子供扱いされてしまうだろう。
 しかし鷹はただ苦笑しただけだった。

「俺は違う、逆だよ。俺は七哉に守られてた側だ。そんな場所にはなれないさ」

 窓を開けると外の雨は小雨になっている。

「おまえが作ってやればいいんだ。あいつが安心して帰れる場所を」

0084透過2.gif

 机の上に広げた写真を手早くまとめ、それと数枚のファイルを一緒に鞄に収めたのと同時に勢い良くドアが開いた。


「あ!タカシがいる!父さん、タカシいるよ!」
 鷹はその少年を見ると表情を崩し立ち上がり笑う。
「おう、椎多か。来い」
 そう言われるより先に突進してきた椎多を、激突する寸前に鷹は一瞬で肩の上にまで抱き上げた。そのまま逆さにぶらさげると椎多は暴れながら爆笑している。
「おっ、重くなったな。いくつになった?」
「8さいー!」
「……いつみても子供の扱いが上手いなあ」
 後から部屋に入ってきた七哉が苦笑している。鷹は笑って椎多を下ろすと小さな背中をぽんと叩いた。椎多は少しふくれて部屋の外にいる若い組員たちの方へ走ってゆく。部屋には七哉と鷹と紫、そして紫と同世代の若者・睦月の4人が残された。
「事務所に来てるとは珍しいな。今度の仕事の件か」
「……ああ」
 七哉は椅子に腰をかけると身をのりだして声を顰めた。
「どうだ?若いのを何人かつけようか。紫と睦月ならかなり楽になるだろ」
「いや、一人で充分だ。人数がいると却って動きづらい」
 紫は黙ってそのやりとりを見ていたが、吸っていた煙草を消し口を開いた。
「オヤジ、睦月と二人でもダメなら俺だけでもつけて下さい。さっきから鷹さんは一人でやるの一点張りで聞かないんですよ。無茶だ」
「おまえは黙ってろ」

 
 信用していないわけでは決してない。
 鷹が復帰して約5年間というもの、紫は鷹の仕事ぶりからその腕の高さを目の当たりにしてきた。特にこの3年ばかりは、七哉のボディガードの傍ら鷹から狙撃の訓練をみっちりと受けてきた。そうすればするほど、鷹の仕事が狙撃の腕だけでなく襲撃場所やシチュエーション、時間帯などの選定など『殺し屋』としてのスキルの高さを実感することばかりだ。

 自分のスキルがまだ鷹の足元にも及ばないこともわかってはいる。
 しかし、だからといって無茶とわかっている仕事をさせることはできない。

 鷹もプロだ。いつもなら慎重を期して人員を要求することも珍しくはない。

 なのに、今回は一人でやるといってきかない。紫から見ても無謀としか思えなかった。


「──本当に一人で大丈夫なんだな」
「当然だ」
 七哉は鷹の目を真っ直ぐ睨みつけていたかと思うと、ふう、と息をついて椅子にもたれかかった。
「わかった。任せる」
「オヤジ!」
 他の者にやらせたとしたら、少なくとも5人は必要だと思える仕事だった。
「こいつは言い出したらきかないんだ。信じてやらせるしかないだろ」
 紫に向かって苦笑する七哉に、鷹は満足げに頷いた。
「じゃあ早速、これからとりかかる」

「待って下さい」

 ここまで黙っていた睦月が標的のデータをより詳細に分析したものを手に鷹に話しかけている。短いやりとりの後、その資料を手にすると鷹は再び七哉を振り返った。

「長くなるかもしれないからよかったらたまに鴒の様子を見てやってくれないか」
「──喬」
 鞄を持って立ち上がった鷹を呼び止めたものの七哉は一瞬口を噤み、天井を仰いで大きく息を吐くと笑って見せた。

 

「美味いスコッチを用意しておくから」

「そいつは楽しみだ」
 にっこり微笑み返して部屋を後にする。紫は七哉の顔とその背中を交互に見つめると無言でその背中を追った。

「鷹さん」
 階段を降りかけた鷹は振り返りもしない。
「なんでそんなに1人でやることにこだわるんです、今回に限って」
「しつこいな。俺の腕を信用してないのか?」
 ようやく振返った鷹は微笑んでいた。

「理由なんかない、俺が一人で充分だといってるんだ。まだまだおまえに手助けしてもらうほど衰えちゃいねえよ」
 言い返すこともできず紫は眉間にこれでもかと皺を寄せている。
 その眉間に、指を伸ばして皺を伸ばすようににじりつけると、鷹は少し声を立てて笑った。

 

「おまえは、ずっと七哉の側にいてやってくれよな」
 

「まるで遺言だ。自信がないなら俺を連れて行って下さい」
「しつこいな」
 鷹はもう一度振返ると2,3段戻ってきて紫の頬を軽く叩いた。

「息子が家で留守番してるんだ。帰ってくる」
 

 そう言い終わって一旦目を閉じ、それを開くと──

 それは父親でも七哉の親友でもない、ひとりの殺し屋の目になっていた。

0084透過2.gif

 封を切る音、コルクの軋みと軽快な栓を抜く音をどことなく異世界から響いてくる音のように聞いた。
 2杯のグラスに注ぐとほんのり甘い芳香が微かに漂う。


「……開けるんですか」
「おまえも、見ただろう?」

 不気味な程七哉は落ち着いている。
「とてもじゃないがあんな死体は12歳の子供には見せられないな……」

 

 全身蜂の巣にされた上、高いビルの屋上から落下した、無残な身体。

 あれがあの頑丈な男の身体だとはにわかには信じられるものではない。
 あと一人殺せば、鷹の仕事は終わる筈だった。
 七哉はグラスをひとつ取り、その中の琥珀色の液体を揺らしながら口もつけず眺めている。
「七さん」
 紫は側に立ってそれを見ていたが思い立ったように口を開いた。
「残りのひとり、俺にやらせて下さい」
「……ああ、そうしてくれ」
 小さく笑うと視線をグラスに戻し、テーブルに置いたままのもう一つのグラスに軽くぶつける。かちん、と澄んだ音がした。


「あいつはこの酒が好きだった。それほど強くはなかったんだがこれだけは氷も入れずに飲んでいたな………」
「………」
 くすっ、と笑うとそれを七哉は一気に飲み干し、グラスを置いて立ち上がり、窓の桟にもたれかかる。酔いがまわったのか、それとも失った友人に思いを馳せているのか──そのまま目を閉じた。


 気狂いの猛獣だった俺を檻に入れて飼い慣らして。

 まっとうな人間のような顔して生きてく術を教えてくれたのはおまえだよ。

 でも所詮は気狂いの猛獣だ。ただの人殺しだ。

 いつ殺されたって仕方ない。

 だからおまえも、

 もしその日が来たとしても、

 悲しまなくていいし惜しまなくていい。

 とっとと、忘れてくれ。

 

「あいつはどんな仕事の前もいつもそう言ってた。難しかろうが簡単だろうが、あいつはいつでもやられる覚悟は出来てたんだ。だけど」

 身体を折り曲げて肺の空気を全部吐き出すのかというほど深く息を吐く。

「悲しんだり惜しんだりするくらい、させてくれたっていいじゃないか」

「七さん──」

 一瞬、そのまま七哉が窓の外の闇に溶けていってしまうような錯覚に陥ってひやりと背筋が冷えた。

 

 どこへ行けば安心できるのかわからなくなってる。

 何もかも許して安心させてくれる場所があいつには必要なんだよ──

 鷹さん。

 やっぱり、鷹さんも七さんにとってそういう場所だったんだよ。

 それを失って、また七さんはどこへ帰ればいいのかわからなくなってる。

 俺はまだ全然、そんな場所にはなれてなかった。

 俺は七さんを守るって、そう決めたのに。

 安心して帰る場所すら作ってあげられてなかった。

「七さん、俺はもうあの時の野良猫じゃない」

 紫の声に、身体を折ったままだった七哉が顔を上げた。

​「俺はもう椎多さんが生まれた頃のあんたと同じ位の年だ。もう──」

 いいかげん、俺を頼ってほしい。

 いきなり近づいたら消えてしまうような錯覚。おそるおそるそろりと七哉に近づく。

 七哉は少し不思議そうな、無理に作ったような笑顔を見せた。

「何言ってんだ。十分頼ってるよ」

「だから──」

 壊れ物を扱うようにそっと手を伸ばし、窓の桟にもたれたままの七哉を自分の胸に巻き込む。

「こんな時に無理に笑って見せてくれなくていい。俺はどこにも行かないから」

 七哉は何も言わず、そのまま顔を紫の胸に預けた。

 小刻みに震えている。肩に回した両腕から、じっと一言も声を漏らさないのが最後の意地のように、ただその震えだけが伝わってきた。やがて、ぽたりぽたりとカーペットに水滴の落ちる音だけが微かに届く。

「まいったな……止まんねえ……」

 小さな涙声がする。

 たまらずふんわりと肩に回していた両腕を腰に回し直し、今度は少し力を入れて窓の桟から引きはがすとしっかりと繋ぎ留めるように抱きしめた。呼応して七哉も両腕を紫の背に回し、しがみつくように力を入れる。

「俺はずっといるから。これからもずっと」

 顔を少し傾けると自分の肩に目を押し当てている七哉の頭が見える。無意識に髪からこめかみに唇を押し当てていた。

 

 こんなに愛おしいのに、自分がどう力になればいいのかわからない。胸がきりきりと痛む。

 

 七哉が少しだけ顔を上げる。

 半分閉じた瞼から伸びた睫毛に涙が小さな粒となって付いているのが見えた。頬にも幾筋にも涙の痕。こめかみに押し当てていた唇がそれを舐めとるように這ってゆく。

 涙の味だ。

 と思った瞬間、七哉が不意に顔を動かした。

 その拍子に唇どうしが触れる。

 途端に紫は突然我に返り、身を離そうとした──が今度は七哉が離さなかった。​

 紫の背中に回していた両手を緩め、紫の頭に回す。喉の渇きを潤すために果物を齧るように、七哉は自ら紫の口を貪り続けた。

 たまらず身を離したのは紫の方だった。

「ごめん七さん、ほんとごめん」

「何謝ってるんだ」

 湿った目で紫の頬をパチンと叩く。

「やっぱりこんなのダメだ。こんな時につけこむようなのは卑怯だ。ごめん」

「バカ、違うよ」

 七哉はもう一度紫の首に両腕を巻きつけて抱きしめた。紫の耳に唇の当たる感触と、吐息とともに顰めた声。

「俺が、おまえの気持ちにつけこんでるんだ」

 耳から伝わったものがぴりぴりと全身に電気のように伝播する。

──慰めてくれ。

──おまえの好きな誰かの替わりでいいから。

 もう殆ど忘れていた古い記憶の中の声が頭をよぎった。

 あの時のあの人のように七さんは今は誰でもかまわないのかもしれない。

 だけどああいうのに慣れていたあの人と七さんでは違う。

 それとも七さんは、本当は鷹さんを──

 一瞬のうちに思考が縦横無尽に駆け巡る。

 そうしているうちにも、七哉は紫の耳元から顎にかけて小さくキスを繰り返し再び唇に到達しようとしていた。

「……七さん、よそう。これ以上……俺が我慢できなくなる」

 完全に形勢が逆転していた。

「我慢しなくていい」

 おまえがしたいようにすればいい。

 ずっと溜め込んできたんだろ?

 見て見ぬふりをしてきたのは俺だ。

「おまえは、俺をおいていかないでくれ」

 

 まだ泣き腫らしたままの目が真っすぐ紫をみつめた。

 それを見ると紫も泣きたい気分になった。

 こんな風にしてくれなくたって、俺はずっといるのに。

 いさせて欲しいって、それだけを願っているのに。

「……ずっといるって、何度も言ってるじゃないか」

 防戦一方になっていた紫が反撃するように七哉の口を貪る。そのまま抱き潰してしまうかというほど力をこめて抱きしめるとうなじをきつく吸い上げた。七哉はそれに応えながら手探りで紫の片手を探り出し、手を握って自分の下腹部へ導く。服の上からすでに一連の行為に反応しているそれをまさぐると七哉の息が一層熱を帯びた。その続きのように服の中へ下着の中へと手を潜り込ませる。掌に直接熱が伝わり、すでにじっとりと湿り気を帯びている。それを這わせるように背後へ移動させると七哉の身体がびくりと小さく跳ねた。

 指がその場所を探りあてる。く、と力を入れると紫の背中を掴んだままの両手の指に力が入ったのがわかる。

 ここは初めてなんですか。

 声帯を通らない声で囁くと七哉は小さく頷いた。

 それがいやに可愛いらしく思えた。

 ずっと大人扱いしてもらいたくて背伸びして接してきた七哉を、初めて可愛く見えたのが無性に嬉しい。

 愛しくてたまらない。

 紫は一旦七哉から手を離すと腰のあたりで抱え上げた。

​ 続きはベッドでやっていいですか、と尋ねると、いちいち聞くなと答えが返ってきた。

0084透過2.gif

「葬式をしてやらないとな……」

 眠ってしまっていたと思った七哉が目を開けるなりそう呟いた。

「鷹さんの、ですか」

「他の誰だよ。殺し屋の葬式なんか普段は出さないが、鴒には何かけじめになることをしてやらなきゃいけないだろ。いつまでも親父は行方不明のままじゃかわいそうだ」

 鴒とは鷹の息子の名だ。

「事故にあったとでも言って家で出させてやるのもひとつの方法だが、その場合色々偽装しなきゃいけない事が多いからな……この屋敷の中で簡単でもいい、坊さんも呼んでそれらしいことをしてやればいいかなと俺は思う」

 紫はそうですね、と答えた。

「あと、鴒が18くらいになるまではこっちに引き取るか何か面倒を見てやらないとな。それと」

​「七さん──」

 喋り続ける七哉の口を指で押さえ、そのまま自分の唇で塞ぐ。

 まだ二人とも素っ裸でシーツも被らずにベッドに転がった状態である。余韻もなにもあったものではない。

「もうちょっとだけ黙っててもらっていいですか」

 一瞬きょとんとした顔をすると七哉は這うようにして紫の胸に顔を乗せた。悪戯っぽく笑って、視線の先にある紫のものに手を伸ばす。

「ちょっと七さん──」

​ 苦笑が漏れる。そちらはさせるがままにしておいて、紫の手は七哉の脇腹をくすぐるように撫でる。七哉は身を竦めると紫の胸の突起に吸い付き、歯を立てた。

「このままじゃ朝になるけど、明日の予定はどうするんです」

「そんなのおまえがどうにかしろ。それもおまえの仕事だろ」

「わがままな上司だな」

 素早く身を起こすと紫は七哉のものを舌を出してなぞり、口に含む。七哉の喉から小さく声が漏れた。何が愉快なのか笑い声に変わっていく。

「──紫」

 口からそれを離して声のする方を見ると、七哉は横たわったまま大きく手を拡げていた。

 そこへ身体ごと身を預ける。

 額に唇の感触。

「来い」

 声に従うように、七哉の脚を持ち上げ、またゆっくりと身体を繋げる。まだ痛みを堪えるような声を時折漏らしながら、七哉は愛しそうな顔で紫の頬を撫でた。

 俺は、少しは七さんの「帰る場所」になれたんだろうか?

 だから、いつ、どんな時でも。

 安心して帰ってきて欲しい。

 どんな七さんでも、俺は無条件におかえりって言うから。

レビューを投稿いまいち何もまあまあ好き大好きレビューを投稿

送信しました。ありがとうございました。

*Note*

 

これ後半(鷹さんが死んだあとのふたりのイチャイチャ)を全編書き直しました。前に書いたバージョンを後で読んでいても、記念すべき紫さんと七さんの初エッチだというのにどうにもしっくりこないと思っていて、この際思い切って一旦全部クリアにしよう!と決心してやり直し。結果、以前のものよりもだいぶ良い感じにおさまりました。ついでにエロ描写もどさくさ紛れに増やしといたったわ!!

​この「銃爪」の章は鴉の章でもあるので、鷹さんについてのあれこれは不可欠ということでここに置いてるんで…七さんと紫さんのお初Hは別に必要なかったんですよね…書きたかっただけですすみません。(2021/7/21)

bottom of page