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口 唇

 もともとつるむのは好きではない。誰かに飼われるなどもっての他だ。餌をもらって尻尾を振るくらいなら、寄生して好きなように栄養を吸い取ってやるほうが全然ましだ、と思う。飼い主の為に命を賭けるなんて愚の骨頂だ。吐き気がする。

──おまえは可哀想なやつだ

 

 それがあの男の最期の言葉だった。いや、もっと何か言おうとしていたのかもしれない。
 しかし俺がそれを聞くことはなかった。

 

──可哀想だって?どっちがだ。

 

 ゆっくりと体のバランスを崩しそれでもこちらへ向かってこようとするあの男を、俺はもう一度撃った。弾が空になるまで撃った。
 その勢いであの男は柵の向こうへと倒れこみ、何十メートル下の地面へとダイブしていった。
 まるで宝石箱をぶちまけたようなイルミネーションの夜の街へ。
 落ちる直前顔が見えた。


 血を吐き出して真っ赤に染まった口が、俺の名前を形づくるのが見えた。

 

 あっけない。
 俺はあんな死に方はしない。

 どっちが可哀想なのか、それは俺が死ぬときに自分で決める。

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 長い髪の下で苦しげな呼吸が聞こえる。その髪を掴み頭を上げさせると手に持った拳銃の銃口を口に咥えさせた。
「暴れると暴発するかもしれないぞ」
 愉快そうに言うと澤は既にぐったりとしたその躯を更に弄び始めた。拳銃を咥えさせられたままの口から呻き声が漏れる。澤はそれを聞いてまたくすくすと笑っている。
「美味いか?そんなに美味いならこっちにも美味いかもしれないな」
 ゆっくりとそれを口から引き抜くと、唾液で湿った銃身をちらりと見やり持ち替えた。
 悲鳴が耳に届くと満足げに笑い念入りに愛撫を重ねる。
「こんな風にされてもおまえは誰にも飼われない。俺はそういうとこが結構気に入ってるんだがな」
 耳を口に含み舌で弄る合間に囁く。呼吸の度に漏れる小さな悲鳴が更に澤の嗜虐心を煽った。


「おまえの父親とは大違いだよ、鴒くん」
 

 鴉は咄嗟に目を見開き、澤の顔を睨みつけた。その瞬間挿れられていた拳銃が抜き去られる感覚にまた思わず目を閉じる。
 もう息も自由に出来ない。
 ごつごつとした金属と入れ違いに侵入してきたものが激しく鴉の躯を揺さぶり始めたときにはもう声すら出なかった。

「……あんたが親父を殺したの?」


 朦朧とした意識の下でひどくだるそうに鴉は言った。同じことをあれから澤に抱かれる度に訊いている。しかし答えはいつも同じだった。
「さあな」
 くすくすと笑いながらそう言う澤の顔を見るとそうだ、と肯定しているとしか思えない。


 仇討ちなど柄ではないと思う一方で、着実にこの男に対する憎しみが育っているのも確かだった。

 憎いからといって真相を突き止めることもなく問答無用で殺すのは簡単だ。”仕事”ではない殺しはしないという自分なりのルールも、罰則などあるわけもない。

 ただ、それでは気がおさまらない。だからまだ手は下さない。
 澤はそれを承知の上で逆手にとって鴉を玩具のように弄んでいる。

 いい気なものだ。

 せいぜいオレを支配したとでも思っておけばいい。


「……そのうち殺してあげるよ」


 小さな呟きが耳に届いたのか、澤は声を立てて笑った。
「親父に義理立てするなんてあんまり俺を失望させるなよ。これまで通りうまくやっていこうじゃねえか」
「……うまく、ね」


 この男の前で眠りたくはないのに、瞼が言う事をきかない。目を閉じてしまったが最後、鴉は深い眠りの淵へ落ちていった。

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 あいかわらず居心地の悪い店だ。


 葵の一件のあと、椎多は鴉に何度も連絡をとろうとしたが徒労に終わっていた。業を煮やした椎多はあの、最初に鴉と出会った──鴉が連絡場所にしている店に足を向けた。但し、今回は一人ではなく賢太をはじめとして数名を店の内外に配置している。
 あの件で鴉がいつまた敵に変わるかわからないということを再認識した。いや、もう敵といってもいいかもしれない。ならば一人で顔を出すのは危険すぎる。しかし椎多自身が現れなければいずれにせよ鴉も現れないことは自明だった。


「あら、しばらくだねえ坊や」
 あの女主人は椎多の顔をきちんと覚えていたらしい。鴉が連絡場所にしている店の主人だけのことはある。
「近いうちにあんたが顔を出すだろうって。これ、鴉から預かってたんだよ」
 女主人に渡されたのは片手の掌に少し余る程度の小さな包みだった。
 カウンターの影に隠すように膝の上で包みを開くとそこに入っていたのは───

 

 いつか鴉に貸してやる、と渡したままだったあの飾り銃だった。
 

 眉を顰め包みをがさがさと探ると銃を包んだ紙の隅に小さく簡単な住所と、『ひとりでなら来ていいよ』というメモが走らされている。
 自分と連絡がとれなくなった椎多が、部下を連れてここへ顔を出すということをすべて鴉は読んでいたのだ。
 罠かもしれない。しかし椎多は妙に確信していた。

──あいつが俺を殺すなら、こんなまわりくどい手を使わなくともいつでも殺せる。

 

 椎多は賢太を呼ぶと小さく耳打ちをして店を出た。

 


「……おまえはいくつこういうねぐらを持ってるんだ」
 闇に向かって呆れた声を出すとその向こうから聞きなれた笑い声が聞こえた。
「君なら来てくれると思ってたよ。でも外にぶんぶん虫をとばしてるのはいただけないね。五月蝿くて仕方ない」
「悪かったな。周りがいろいろ神経質で最近一人で歩かせてもらえないんだ──それより」
 椎多は笑って先程の包みを取り出した。
「これ、どういうつもりだ?もういらないのか?」
 鴉は大笑いしている。
「おかげさまでずいぶんオカズにさせてもらったよ。でももう返す。椎多もそれが手元に帰ってきて嬉しいだろ?」


「……鴉?」
 

 椎多は怪訝な顔で闇の中の黒い姿に目をこらした。表情が見えない。しかし、声の調子がどこかいつもと違う気がする。と、闇が動いた。鴉が音も立てずに椎多の前へと足をはこんでくる。
「……ひとつ訊きたい。圭介を殺ったのはおまえなのか」
「悪いね、仕事だから」
 鴉の返事と同時に椎多が踏み込み鴉の胸座を捕らえた。と思った瞬間鴉はするりとそれを振りほどく。
「無駄だよ。それ以上は喋らない。こっちにも守秘義務があるんでね」
「だったら何で──」

 何で──あの時姿を見せたのか。

 自分の存在を誇示するようにわざと笑い声を漏らしたりしたのか。

 あの一件に自分が絡んでいるということをわざわざ椎多に知らせたとしか思えない。

 訊きたいことは山ほどあった。
 それを漏らそうとする椎多の唇を鴉は右手の人差し指で押さえる。
「ひとつ答えたから、ひとつ訊いていい?」

 

 澤康平という男を知ってる?


 ぎくり、と椎多の顔がこわばる。

 やはりあの”谷重バー”での登場人物は複雑に絡み合っているのだ。

 あれ以来特に新しい情報も動きも無いのに、嫌な感じだけが続いている。


「いや」

 首を小さく横に振ると鴉は意外なほどあっさりと、そう、と言った。
「しょうがないか。君の親父さんか紫さんなら知ってたかもなあ」
「どういうことだ」
 鴉は笑って手をひらひらさせてはぐらかす。


「椎多も気をつけなよ。周りから囲い込んでじわじわ真綿で首を締めるみたいに獲物を追い詰めるのがあの男のやり方だから。知らないうちにロックオンされて気が付いたときには身動きがとれなくなってるかも」
 

 こいつは、何を言おうとしているんだ?


 椎多は再び鴉を捕らえようと手を伸ばす。が、鴉はそれをひらりと身軽に避ける。そして、逆に椎多の両手首をやすやすと押さえた。強く掴むでもなく、ごくやんわりと手首を握ったその鴉の掌は奇妙なほど温かかった。

 こいつ、こんなに体温高かったか?と何故か、全く関係のないそんな些細なことが頭をよぎる。

「……キスしていい?」

「は?」


 いつもおかまいなしに勝手にやる癖に、と言い返そうとしてふと言葉に詰まる。
 鴉は微笑んでいる。目が、ひどく優しい。

 

「……なんだよ」
 ゆっくりと、大事な壊れものに触れるように鴉は椎多の唇に自分のそれを重ねる。
 戸惑いながら、椎多は目を閉じた。
 まるで、恋人のような優しいキスだ、と思った。
 手首を握っていた指が離れ、唇が離れ、目を開けたとき鴉はもう部屋の奥の闇の中にまた姿を隠そうとしていた。


「鴉!」
「オレにしては大サービスのヒントをあげたんだから、やられちゃダメだよ」

 鴉はいつものような笑い声に戻っていた。

「それと、英二君にも気を付けて」


 椎多は眉を寄せ訊き返そうとしたがそれを鴉の声が遮る。
「オレ、忙しくなるから当分君の仕事は請けられないんだよね。オレがもし無事だったらまた仕事まわして」
「鴉!待てよ!」
 鴉はこれから何をしようというのか。まるで別れを言いにきたかのようだ。
 椎多は背筋がひりひりするような焦りを感じていた。

 咄嗟に例の包みを解き闇に向かって投げる。うまく受け止めたのだろう、落ちた音はしなかった。

「これはまだ貸しておいてやる!次に俺が仕事を頼む時に返してもらうからな、それまで大事に持ってろ!」

 

 あははは、と闇の中から楽しげな笑いが響いた。
「わかったよ、預かっとくよ」
 その奥には非常口もあったのか。不意に闇の中にぽっかりと街のぼやけた灯りが口を開いた。
「鴉!」
 一瞬でその口は閉じまた闇が部屋を支配する。弾かれたようにその後を追ったが既に非常階段のどこにも鴉の姿はなかった。外でこのビルを張り込んでいた賢太たちもその姿を発見することはなかったという。厳しい面持ちで賢太を側へ呼ぶ。その顔を見て賢太の表情にも緊張が走った。

「もう一度澤康平を洗え。徹底的にな。過去にも遡って経歴もなにもかも全部洗い出すんだ。やつは思った以上に危険かもしれない。十分気をつけてやれよ」

 賢太は口元を引き締め黙って頷いた。椎多は表情を強張らせたままひとつ息をつくと煙草に火を点けた。

──英二君にも気を付けて。

 

 鴉の口から"英二君"という名が出ること自体に違和感がある。

 気を付けて、とは?

 あの時澤は、英二に康平からよろしくと伝えろと言った。

 つまりそれは、澤の狙いには英二も含まれているぞという脅しか。

 鴉は一体何を知っている。

 そして何をしようとしている。

 英二は何故狙われるのか。

 それとも──?

 

 思いを巡らしながら唇を噛み締めると、ふと先程の優しい唇の感触が蘇る気がした。

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 呼び鈴の音に目を覚ますと澤は不快そうに頭をぐるんと回し肩を鳴らした。
 近頃ねぐらにしている安ホテルの一室。雑にメイキングされたままのベッドの上でうたた寝してしまっていたようだ。ひどく寝汗をかいている。

 どうも夢を見ていたらしい。

──おまえは可哀想なやつだ。

 もう30年近く前になるのに、時折あの場面が夢に現れる。
 夢によってはあの男が血まみれのまま立ち向かってきて自分の首を締める、という展開になることもある。
 血など見慣れているし何人殺したかなど数えてすらいない。そのうちの一人に過ぎないはずだ。
 なのに──
 何故か、あの男だけがしつこく何度も現れる。

 舌を鳴らし立ち上がるとドアの覗き窓から来訪者を確認する。小柄な女が目に入った。
 念のため拳銃を握りドアに隠れるようにして鍵を開けると女はすんなりと入ってくる。隠れた澤に目もくれずすたすたと部屋の中央のベッドまで足を進めると勢い良くその上に腰掛けた。
「そんなに警戒しなくたって私は刺客をつれてきたりしないわよ。大事な雇い主なのに」
 溜息をつきながら澤は拳銃を収め、備え付けの冷蔵庫から缶ビールを2本取り出すと1本を女に向かって投げ渡す。
 女はそれを受け取ると軽快な音を立てて開け、にこりと笑った。
「また仕事?この間みたいなのは勘弁してよ?私だって遊びでやってるんじゃないんだから」


「──葵」


 澤は葵の肩を掴むとそのままベッドへ押し付けた。葵は開けたばかりのビールが溢れないかに気を取られている。
「暫く鴉の動きをチェックしていてくれ。やつの動きによってはハデに動いてもらうことになるかもしれん」
「嫌よぉ、ガーちゃんには女の武器が通用しないんだもの。あんまり私が張り付いたら逆に怪しいでしょ。他にいないの?ゲイかバイのイケメンの殺し屋がいたらガーちゃんなんかちょろいじゃん」
 澤が押し付けていた手を緩めると葵はビールを溢さぬようにゆっくりと身を起こした。
「やつは用心深い。もちろんおまえ一人にやらせるつもりはないが──おまえの『歌』が必要になることもあるかもしれないと思ってな」
 葵はビールを一口呷ると手を伸ばしサイドテーブルに置いた。くす、と笑いを漏らし、澤の頭を抱き寄せる。

「……何を怯えているの?」


「なに?」
「私、わかっているわ。本当はあなたは気が小さくて、身内に裏切られることがとても怖いんでしょ?」

 澤はひどく顔をしかめると葵の目を睨みつけた。そんなものに怯えるわけもなく葵はこの父親ほどに年の離れた男にまるで子供をあやすような視線を投げかけて微笑んでいる。


「安心して、私はあなたを裏切ったりしないから」
 

 葵は澤を胸に抱きしめると頭や背中を優しく何度も撫でた。
「暗示か、それは」
「違うわよ、ばかね」
 甘えるように葵の膝の上に身体を預けると澤は一瞬苦しげに眉を顰め、それから目を閉じた。その頬を、肩を、腕を、優しく慈しむように撫でる。

──裏切らないよぉ、あんたがたっぷりギャラをくれてるうちはね。

 優しく微笑んだ口元で葵が漏らした声にならない呟きが、澤の耳に届くことはなかった。

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*Note*

こちらもほとんどオリジナルを残した状態で部分的に調整や加筆修正するに留めました。タイトルは二文字にしたくてGLAYの曲名から使わせていただきました。

鴉と椎多って、ここまで来るとまあまあいい感じなんだけどやっぱり恋人じゃなくちょっと兄弟っぽい空気があるなと思って書いていて。考えてみたら七さんの息子と鷹さんの息子なんだからイトコみたいな関係なんだなと。

​そろそろ康平の弱い部分が出てきました。康平の弱いとこ書くの大好き。(2021/8/2)

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