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問答

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 それは言葉遊びだったのだろうか。


 何度も何度も数え切れぬほど繰り返した問いと答え。
 まるで、本当の答えを覆い隠すために重ねた嘘のように。
 永遠にその答えが出ないことを望んでいるかのように。

 けれど、そんな永遠などどこにも無いということくらい──知っていたのだ。

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 昨夜、雄日が仕事を「しくじった」後──

 明け方まで散々揺さぶられてようやく解放されたものの流石に身体を動かすのが苦痛で、鴉は昼過ぎからだらだらと行動を開始した。
 張本人は泥のように眠っている。
 いい気なもんだ、と思うと腹が立ってきて思い切り頭を蹴飛ばしてやったが、短く唸っただけで起きる気配がなかった。
 夕刻になってから出かける。雄日がしくじったことはこの『仕事』を仲介した『梟』にはもう知れているだろう。
 まだ起きない雄日をそのままに、外から鍵をかける。とにかく逃げ込むのにこの部屋を選んだのは、ドアの鍵に細工して外から施錠すれば内から開けられないタイプにしてある為だった。雄日の様子が少し尋常ではなかったので一人でふらふらしないように一旦閉じ込めた方がいいと判断したのだ。
 この部屋に入るのは雄日は初めてである。ここにも何丁もの銃が隠してあるが、おそらく見つけることは出来まい。

 マンションを出るまでに他人の家の新聞受から夕刊を抜き取り、車の中で広げた。


──あった。


 時間的に朝刊には間に合わないだろうと思っていたが正解だった。

 昨夜の雄日の状態では結局何をどうしくじったのかが見えず心中穏やかではなかったのだが、とにもかくにも標的は仕留めてはいたらしい。しかし──


 見られて口封じでもしたのか、関係ない女を一人殺したようだ。

 これはよくない。

 しかも、子供連れだったとある。

 

 こういうネタは主婦は大好きだからワイドショーが飛びつくだろうことは容易に想像できる。最近は大きな事件や不祥事が相次いでいてニュースはそれどころではないから、運良くスルーされることを祈るしかない。

 その、被害者の女の名前で目が止まる。

 その名に思い当たると、鴉は酷く顔をしかめて新聞をくしゃくしゃと丸め、煙草に火を点けた。

 ひとつの可能性が頭の中を占めてゆく。

 いくら雄日でも予定外の人間を殺してしまったからといって慌てふためいて騒ぎを大きくするなんて初歩的なミスは犯さない筈だ──通常なら。
 新聞記事だけでは現場がどういう状況だったのかが掴めないが、車に戻ってきた時の雄日の様子を思い出せばもっと重大な事態が起こっていたということは察しがつく。その「重大な事態」が、雄日の頭の中で起こっていたとしたら。

 スーパーで食料品の買出しをして、車にその食材を置いたまま100円パーキングに停める。

 シートにもたれたまま煙草を一本咥えて火を点け、深く煙を吸い込む。一本吸い終わる前に携帯がメール着信を告げた。ごく短いメールの本文を読むと鴉はうんざりとした溜息をつくと小さく悪態をついた。

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 標的は仕留めているので前金の返還までは求めないが、成功報酬の残金は支払えない。これはペナルティだ。
 必要以上の騒ぎを起こしたことで、世間の関心も警察の捜査の規模も大きくなる。世間は二、三日で忘れてもあの病院に居合わせた者にとっては当分話のネタになる。不審者の容貌を覚えている者もいるかもしれん。無用に目をつけられないよう、姿を隠しておいてもらう。

──『梟』の通達は要約すればそんなところである。

「ペナルティとか言っても客からはどうせ前金で満額貰ってるくせに。厳しい上にがめついね、梟さんは」
 苦笑して愚痴ると、鴉は根元まで燃えた煙草を灰皿に放りこんだ。


 すっかり夜になってから部屋に戻ると、中はまるで真っ暗だった。
 玄関先の灯りもつけず気配を殺して中へと進む。ベッドのある奥の部屋はドアが半開きになっていた。出かける時には閉めて行ったので、少なくとも一度は雄日が起き出してこの扉を開け閉めしたのだ。
 開いた隙間から中を覗くと、ベッドの上でなくその向こう側の床に座っているのだろう、頭のシルエットが浮かんで見えた。まるで、胴体から切断された首がベッドの上に置いてあるようにも見える。

 電気をつけずそっと部屋の中に入ると、果たして雄日は床の上に脚を伸ばしてベッドの側面にもたれて座っていた。

「──雄日?」

 声をかけても、雄日はぴくりとも動かなかった。座ったまま眠っているのかもしれない。
 回りこんで雄日の傍にしゃがみ、顔を覗き込んでみる。
 目は薄く開けたまま、対面にある窓に視線を固定したままだった。
 眠っているわけでも、死んでいるわけでもなさそうだった。呼吸はしている。

 鴉は眉を寄せ目を細めると立ち上がり、今度はすたすたとドアへと足を戻すと電灯をつけた。


 突然、闇の世界が眩しい光に照らされる。

 雄日がようやく反応した。
 頭だけを動かして、鴉の姿に視線を向けている。

 無言でにっこりと微笑むと、玄関先に放置していた食料品を拾い冷蔵庫に収めてゆく。
 もしかしたら長期戦になるかもしれない。とにかく昨夜から何も食べていない。腹は減っているはずだ。


 とりあえず雑炊を作ってやって再び雄日のいる部屋に戻ると、雄日は同じ体勢のままでいた。椀に盛って手渡してやると、おとなしく喰っている。やはり腹は普通に減っているとみえる。
 鍋一杯分の雑炊をのろのろと、それでも完食すると雄日はようやく人心地ついたように大きく息を吐いた。

 手にもった椀と蓮華をとりあげて床にそのまま置く。
 伸ばして座った脚を跨ぎ雄日の正面を向いて座った。 

 どちらも一言も発しなかった。

 両手で雄日の頬を包み、撫でる。
 撫でながら、触れるだけのキスをする。
 そして、にっこりと微笑んだ。

「──君は、誰?」

 雄日が総毛立って小刻みに震え始めたのがわかる。一気に汗が吹き出したように身体がじっとり湿ってゆくのがわかる。
 その様子を観察すると、鴉は吹き出すように笑い始めた。
 なにが可笑しいのか、笑いが止まらぬかのように笑い続ける。
 笑いながら、自分のシャツの胸を開いた。
 膝立ちになり、雄日の頭を開いた胸に抱え込む。

「ねえ、君が失敗したから当分仕事回してくれないんだってさ。だから暇はいくらでもある」

 抱え込んだ頭を奇妙に優しく撫でながら首筋から耳を弄ぶ。 


「退屈させないでよ」


 くすくすと笑い声を漏らしながら──

 鴉はがりっと雄日の耳に歯を立てた。

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 もう何日経っただろう。

 そろそろ食材も底をついてくる。一度買出しに行かねばなるまい。


 雄日は──


 今度は言葉を忘れてしまったのではないかと思うほど、口をきかなかった。

 ふと携帯を見ると、メールの着信がある。梟からだ。
 開くと、簡単な暗号にした電話番号だけが記載されていた。


 ここへ電話しろということか。

 なんとなく、何をやるにも億劫な気がしたが、とにかく再び仕事を回してくれる気になったのかもしれない。ペナルティを課すには少々期間が短い気がするが、あちらにも事情はあるだろう。


 簡単な暗号なので、普通の数字を読むように解読し、その番号へ掛けてみた。コールする。30回ほどコールしたところでようやく相手が電話をとった。

『鴉』

 電話の向こうからの声は短くそれだけ告げた。

 梟ではない。
 女の声だ。
 若くはない。
 そして、聞き覚えがある。

『その場所を教えなさい。会って話したいの』
「──あんた、誰?」
『ふざけないで。名乗らなきゃ誰かわからないの?』


 声が多少変わってはいるが口調ですぐに誰かは判っていた。

「はいはい、悪かったよ。元気そうだね、コユキさん」

『挨拶はいらない。その場所を教えなさい。それとも私が信用できないの』
 肩をすくめて鴉は電話の相手に現在位置を教える。一時間後に行くとだけ告げて、電話は一方的に切れた。
「……相変わらずせっかちなおばさんだな」
 くすっと苦笑を漏らし、ベッドの上の雄日を振り返った。今の状態の雄日を、あまり会わせたくはない。

 電話の相手──小雪は、鴉の師匠であるシゲこと谷重の現役時代をずっとサポートしてきたエージェントだ。駆け出しの頃は鴉も随分世話になったが、どうもとっつきにくい女である。『梟』ももともとは小雪の紹介だった。谷重が現役を退いた頃から小雪も拠点を移し、もういい加減ばあさんになっている筈だが近年は中国だかどこかでまだ健在だと聞いている。

 それが何故──

 漠然とした不安が鴉の胸の中を支配してゆく。

 きっかり一時間後にドアをノックする音が聞こえた。
「いらっしゃい」
 招き入れた女は一見鴉の実年齢と同世代くらいに見える。貌にそれなりの年齢は刻まれているが、還暦を回っているとはとても思えない容姿だった。黒のパンツスーツにストライプのシャツ。バックスキンの細身のコート。若い娘なら珍しくはないがこの年代の女性にしては長身だといえるだろう。伸ばした背筋と引き締まった肢体が尚更年齢を感じさせない。さらに染めているのか真っ黒な髪はきりっと隙がなく結い上げてある。


「ほんとに小雪さん?全然年取ってないね」
「つまらない話はしない。しくじったそうね。エイ──梟に聞いたわ」


 肩をすくめた。小雪はまだコートも脱いでいない。
「私は、こんなことをとやかく言うつもりはなかったけど、一言だけ言っておく」
 ようやくコートを脱いで椅子に掛けると、小雪は姿勢を真っ直ぐに立って腕を組んだ。色の薄いサングラスの奥の瞳がじっと鴉の目を射抜くように睨んでいる。

「『悔谷雄日』はあなたが好きにしていい名前じゃないのよ」

 きりっと唇を噛んだ。
 小雪と向き合った時は、いつものように飄々と逃げることが出来ない。
 もともと、『悔谷雄日』とは小雪の相棒であった、鴉の師匠であった、谷重宏行の仕事上の名前である。谷重に関わった誰よりも、その名前に思い入れのある人物が小雪なのかもしれない。

「その名前に恥じない仕事をしてくれるなら私は黙っていようと思っていた。どこの馬の骨かしらない素人が勝手に名乗ったりしたこともあったからね。もう悔谷はこの世にいないんだから、名前だけ大事にしても仕方ないと思ってた。でも」
 腕を組んだまま、小雪は一歩鴉に近づいた。威圧的である。
「悔谷の弟子であるあなたがその名に泥を塗ることは許さない」
 
 言い訳すら出来ない。
 丸腰のばあさんが凄んでいるだけなのに、何故か優位に立つことができない。それは、谷重や小雪に対して後ろめたい思いがあるからなのかもしれない。


「とにかく会わせなさい。その──『悔谷雄日』に」


「いや、小雪さん、今は──」
「今は何?私が一時間後に来るといったのにそれでも今の今までじゃれあってたわけ?」
 近いものはある。
「会っても……何も話さないよ。多分」
「何故」
「判ったら苦労しないよ」
 小雪は初めて溜息をつき、水をちょうだい、と言った。鴉がグラスを渡すと一気にそれを飲み干す。


「それでも構わない。会わせて」


 降参するように天井を仰ぐとくるりと体の向きを変え、雄日のいる部屋のドアを開けた。
 中に入る前に小雪はわざとらしく鼻をつまんで見せ、
「換気くらいしたら?臭いわよ」
 と今日初めて小さく笑って言った。

 床に座って窓の向こうを見ている雄日の前に小雪はゆっくりと足を進め、しゃがみこみ、顔を観察するようにじろじろと眺める。
 刑事が殺人現場の死体を検視しているようにも見えた。
「目が覚めてないようだわ」
 独り言のように呟くと、雄日を睨みつけたまま小雪は膝を伸ばして中腰になり、雄日のTシャツの襟を掴んだ。


「立ちなさい」


 反応鈍く、小雪の顔を見分けているのかいないのか、雄日は微かに顔を動かしただけである。そこへ、小雪の平手が飛んできた。
 驚いたのは鴉のほうだ。
「コ、小雪さん…?」
「立ちなさいと言ってるの!何度も言わせないで!」
 殴られた雄日は理由もわからず叱られた子供のように目をぱちくりとしてのろのろ、よろよろと立ち上がった。更に苛立ったように小雪は雄日のTシャツを掴んだまま部屋の入り口に立って見守っていた鴉の方へ突進してくる。
「バスルームはどこ?」
 圧倒されて素直に指さすと小雪はそこを目指して雄日を半ば引きずるように──小雪に比べて雄日の方が格段に大きな体躯であることは言うまでもないが──導き、扉を開けるとその床に目掛けて雄日を放り出した。
 雄日本人も鴉も、あっけに取られて抵抗どころか言葉を発することも出来ずにいる。
 それに構わず、小雪はシャワーの、水のハンドルを思い切り回した。


 ざあっ。


 突然の土砂降り雨のように、水が雄日の上へ降ってくる。
 土砂降りの中の雷鳴のように、小雪が叫んだ。

「いいかげんに目を覚ましなさい、英二!」

「小雪さん!」
 鴉が制止に入る。
「もうやめてよ、小雪さん!」

 積み上げられて今にも崩れそうなジェンガの最後のピースを抜くように──

 あやういバランスの上に構築された世界が崩れる。

 鴉の抗議の声など聞こえていないように。
 振り返りざまに小雪は鴉の頬も張った。
 その行動の烈しさとは裏腹に、表情は冷静そのものだった。

 

「──あなたも目を覚ましたらどう、鴉」


 張られた頬を押さえることも忘れて、一歩後ずさる。
 ようやく一息つくと、小雪は再び雄日──英二に視線を落とした。
「英二はそのまま体を洗ってらっしゃい」
 すたすたとバスルームを後にし、ダイニングに戻るとテーブルに薄く積もった埃を軽く払って椅子に腰掛ける。鴉はまだ洗面所から出てこない。
「鴉、なにしてるの?あなたは食事でも作って!」
 首を伸ばして様子を伺う。鴉はやっと洗面所から俯いたまま出てきた。足取りは重い。
 その様子を見た小雪は再び立ち上がり、鴉に歩み寄った。両腕を掴み、手を握る。


 冷たい。


 そのまま右手で先ほど張った頬をそっと撫でた。
「殴って悪かった」
「小雪さん……何をどこまで知ってるの」
「何でもよ。あなたの知らないことも。……とにかく何か作ってくれる?久しぶりにあなたの料理が食べたい」

 

 自分で笑っているのだかなんだか判らない表情を作り、鴉はおとなしくキッチンに入った。
 食材が残り少なくなってきたと思っていたところだったが、今食べる分くらいは作れそうだ──機械的に冷蔵庫を覗き込んでいると、背後で人の動く気配がしている。


 雄日がダイニングに入ってきたのだろう。


 たとえ視線がキッチンに向いていても、別室ではない。鴉には頭の後ろに目があるかのように、背後の様子がわかる。


 椅子を引く音。
 ややあって、それに座っている音。これはおそらく雄日だ。それに重なってもうひとつの椅子を引く音。
 おそらく小雪が雄日にダイニングの椅子に座るよう促して自分も座ったのだろう。おそらく、向かい側に。
「少しはさっぱりしたわ。目は覚めたようね」
 小雪の声。


「それで、あなたは全部思い出したのね?」
「まだ混乱しています」

 

 ぎくりとして小さく振り返った。思った通り、雄日と小雪は対面に座っている。
 声は雄日のはずなのに、その口調はもう『雄日』ではなかった。否、もともとこの声も『雄日』のものなどではない。
「──そう。混乱していると自覚できただけで上出来だわ。それで『悔谷雄日』だった間のことは?」
「覚えてます。だからうまく記憶が繋がらなくて」
 
 そりゃあそうだろう。
 マサルと向かい合って話しているところで、渋谷英二の時間は止まった。
 それから悔谷雄日としての時計が動き始めるまでの間、数ヶ月は要した。

 意識がはっきりした時にはそれ以前の記憶はなく、鴉が与えた名前を鵜呑みにしてきた。

 頭を撃たれた影響で記憶につながる回路が一時的に破損していただけなのだろう。保存媒体そのものが壊れたわけではなかったようだ。
 渋谷英二と悔谷雄日、どちらの記憶もあるというなら、そう簡単に整理がつくものか。

 小雪は鴉がここで聞き耳を立てていることは承知の上だろう。むしろ、雄日──英二が話しやすいように鴉を追い払ったのだ。

「では、すべて思い出したということを踏まえて、まず確認させてもらいます」


 宣言するかのように、小雪の声はきっぱりしている。
 何でも知っていると小雪はこともなげに言った。
 今向かい合っている英二が谷重を殺したことも。
 マサルが英二を撃ったことも。
 そして鴉が『一度は死んだ』英二を何の気まぐれか『悔谷雄日』に仕立てていたことも。
 なのに何故あんなに冷静でいられるのだろう?

 いや、俺の知らないこととは何だ。

「──『悔谷雄日』を続けるの?それとも『渋谷英二』に戻るの?」

 一瞬で現実に引き戻された。自分の背面がすべて耳になったように背後の音に、声に集中する。
 どちらを選んだとしても、もうこんな遊びは今日で終わりなのだ。返事を聞いても仕方が無い。それなのに、耳を塞ぐことが出来ない。

「あなたは──『誰』?」

 数え切れぬほど繰り返された問いと答え──
 小雪が求めているのは、戯れの答えではない。

 永遠の終焉を告げる、本物の答えを欲しているのだ。


 一時停止をかけたように、部屋には沈黙が流れた。

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*Note*

Sinco本編についに小雪さん降臨!(と作者だけが盛り上がる)

英二がマサルに撃たれてからざっと4年くらいは経ってるわけですね。記憶を失っていつも不安だから鴉にひたすら従順なペットみたいになってた英二が記憶を取り戻した時、この関係は一体どうなるんだろうか。英二のあの独特のウザさまで復活するんだろうか!!書いてみないとわからない(無責任)!

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