Sin.co -Re:The Ultimate Sin- main tales
玩 具
聞きなれない着信音。発信者は『A』と表示される。
こんなものを登録した覚えがない。
着信ボタンを押して耳に当ててみる。──切れている。
眉を寄せて首を傾げ、携帯電話をポケットに戻すと賢太はふと用事を思い出したように立ち上がった。
携帯のボタンをひとつ押すとそれをテーブルの上に無造作に置き、葵は顔を上げた。
「どう見たってカップルには見えないよね。怪しいナンパにひっかかった世間知らずの女の子ってとこか。それとも売れないミュージシャンが追っかけの女の子を食おうとしてる?」
アイスオーレの生クリームを柄の長いスプーンで掬い口に運ぶと葵は悪戯っぽく笑う。
五分袖のチェックのブラウスに水色のサブリナパンツ。ミュール。肩までの真っ直ぐな髪、化粧気のないあどけない顔。確かにどう見ても全身黒い服で長髪の、三十代の男とはつりあわない。
「それで何?話って。あのひとに聞かれちゃまずいこと?」
単刀直入だ。鴉は苦笑してコーヒーを一口啜ると頬杖をついて葵の表情を観察しながら慎重に切り出した。
「オレ、最近澤さんの仕事不満なんだよね。つまんない仕事も多いしつまんない仕事だからギャラも安いし。歌姫のギャラっていくらくらいもらってるの?」
「ガーちゃんと私は使うものが違うんだから比べても仕方ないんじゃないの?そうねえ私が銃を使うときはこのくらいかなあ。でももちろん状況とか相手によって違うし、銃に関してはガーちゃんの方が腕が上に決まってるんだからやっぱり比べても仕方ないけど」
生クリームを弄びながら指を何本か立てて見せる。
澤の命までを狙っているとはまだ気取られてはならない。更に用心深く鴉は小さく何度か頷き、再び葵の表情を観察した。
「……ぶっちゃけた話、葵は澤さんをどう思ってるの」
葵は一瞬きょとんと首をかしげると吹きだすように肩を竦めて笑った。
「なにそれ。ゲイの嫉妬みっともないよ。べつに減る物じゃないから彼がしたいときに私が嫌でなきゃさせてあげてるけど、お互いに本気になったりするようじゃ仕事にならないじゃん。私ビジネスの相手とは恋愛しないことにしてるんだ」
「オレだってべつに澤さんと恋愛してるわけでも澤さんを好きなわけでもないよ」
苦笑が漏れる。どうも扱いづらい。
「じゃあ、条件がよければエージェントを替えるのは抵抗ないんだ?」
「当然でしょ。基本的には私だってガーちゃんと同じフリーよ。仕事ごとの契約だもん。何?条件のいいエージェントを紹介してくれるの?」
ストローに手を添えてほんの少し口を離し、目を輝かせる。若い女が好きな男ならおそらくどきりとする仕草なのだろうが生憎鴉には効果がない。
「……オレの仲介ならどう?」
「ガーちゃんの?ガーちゃんの雇い主の仕事をするってこと?そのぶんピンハネするつもりでしょ。だったら直接紹介してよ」
「澤さんの二割増のギャラをあげるよ」
「二割じゃリスクに見合わない。彼が裏切りには厳しいの知ってるでしょ?五割は乗せてもらわないと」
「がめついなあ。そんな可愛い口からよくそんな言葉がでるよ。じゃあ三割でどう」
「可愛いなんて毛ほども思ってないくせに。四割。それ以下ならこの話はなかったことにして」
溜息。勝ち目はない。
どうしてこうまでドライでいられるものなのか、教えて欲しいほどだ。鴉は落札の合図に両手を挙げた。葵はにっこり微笑んで再びストローをくわえるとアイスオーレを一口喉に流す。鴉は肩を竦め立ち上がった。
「それじゃ詳しい話はまた改めて。澤さんに告げ口すんなよ?」
「ちょっと待ってよ。伝票置いてく気?女の子に奢らせるなんてみっともないことしていいと思ってんの?」
「残念ながら女性にご馳走するような下心は持ってないから。それにそんなに商売熱心なら君の方がお金持ちでしょ」
「康平にばらすよ」
眉を寄せると鴉はテーブルに引き返し葵が手に持ってひらひらさせていた伝票をひったくる。
「ごちそうさま」
「これだから女は嫌なんだ」
鴉の捨て台詞など葵の耳に入りはしない。にっこりと手を振る笑顔が魔女に見えた。
──あのサイレンの魔女を出来るなら味方に……最悪でも敵に回しておきたくない。
葵が感情ではなく条件で動く女だと確認したかったというのもある。
いや、敵にまわったままならそれなりに利用させてもらう。まずは澤の力を少しでも殺がなければ。
鴉はやれやれ、と焼けつく空に大きな溜息をひとつついた。
例の店の女主人から、客人を告げる連絡が入ったのは2日前のことだ。
──睦月という名には覚えがある。
椎多の組の、組長代行だ。紫がいた頃にも確かいた筈だが、あの頃は紫としかコンタクトをとっていなかったので顔は知らない。そもそも鴉が興味を持っていたのは紫だけで、その組のことには何の興味も無かったのだからわざわざそれをチェックして頭に入れておこうとすら思わなかった。
その男が何故椎多経由でなく自分に直接連絡をとってきたのか。
おそらく、澤がらみの件だろう。先日椎多にヒントを与えてきたところだから、組の方で調査を進めていておかしくない。更につっこんだ情報を得る為にだめもとで連絡をとってきた、というところだろう。
少し興味がわいた。
場所を指定し、まず遠巻きに様子を見ることにしよう。
しかしその場に現れた相手を目にして、鴉は思わずその名を口に出してしまっていた。
睦月は、それに気付くとにっこりと微笑んで手を振った。
「やあ、久しぶり」
まさか、その男が椎多の組の組長代行だなんて全く知らなかった。
そもそもその男の本名すら知りはしなかったのだから。
鴉が知っていたのは、
──シゲのピアノにあわせてウッドベースを楽しげに弾いていた、”イチ”と呼ばれた青年の姿だった。
「いっちゃんが椎多の組の人間だなんて全然知らなかった」
「君が組長──椎多さんから仕事を請けていたのは知っていたよ。ただ、私がでしゃばることじゃないから黙っていただけでね。それに、あの店に出入りしていたのは全くのプライベートで周囲には内緒だったから。あのベーシストはあくまでも”イチ"って子で、言うならまあ私じゃない」
睦月は何でもない顔で、ただ笑っている。
父を失い、七哉の庇護の下から姿を消した殺し屋・鷹の息子、鴒がシゲのもとへ、谷重バーへ押しかけたのはまだ中学卒業を控えた15歳の頃だった。
その頃シゲは店で時折ピアノを弾いたりして聞かせていたが、その少し前まではサックスとウッドベースのメンバーでバンド演奏をしていた。サックスのメンバーが肺を患って抜けてからはピアノとウッドベースだけの演奏になり、やがてウッドベースのメンバーも抜けて店には顔を出さなくなった。
そのウッドベースの男というのが目の前にいる睦月である。
いずれにしてももう随分昔の話だ。
よく観察していなければ睦月が”イチ”だと気づくことも出来なかっただろう。まだ若かった"イチ"は当然白髪交じりでもなければ七三分けでもなく、眼鏡も掛けていなかった。
メガネの奥の細い目も、メガネがなければ一見して同じには見えづらい。
呆れたように溜息をつき、もう一度まじまじと睦月の顔を眺める。やくざだとは露ほども思っていなかった。もっとも、現在の姿を見てもやくざには見えない。
そこまで考えて、鴉はようやく思考の本道に戻った。
「ええとそれで?組長代行の睦月さんが、殺し屋の鴉に何の用?」
「……歌姫を知っているね」
なんの前置きも起承転結もなくいきなり本丸を攻めてきた。
眉をひそめる。鴉の知っている限りでもこの男は何を考えているのかよくわからないところがあった。
「うちの人間がこの間澤に拉致されてねえ。帰ってきたはいいがどうも時々不審な行動をする。それに加えて、うちの情報がいやに澤側に漏れすぎているきらいがある。組長のスケジュールとかね」
睦月は微笑んだまますらすらと語っている。
「近頃歌姫が澤の仕事を請けているらしいという情報を拾ったんだよ。歌姫が何かやったんだろう?」
「かなわないな、いっちゃん。もし知ってるとしてどうして俺がそんなことあんたに話さなきゃならない?」
どこまでかまをかけられているのか、それとも本当の話なのか。注意深く耳を傾ける。
いずれにしても共同で取り組む仕事でない限り、互いに仕事の詳細については漏らさないのが暗黙の了解だ。しかし睦月の読みは九割がた当たっているだろうとは思う。最近澤は”歌姫”の仕事が面白いらしく継続して仕事の依頼を出しているらしいくらいのことは察することが出来た。
質問に質問で返した鴉の言葉に、睦月はなぜかうんうん、と頷いて見せてそれから小さく息をひとつ吐いた。
「君は康平さんの命を狙っているんだろう?鷹さんの息子の鴒くん」
ぎくり、と身体を硬くする。
この男は、父を──”鷹”を殺したのが澤康平なのかもしれないということを知っているのだろうか?
だったら、どうしてこの男は澤を放置してきたのだろうか?
「私も彼が組や組長を狙っているとなれば阻止しなければならなくてね。ただ、こちらはすんなり消せればそれでいいことなんだ。もし仕事にしていいなら報酬を支払ってもいい。康平さんの命は君に任すから、情報交換がしたい」
ああなるほど、と鴉はようやく納得したように息をついた。たしかに椎多の組にすれば澤は目の上のたんこぶのようなもので、自分が消せば労せずそれを消し去ることができる。楽な方法だ。
そして、睦月にとってはかつて使っていた殺し屋一人殺されたところで、わざわざその犯人を特定したり報復をするほどのことではなかったのだろう。
判っていてもその割り切ったような態度が胸の奥でちりっと苛立ちを生む。
「生憎これを仕事にする気はないんだけどね。個人的なことだから──でも」
鴉は少し考え、にやりと笑う。
「澤さんが本当に親父を殺したのか、それなら何故殺したのかがオレは知りたい」
短い沈黙が流れた。ややあって睦月は小さく頷く。
「わかった。本当のところは本人に聞かなければわからないことだとは思うけれどね。外から調べてわかることはこちらで調べるよ」
睦月の微笑んだような顔には騙されてはいけない。あれは単にそういう造りの顔なだけで、笑っているわけではない。
「ということで、ひとつ情報を提供しよう。手付だと思ってくれればいい。気に入ったら歌姫のことを教えてくれるかな」
完全に信用していいものなのか、鴉は未だに半信半疑でいる。
しかし聞くものは聞いておいたほうがいいだろう、と思い直した。意地を張ってもしかたない。
睦月の目をじっと見返し、次の言葉を促す。
睦月は顔の中で唯一笑っていない目を隠すようにさらに細め、”笑った”顔を作り直した。
「澤康平が、『澤康平』になる前の話を少しね」
ビリっと感電したように鴉は背筋を伸ばし、ごくりと唾を飲み込んだ。
受信したメールを確認するとふうん、と小さく呟き澤は笑いを洩らした。
「常務秘書はもうダメだな、使えねえよ」
鴉が顔を出すなり澤は吐き捨てるように──顔は笑っていたが──言った。
「向こうに目をつけられたからな。まああの企業もあの程度でおたおたするくらいならハナから使えねえわ。いいから掃除しといてくれるか」
「……澤さん」
溜息が漏れる。
「オレを舎弟かなんかと勘違いしてない?仕事の話なら仕事の話らしくしてくんないとさ。オレは澤さんの専属じゃないし命令される筋合いもないよ」
澤はただ鼻で笑った。
「おもしろい玩具が出来たんだ。おまえの御託につきあってる暇はないな」
「オモチャ?」
「リモコンで動く玩具さ。楽に情報が手に入るぞ。葵ってのはおもしろいことをしてくれるよ」
睦月の言っていた、拉致されたのち帰されたという椎多の組の人間の話が頭に浮かんだ。失笑にも似た笑いが漏れる。
「……葵、ね。澤さん、ほんとにあの子信用してるの?」
かまをかけてみる。澤は少し驚いた時や意外な時にいつも見せるあの表情を一瞬作った。
「俺は誰も信用なんてしてない。葵も、おまえもな」
「オレは澤さんを殺してやるって思ってるよ。オレがこの手で殺したいから他人に売ったりはしない。わかるだろ?」
鴉は何故かこみあげてくる笑いを噛み殺しながら言った。楽しくて仕方ない。
「でも葵は違うよ。あの子は金でしか動かない。つまり澤さんより条件がよければ簡単に他へ寝返るってことだよ。せいぜい注意しなよね、ベッドで寝首をかかれないように」
「鴉──」
澤の顔から笑いが消えている。反比例するように鴉は笑いが止まらなくなってきた。
簡単なことだったのだ。
これで、おそらく澤は葵の動きにも疑心暗鬼になる。その迷いは時に致命的となるだろう。
「そのリモコンの玩具がホントに役に立ってるのかどうかも怪しいんじゃない?……あ、常務秘書の始末はオレはお断り。誰か他のやつにやらせなよ。手駒は沢山持ってるんでしょ?」
「──鴉!」
澤が鋭い目つきを更に強めて睨んでいる。しかし、鴉がもうそれに射すくめられることはない。
「仕事らしい仕事を回してくれないんなら、もうオレを呼び出さないでよね。そっちも人手不足で大変なんだろうけど」
言い捨ててさっさと背を向ける。背後で澤の動く気配がした。次の瞬間、激しい音とともに耳元を何かが掠める。ほんの一瞬──時間にして0コンマ何秒、という差で──鴉が振り返る。手には銃。
「弾丸がもったいないから無駄遣いはよそうよ、澤さん。それにまだオレはあんたを殺す前に聞きたいことがあるんだから」
にっこりと笑うとそのままの姿勢であとずさり、銃を構えたままの澤を残して鴉はその部屋を出た。
ドアを背に、再びこみあげる笑いに身を任せる。
澤は、慌ててなにか行動を起こすのだろうか。
冷静さを欠いた行動にはおのずと隙が生まれる。
──もうすぐだよ。
細胞が沸き立つような高揚感。
まだ殺してしてもいないのに、誰かと寝たくて仕方ない気分だ。
鴉は大声で笑い出しそうなのをかろうじて堪え、押し殺しながらその場を後にした。
送信しました。ありがとうございました。
*Note*
こちらも基本はオリジナルのまま。イチの説明に少し手をかけました。これも最初書いた時に、書いてしまってから「えーこの人もそっち関係の人~?」って自分で突っ込んでしまったんだけど、この設定のままスピンオフが漲ってしまったのでなかったことにすることも出来ず(笑)。スピンオフの方では睦月と違って「イチ」はちょっと可愛げのあるキャラに仕上がったのでもういいやこれで、と判断したものです。スランプの中書いたせいで長い章になってしまった「銃爪」の章ですがそろそろ終盤。(2021/8/3)