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雄 日

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 幼い頃の記憶など、誰でもたいして鮮明に残っているものではない。アルバムに残る古い写真や親の昔語りによって補強された記憶くらいで、その他のことなどろくに覚えていないのが当たり前だと思っていた。
 何故なら、自分に幼い頃の記憶が殆ど無いからだ。

 父は料亭の当主である。長男を立派な跡継ぎに育てることに必死なあまり、次男である自分はろくに相手にもされていなかったように思う。母は父よりは自分を見てくれてはいたと思うが、とはいえ母も女将だからおそらく専業主婦の母親のようにはずっと側にいてくれたわけではない。

 学校の友達の家に遊びに行くとたまに赤ん坊の頃から多くの写真が残された分厚いアルバムを見せてもらうことがあるが、自分のアルバムなど行事の時の家族写真くらいしか貼られておらず薄っぺらいものだった。遊ぶ子供たちを写真に納めて残してくれるような親ではなかったのだ。
 自分の幼い頃の写真が少ないのだから、それによって補強される記憶が友達より少ないのも無理はない。

 ずっと、そう思っていた。

 "悔谷雄日"として数年、何の記憶も無いおぼつかない状態のまま殺し屋の仕事をしてきた。

 あの時。
 標的を仕留めて退室した時に顔を見られた女を、口封じせねば──と咄嗟に思った。
 引き金を引くまでは、俺は間違いなく『悔谷雄日』だったのだ。


 俺が撃って、目を開けたまま崩れ落ちていく女の顔を見た時──

 突然、これまでどうやっても繋がらなかった記憶の回路が全て繋がった。

──有姫。

 その瞬間、

 有姫が、

 かつて妻だった娘が、

 どれほど愛らしかったか。

 どれほど自分を愛してくれていたか。

 どんな風に癒してくれていたのか。

 洪水のようにその場面が頭の中を駆け巡っていった。


 子供の泣き声で我に返った俺はなんとかその場を逃げ出したが、それでも過去の場面の洪水は止まなかった。

 俺は、有姫を殺したのか。


 俺は最後に彼女を選んでやることが出来なかった。

 でもそれは、こんな風な最期を迎えるためじゃなかった筈なのに。

 鴉に連れ帰られるまま俺の頭の中は『渋谷英二』の記憶で溢れ返り、少しずつそれが引いてきた時に俺は気づいてしまった。


 もともとたいして記憶していないと思っていたはずの古い記憶。
 ほんの幼い頃の、公園で砂遊びでもしていたような頃の、自分にとってもかつて思い出したことがないような古く新鮮な記憶が──意識の中に存在している。

 そうか。
 おまえは、あの時俺の心の中に入り込んだのか。

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 ドアを閉める音の残響が去ると、静寂だけが残った。
 時折、窓の外から車の音が漏れ聞こえてくるばかりで、言葉を発するどころか二人とも──鴉も英二も、ぴくりとも動かない。
 漸く沈黙が破れたのは、小雪が出て行ってから10分近く経ってからのことだった。

「──とりあえずコーヒーでも入れ直すよ」


 鴉が立ち上がり、ダイニングテーブルの上に残されていた食器を手早くまとめるとキッチンへと戻る。コーヒーメーカーをセットして、洗い物を始めた。
 つい1時間ほど前までは"雄日"と呼ばれていた男──英二は、どんな言葉を最初に発すればいいのかを迷いに迷い、選びに選んでいるかのように押し黙ったままだ。

「ほら雄日、テーブル拭いて」
 絞った布巾を投げながら無意識に言って、鴉は顔をしかめた。

 彼はもう、"雄日"ではない。

 英二は黙ったままおとなしく指示に従ってテーブルを拭いている。
 それは、鴉と雄日が「なんとなく」続けてきた日常の延長だった。
 拭き終わると英二はそれを持ってキッチンの鴉の横に足を運び、はい、とだけ言ってそれを手渡す。
 目線は手元の洗い物に向けたままそれを受け取る。

「それでいいの?」

 水の音に紛れてしまいそうな声がぽつりと落ちた。

──あなたは"悔谷雄日"を続けるの?それとも"渋谷英二"に戻るの?

 小雪の厳しい声が蘇る。

 英二は大きく深呼吸して──キッチンで隠れるようにしてその会話を聴いている鴉にも届くようなはっきりした声で、答えた。


──記憶があってもなくても、"渋谷英二"はあのクリスマスの日に死んだんです。
──でも"悔谷雄日"を名乗るのはおこがましいというか、俺にはそんな資格ありません。
──そうでしょう?
──俺が、シゲさんを──"本物の悔谷雄日"を殺したんだから。

「うん」

 とだけ答えて英二はテーブルに戻った。
 コーヒーを両手に鴉もテーブルに戻る。


「もしかしたら──」
 英二が言葉を発する度になぜか息が止まる。まだ顔を見ることが出来ない。


「俺は、渋谷英二の中にいたあの気狂いなのかもしれない」

 そいつはあの日、とうとう英二を食い破って英二の身体を乗っ取った。
 そうだ、マサルに撃たれる前にはもう、殺し屋に戻ることに迷いは無くなってた。
 "渋谷英二"の中で餌をよこせと暴れていたあの気狂いは──
 身体を得て殺しという餌を存分に得られるようになったことで正気で居続けることが出来るようになったんだ。

 鴉はまだ"英二"の顔を見ることが出来ないまま手元のコーヒーからのぼる湯気を見つめている。
 そうして聴こえる声は、やはり"雄日"ではなく"英二"だった。
 それを聴きながら、小雪が語った『鴉が知らない事』──を反芻していた。

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 谷重宏行が渋谷英二の中に眠る"気狂い"の存在に気づき、谷重バーから遠ざけた頃──


 小雪は谷重の依頼で、英二の過去を調べたのだという。
 あの気狂いが生まれる何かきっかけでもあったのか、知りたくなったのかもしれない。

 英二の母親には年の離れた兄が二人おり、次兄は学徒動員で徴兵されたが無事に復員していた。母の実家も料亭で、長兄がそれを継いでいたが彼は人が良いだけが取り柄で経営に行き詰り、ほどなく廃業に追い込まれたのだという。次兄は復員後家業を手伝いもせずふらふらしていたが突然山間の農村の、廃墟になっていた古い農家の家屋を買い取ってそこへ移り住んだ。夏は自分が食べていけるだけの野菜を育て、近隣の米農家と物々交換で米を得、冬は山に入って猟をする──


 その伯父は何故か英二をとりわけ可愛がっていた。
 自身も料亭の次男坊で、親が後継ぎの長男ばかりにかまっていてほったらかしになっている次男である英二に感情移入するところでもあったのかもしれない。
 まだ幼稚園に行き始めるか始めないかの頃から伯父はちょくちょくその農村の家に英二を連れて行って面倒を見てくれたりなどしていたという。

「記憶が戻ることで、もともと無いと思っていた記憶まで戻ったようです。その伯父のことも。子ども心に親にかまってもらえていないと思っていたのか、ずっと自分だけの相手をしてくれる伯父に俺もなついていたようですね」

 鴉の作っていた料理が出来上がってしまったので、鴉も何事もなかったように着席し、晩餐が始まっていた。ものを食べながら話すような内容ではないなと思いながらも、鴉自身はもちろん小雪も、そして英二も普通に箸を運んでいる。

 しかしこの伯父が──自宅で猟銃が暴発し死亡するという事故があった。英二が幼稚園の頃だ。

「英二、その現場を見ていたんじゃないの?この事故の第一報は地方新聞の夕刊だった。そこには幼い子供が現場にいたという記述がある。でもその後はどの新聞にも、子供がいたという記述はない。『しぶや』が警察に手を回して、子供、つまり英二がその現場にいたことを隠蔽したんでしょう」


 小雪は淡々と自分が調べた事実を積み重ね、そこに自分の推測を挟んでいく。

 

 最初にこの事故を通報した隣家の親子に話を聞くことが出来た。
 老いた父親はその惨状に腰を抜かし、息子は、吹き飛んだ伯父の脳漿も含めた血を頭から浴びた状態で目を見開いたままその場に転がっていた幼い子供を助け出した。
 血まみれになった子供を咄嗟に洗い流して毛布にくるんでやったが、全く泣きもしなかったという。事故の知らせを聞いて駆けつけてきたのは子供の母親らしい。上品な良い着物を着た若い女性だったが、母親の腕に抱かれても子供は全く何の反応もせず、ただ高熱を出した。
 その後どうなったのかと心配していたが、それ以来その女性も来なかったし使いの者が現場の後始末に来て挨拶をしていったが子供は無事だ、元気になったの一点張りでまるでとっととこのことは忘れろと言われているようだった──

「さすがに寝込んでいた時の記憶はありませんが、熱が下がっても俺は伯父の事をまるごと忘れていたらしく、両親や兄や店の者たちも全員口裏を合わせるというか──渋谷家では彼のことを話すのはタブーになったんだと思います。俺が現場にいたことを、両親が警察に手を回して発表を控えさせたのだとしたら、それは多分記憶を失っている俺のためだ」
「それで、何があったの」

 小雪が取り調べのように淡々と尋ねる。

「伯父は──猟銃で自殺しようとしてたんです」

 

 銃口を口に咥えて、最初は足で引き金を引こうとしていたんだと思う。

 でもどうもうまくいかなかったんでしょうね。

 俺を呼んで──それを思い切り引っ張ってみろって、引き金を示した。


「言われたとおりにしたの」
 英二は小さく頷いた。

 

 小さい手にはその引き金はとても重くて。

 両手をかけて握るようにして力いっぱいそれを​引いた。

 耳が潰れるかと思うほどの大きな音と一緒に、生暖かくて生臭いものが頭の上に降ってきた。

 伯父の頭は爆発したみたいに割れていた。

「そこまでの記憶は戻ったけどそこから家に帰るまでの記憶は本当に全く無いから、気を失っていたんでしょうね。きっと──」

 きっとその時、あの気狂いは生まれたのだ。

「伯父が何故自殺しようとしていたのかはわかりませんが」
「ああ、それはこちらである程度推測できてる」

 小雪は調書を丸暗記してきた探偵のようにすらすらと語り続ける。


「あなたの伯父さんも"気狂い"を飼ってた」

 伯父の頭が割れた話をしながらも黙々と料理を口に運んでいた英二が初めて箸を止めた。小雪は茶碗の米を口に入れると落ち着いた様子で咀嚼し、飲み込んでから言葉を続ける。

「あなたのよりもっと質の悪い、手に負えないやつをね」
「───」

 かつて小雪や谷重が昔世話になっていた、殺し屋やエージェントを取りまとめていた"元締"と呼ばれる男がいた。戦後は小雪のような戦災孤児などを集めて面倒を見てやっていたが、戦前からそういった身寄りが無く食い詰めた子供などを使って裏の仕事の手伝いなどをさせていたという。
 その子供たちの中に、少々厄介な──元締の言うことをあまり聞かないが才気には長けていたはねっかえりがいた。それがどうやら戦地で知り合った英二の伯父をこの世界に引っ張り込んだらしい。最初は猟に誘い、冬山で鹿や雉などを撃つのが上達し、楽しくなったところで人間を標的にする仕事がある、と唆した。
 しかし次第にそれはエスカレートし、ついに殺しを『仕事』ではなく『遊び』でやるようになっていった。

 裏山に町で捕まえてきた人間を放ち、それを鹿や雉や猪のように撃ち殺す──


 伯父は、その遊びに夢中になっていたという。

 怯えて逃げ惑い、必死に隠れた人間を撃ち殺す。それをまるでゲームのように楽しんでいた。

 伯父が買い取った裏山にはおそらく、大量の人間の死体が埋まっているのだろう。

 それを知った元締は激怒し、この二人とその仲間数人に制裁を与えることを決めた。
 英二の伯父は一人一人と消されていく仲間を見て次は自分だという恐怖に追い詰められていく。もしかしたら伯父が英二を頻繁に家に連れ帰っていたのは──幼い子供がいたら乱暴なことは出来ないのでは、などという考えがあったのかもしれない。

「ともかくそれでついに観念したんでしょう。逃れられないなら捕まって拷問されたりするよりいっそひと思いに楽になりたいと思ったのかもしれない」
「それで自殺を──?」
「さすがに彼の心の中で何が起こってそういう結論になったかはわからない。ただ彼を追い詰めたのはうちの元締だったのは確か。おかあさん──元締の奥様に聞いてきた話だから間違いない」

 

「まさかそういう気質というか……遺伝じゃないですよね」

 英二は湯飲みの茶を一口飲む間に頭に浮かんだのだろう疑問を口にした。小雪は表情ひとつ変えずただ少し肩を竦める。
「例えばサイコパスは脳の異常だから遺伝しないとは言い切れない。だからそういうのも笑い飛ばすことは出来ないけど私はそういう研究をしたことも論文を読んだこともないからなんとも」

 ごもっとも。と鴉は心の中で呟いた。
 自分が殺し屋になって他人を殺すことになんの躊躇いもないのはもしかしたら父の遺伝なのかもしれないが、もしも『銃』と全く接点のない人生だったなら自分にそんな要素があるなんて気づきもせずに生きていただろう。
 案外、世の中にはキッカケがあるかないかだけでそういう"気狂い"を飼っている人間は少なくないかもしれない。

「それでも英二は銃と接点がなければやっていける筈だとユキ──悔谷は思った。だから谷重バーから遠ざけた。なのによりによって銃撃事件に巻き込まれて気狂いが目覚めてしまうなんて、もうそういう運命だったとしか言いようがない」
 小雪は初めて運命、などという情緒的な言葉を出した。

 そういえば、一度は谷重バーから遠ざけられていた英二が何故わざわざ渡仏してまでシゲのもとへ行き、殺し屋となったのかという経緯は謎だった。

 シゲが何故、英二を殺し屋にしようと思ったのか。

「真面目に生きていこうと思っていたんですよ。大学も行き直して、洋食やフレンチに興味があったからアルバイトから修行してみようかと思ってビストロに雇ってもらった。まさか違法薬物の取引をやっていてヤクザと揉めるような人がやっている店だなんて知らないじゃないですか」

 英二は何故か笑っている。

「そのヤクザが康平だったわけね。それじゃあ運が良かったのか悪かったのか」

「あの時居たのが康平じゃなかったら俺はあの場で警察に逮捕されて、ただの頭のおかしい奴として前科者になっただけです。そしたら俺がシゲさんを殺すことも無かった。やっぱり──運が悪かったんだ」

 きちんと箸を揃え、ご馳走さま、と合掌すると小雪は姿勢を伸ばして座り直し、小さく息を吐いて英二、と呼びかけた。
「正直、これは私も康平に対して今でも怒っているんだけど、あの頃のユキはもう体中病気でボロボロだった。いつ死んでもおかしくない状態だったらしいのを康平だけが知っていて、ユキに口止めされていたそうよ。だから」

 小雪が手を伸ばす。テーブルの上で両手を組んだ形になっていた英二の手に触れる。


「ユキはあなたに自分を殺させた。英二には、その気狂いを閉じ込めるために殺しに対する強い嫌悪感が必要だって。それは賭けだった。でも一度は成功した」

 殺させた──

 シゲさんは、俺が自分を殺すように誘導した?
 そうだ。
 あの時──幼い少女を殺して痛む胸を抱えて帰ってきた時。
 本当ならその必要のない筈だった仕事に干渉して、彼女が標的になるようにしたと言った。
 おまえを一人前にするために、と──
 冷静になってみればわかるのに。
 シゲさんはどんな理由があっても、そういう干渉はしない人だったのに。

「だから英二、あなたがユキを殺したことについては私は何も咎める気はない。ユキが望んだことだったから」
 でもね、と小雪は笑う。笑って、自分の掌に視線を落とした。

 私も康平も、そしてマサルも。
 どうせもうすぐ死ぬからひと思いに殺されたいとユキが望んだのなら、
 自分の手で、殺してあげたかった。そう思ってる。

 掌を閉じ、再び英二に視線を戻す。表情は変わらず笑顔のままだった。


「私たちはそれを独り占めしたあなたを、妬んでる。私たちの誰より後からユキと出会ったくせに。ずるい。──それだけのことよ」

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 暫く拠点を変えてもらう──と最後に小雪は事務的に通達した。

 梟のエリア内ではあるけどすぐにこの街からは出なさい。ここに住居を用意した。いい年した男二人暮らしは目立つから隣同士の部屋を借りてある。あまり周辺の住民に二人一緒のところは見られないようにして。
 鴉が持っている隠れ家は暫くは空家賃になるけど暫くはそのままにしていていい。こちらで徐々に整理していくからあとでリストを届けて。必要なものもこちらで回収して届ける。こちらに戻って良いタイミングが来たらすぐ使えるように何軒かは残しておいてあげるわ。

 夜が明けるまでには出発するように。

 時計を見ると、まだ宵と言っていい時間だ。むしろ動くには早すぎる。
 テーブルを挟んだ向こうに座っている英二は両手でコーヒーカップを持っているが殆ど減っていないようだ。

 し、と声を出しかけて妙に喉に張り付く感覚がして思わず咳ばらいをする。
 普段、仕事の時でもこんな変な緊張はしたことがない、と思うと苦笑が漏れた。

「"渋谷英二"に戻るなら本当にこれが最後のチャンスだと思うよ」

 まだ顔が見ることが出来ない。鴉の言葉にどんな表情をしたのかもわからなかった。
「その答えはさっき言ったよ。英二はもうとっくの昔に死んでる。戻る場所だってない」
「でも"悔谷雄日"は──」


「悔谷雄日は、有姫を殺した。英二は絶対に雄日を許さない。もし英二が地獄の底から戻ってきた時は、必ず雄日を殺す」

 渋谷英二の人生を取り戻したいと思った瞬間、それを終わらせるという宣言に聴こえた。

 考えてみれば、オレはどうしてあんなに英二を殺し屋に復帰するよう誘っていたんだろう。いや最初はたいして本気ではなく、からかって虐めている程度のつもりだったはずだ。

 あのクリスマスの夜、"渋谷英二"を葬り去ろうとする英二に手を貸した。

 その後も殺し屋の仲間に引っ張り込もうと誘い続けた。その時点ではわりと本気で勧誘していたような気もする。

 マサルから英二と話がしたいから連絡をつけて欲しいと言われた時、なんだかヤバい気がしたのだ。だから、その場所を提供するだけじゃなく自分もそこに隠れて様子を見ていた。マサルが本当に何の迷いも葛藤もなく英二の頭を撃った時はさすがに吃驚を通り越してた。

 あいつ、素質あるじゃないか。

 なんでこっちの仕事やってないんだろう。

 いや、そんな事よりこれをどうしようか。

 そこでオレはひらめいたんだ。

 知り合いの闇医者を呼びつけて、金を積んで撃たれた脳の処置をさせた。身体の機能には異常は無さそうだ、『運が良かった』と闇医者は言ったが英二はなかなか意識を取り戻さなかった。

 どうせ、渋谷英二は死んだことになっているんだ。

 顔を変えた方が都合がいい。

 だったらいっそ好みの顔にしてやろう。

 ──父さんの顔にするのはどう?

 鴉が初めて殺した相手は、初めて抱かれた男でもあった。

 顔は似ていなかったが、体形が父によく似ていた。

 その時のことを思い出して鳥肌が立った。

 そうだ、父さんの顔に似せて、どうせならもうちょっと体格もよくしてやれないか。

 検査しても脳はすでに正常な状態に戻っているのに英二は目を覚まさなかった。その間に着々と計画は進行した。目を覚ました時、自分が全然違う見た目になっていると分かったら英二は一体どんな反応をするだろう。わくわくする。

 そして目を覚ました時、英二は"渋谷英二"の記憶を全て失くしていた。

 それならそれで、オレのペットにしてやろう。

 オレだけになつく、かわいいペットに。

「鴉」

 声がして、英二が立ち上がる音がする。足音はテーブルを回り込み、鴉の横で膝をついて座った。
「渋谷英二はマサルに撃たれた時に本当に死んだ。それを助けて、何も思い出せなくて不安しかなかった俺に名前をつけて呼んだのは鴉だった。鴉が俺の名を呼んだ時にだけ俺は実在していると思えた。だから」
 すう、と息を吸い込む音が聞こえる。

「鴉が呼びたい名前で呼んでよ。それが俺の名前だよ」

 笑ってやろうと思ったのに──
 その口調が、"雄日"に戻っていた。

 ゆっくりと、自分の傍らに腰を落としている男の顔に視線を移す。

「俺は、誰?」

 父に似せて作った顔の筈なのに、もう父の顔には見えない。
 これはもう、雄日の顔だ。

 どうしようか。

​ なんだか泣きそうだ。

 

「オレの雄日──」


 鴉は椅子から崩れ落ちるように"雄日"の上に倒れ込んだ。

 

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*Note*

ちょっとまって自分が思ってたよりラブラブな感じに収まってしまったぞ(笑)。

英二の幼児期の話についてはまだ「昔日」にも書いてなくて、実は書きかけて佳境に入ってたのにデータが吹っ飛んだ話に書いていたエピソードです。

いろんな関係者の証言を並べていく構成で書き込んでたのでデータ吹っ飛んだ時には頭真っ白になりました。惜しい。記憶を辿りながら書き直すことは出来ると思うけど多分最初に書いた時のニュアンスとか忘れてることとかあると思うのでどうなるかなあ。いつか書けたら「昔日」の方に置きます。

​英二のウザさの要因のひとつ、優柔不断なくせに何か決断する時はことさら何か背負ってる感出すとこ(自分で書いてるくせに酷い言い草…)なんですが、そこは克服出来たかなぁ…。鴉が、どうも作者が思ってたよりずっと雄日にご執心だったのが面白かったです。

​英二が巻き込まれた銃撃事件や英二がシゲさんを撃った件の康平目線の話は【TheNameoftheBar】の「代理人1~3」という話に出てきます。鴉が坂元鴒という中学生だった時の話は「昔日」の「鴒」という話に。

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